7-3
中で隊長の武井初芽が机に向かっていた。当人の好きな仕事ではないらしい。頬杖をつきながら、詰まらなそうな顔で何やら書類に目を通している。今日はざっくりとした手編みのベージュのニットに、下が黒の革パンツだった。
「――どうした? 何かあったか?」
浅野の雰囲気を、いつもとは違うとすぐに感じたらしい。今まで緩んでいた目が一気に鋭くなった。
浅野はメモを手にして初芽に報告した。
「警官隊から救援要請の連絡がありました。誘拐事件が発生とのことです。犯人の数は3名。場所は人形町。誘拐されたのは3歳くらいの女児。母親がその際に斬られて死亡。他に、警官隊は1人が死亡、2人が負傷」
重大事件だ、と珠子は思った。
初芽は立ち上がると、きびきびと浅野に指示を飛ばした。
「全隊士に出動命令。誘拐された女児を捜索だ。電話がある学校については、お前が電話をして伝えてくれ。電話が無い学校にはお前が直接このことを伝えに行ってくれ。指示の張り紙を作って道場と宿舎の入口に貼っておくこと」
「承知しました」
すぐに浅野が部屋から出て行った。こういう事件への対応は、浅野は初めてではない。
もちろん、隊士として、珠子も初めてではない。
「それでは、私も行ってきますね」
自分の話と女児を助けるのとじゃ、天秤にかけるまでもない。珠子にも、これが一刻を争うということは分かっている。
「何か話があったようだが、すまんな。こっちを優先してくれ」
「もちろんです」
珠子は自分の刀を帯びて人形町に向かった。
さて、勇んで出てみたものの、どこを巡察するべきか。
誘拐した女の子を連れて行くなら、米を入れるような大きい麻袋でも用意するか、肩に担ぐしかないだろう。
どちらにせよ目立つし、歩くのも遅いはずだ。
その間、女児を担いで休憩無しというわけにはいかないだろうから、方向さえ合っていれば追いつける可能性は十分ある。
通りがかる人とは5メートルは空けてすれ違うようにする。
5メートルが、達人であっても1歩で踏み込むのは厳しい距離という判断だ。
人形町に近づくほどに通行人が増えていくので、歩いているだけで神経がすり減っていった。
これが巡察だ、と珠子は思う。
腰に日本刀を帯びている人には当然警戒するが、無手であっても油断はしない。懐剣を隠し持っている可能性もあるからだ。
そんな感じで歩いているものだから、人形町に着いただけでヘトヘトになった。
だが、休憩している暇はない。
人形町も繁華街なので、午前中からおにぎりやら焼き魚を売っている露店がいくつも開いていた。
一応、露店の親父がいきなり刀を突き出して来る可能性も考えて、少し距離を取って聞いてみる。
「すみません、親父さん。ここらで誘拐事件あったそうだけど、見てないですか?」
「すまんねぇ、見てないね」
雲をつかむ話だが、こういう地味なことを重ねるのもまた、剣志隊隊士の仕事だ。
「だけど、なんか悪さしてる奴なら、浅草橋とか秋葉原に向かうんじゃないかな。あの辺に住んでるのは、警官とか任侠者から逃げたい奴ばっかりだから」
「ありがとう」
「あんた、行く気かい? 危ないよ」
珠子は腰に帯びた柄をぽんと叩いた。
「危ない奴が来ても、剣志隊が探し回ってるっていうのは秘密にしておいてくださいね」
委細承知した親父さんは、にっこり笑った。
その後も露店を見つけては1軒ずつ聞いて回った。
5軒目で「蔵前の方に、それっぽい奴が歩いて行くのを見たよ」という情報を聞けた。
人形町を出てしばらくすると、露店の数も減っていき、往来する人も徐々に減っていった。
蔵前まで行くとほとんど無人だ。道端にいるのは、酔っ払いが寝てるか、無宿人が地面に座り込んでいるくらいだった。
道の両側にある建物は、そのほとんどが崩れかけで、今は何にも使われていない。
珠子は、数百年前まではたくさんの人がここにいたのだな、と想像した。絵に描いてみたら面白いかもしれない。
が、頭を振って、緊張感を取り戻した。今は女の子を探してるんだぞ。
その時、2人の警官の背中がずっと先に見えた。
警官隊も、今一生懸命に誘拐された女の子を探しているのだろう。
もし行き先が同じなら同行した方が良いかもしれない。
そう思った時、道端に座り込んでいた無宿人と思しき男が立ち上がった。警官がそちらに顔を向ける。
その男が手に鞘を握っているのに気付いて、警官の右手が刀の柄に飛んだところで……
素早い抜き打ちで警官の1人が斬り倒された。
(くそっ!)
珠子が走る。左手で鞘を押さえ、いつでも刀を抜ける姿勢で。
「警官だ! 行くぞ!」
男が叫ぶ。
朽ちかけの建物と建物の間から、女の子を肩に担いだ大柄の男が飛び出てきた。女の子は布で猿轡をされ、両手両足は何かで縛られていた。
大柄が休んでいる間、無宿人風が見張りをしていた、という形だろう。
残った警官1人が刀を抜き、無宿人風と切り結んでいる。
珠子は大柄の方を追いかけた。
見失うわけにはいかない。
大柄なだけあって力自慢のようだが、さすがに3歳児を肩に担いで速く走ることはできない。
大柄が珠子に気づいて、何度か後ろを振り返る。動揺を隠せない目。女児を運ぶくらいしか能のない下っ端のようだ。
残り4メートル。
珠子は鯉口を切って右手を柄にかけると、左足で地面を思い切り蹴飛ばした。
隊内でも抜群と評される珠子の踏み込み。
一気に大柄の背後に肉薄した珠子は、真横に刀を一閃した。
殺さず、しかし逃がさない。珠子が狙った大柄のふくらはぎから、ぱっと血が散った。
大柄がすっ転ぶ。肩に担いでいた女の子がほうり飛ばされる。
珠子は素早く女の子に追いつき、背で隠した。もう女の子には悪漢たちに指一本触れさせない気概である。
ぎょっとした。
さっきの無宿人風の男が、もう珠子のほぼ目の前まで迫っていた。
血に濡れた刀で珠子を狙っている。
珠子の後ろには女の子。1歩だって下がれない。




