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姉、斬る、妹―2805年、東京国の凶賊始末記―  作者: 羽法 伊助
7話:【長谷部珠子】描き足したかったもの
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7-1

 6月、梅雨入りして間もない頃。雨が降っていないとしても空はどんよりと曇っていた。

 剣志隊では、3人の新人隊士を迎える準備が始まっていた頃である。


 剣志隊の本営では道着姿、制服姿、私服と様々な服装の隊士が行き来している中、長谷部(はせべ)珠子(たまこ)は油絵具の点であちこち汚れている上下に身を包み、イーゼルの前で難しい顔をしていた。この時、20歳の美大生。

 朝を宿舎で迎えてからお昼過ぎの今に至るまで、市中巡察も剣の稽古も全てうっちゃって絵を描くのに没頭している。

 が、集中できたのは道着姿の糸無(いとなし)柚希(ゆずき)が怒りの形相で大広間に入ってくるまでだった。怒気で髪の毛が重力に逆らって炎のように揺れている、ように珠子には見えた。西洋絵画のメデューサってあんな感じじゃなかったっけ?

「ほーーぅ、相変わらず上手だな。ここ1週間で随分と描き進められてるじゃないか。築地本願寺の静けさがよく出てるいい絵だ」

 その声に珠子の背中が魚みたいに飛び上がった。

「これはこれは副隊長殿。ご機嫌麗しゅう……」

 今日は平日で、柚希は高校生だ。だから、副隊長が現れるはずがないのだが……。

「安心しろ。今日は隊務で来ているから、公休扱いだ。私の無遅刻無欠席は守られたままだ」

「それはまことに僥倖(ぎょうこう)……あたたたたたた!」

 珠子の悲鳴は、柚希が珠子の耳を引っ張ったからだ。

 それに口元を寄せてそっと囁いた。

「絵を描いてばかりじゃ体がなまるだろう? 道場で汗をかこう」

「ワーイ、嬉シイナーー」

 副隊長の「強制稽古命令」に、平隊士の珠子が逆らえるはずもない。

 珠子は、どこにも逃げられないように背中を柚希に見張られつつ、一緒に道場に向かった。


 防具に着替えた2人が道場に入ると、稽古に励んでいた隊士たちの手が止まり、普段はまるで稽古に参加しようとしない珠子に視線が集中した。

「手を止めるな! 稽古を続けろ!」

 柚希の一喝で、隊士たちが慌てて動きを取り戻す。

「お前もさっさと着替えろ」

 まったく気乗りしないまま、更衣室で道着に着替え、3日ぶりの防具を身に着けた。その硬さと重さにうげぇ、と心の中で呟いた。

 再び道場に入ると、柚希は「じゃあ、始めろ」と言って珠子の肩に手を置き、自分はてきとうに組手の相手を探して離れて行った。

 ちょうど、同じように相手を探している隊士がいた。前垂れには「浜口(はまぐち)」という名が書いてある。

 お互いに会釈をすると、竹刀をするすると上げた。

(子供の頃を思い出す……)

 珠子は幼少の頃から苛烈と言えるほど修練を重ねていた。それは父親の意向というよりは、長谷部家が代々受け継いできた家訓のようなものだ。

 珠子は子供の頃から何度もやったように下段に構えると、相手の出方を待った。珠子は、常に後の先を狙う。

 浜口はぱっと胴を薙いだ、それを後ろに半歩下がっただけでかわして面で一本。

 次の相手も、その次の相手も、相手の一撃を誘い、それをかわしたのちにただの一振りで一本を取っていく。

(陸軍って、今頃どんな仕事してんだろう。もし基地の中で兄ちゃんと姉ちゃんが会ったら、どんな挨拶してるんだろう)

 端から見ると珠子の動きは修羅か鬼神かというものだったが、心の中では、そんな益体(やくたい)もないことを考えていた。

 誰のどんな一撃も、子どもの頃にやらされた他流試合で見た剣筋とそっくりだった。

 年と経験を重ねるうちに、いつの日からか、余程の腕の者でないと珠子を脅かすということはなくなった。そして、弱い相手との試合は、決められた点線をなぞって絵を完成させるくらいに簡素でつまらなかった。

 自分のような軍人一家に生まれた者は、みんな同じような修練をさせられたのだろうか。

 本当にみんな、楽しくて武芸を磨いて生きてるんだろうか。

 私は絵を描くのが最高に楽しいんだけど。

 そんなことを考えつつ、肋骨を折りかねないほどの強い胴撃ちでもう一本を稼ぐ。


 珠子が一本を取り過ぎて組手の相手がいなくなった頃に、柚希が珠子に声をかけた。

「やろうか、長谷部」

 うげぇと思いつつ、珠子は頷いた。

 柚希と珠子が距離を取って向かい合うのを、稽古をしていた隊士たちが手を止めて注目した。

(長谷部先輩、また副隊長を怒らせたのかな)

(……どっちが勝つかな)

 そんなことを小声で話しながら、隊士たちが2人の試合がどうなるかを見守っている。

 珠子は、ちょっと待て、と思った。

 こんな見せしめみたいな感じでやるの?

 こういった多人数がいる場ではやらない蹲踞で柚希が珠子を待っている。

 これじゃあ本当に試合みたいだ。だったら審判連れてきてよ。

 珠子が不承不承、同じく蹲踞をして、試合開始。


 柚希は身に纏(まと)う雰囲気が、他の隊士とは違う。柚希が気を入れて竹刀を構えただけで、道場の空気が一変した。

 珠子の覚えている限り、柚希から一本を取れたことはほとんどない。10本やって、1本取れるかどうか。

 珠子から見て少数派である「余程の腕」に柚希は該当していた。

 だが、竹刀を構えると不思議と闘志が湧いてくる。

 自分が軍人一家の人間だからだろうな、と珠子は自嘲した。


 珠子も竹刀を構えて、柚希を見据えた。

 柚希は上段に構える。柚希が尊大な性格でないことを珠子は知っている。わざと大げさな構えをとり、珠子の撃ちを誘っているのだろう。珠子は、徹底して後の先をとるような性格である。それを崩そうというのだ。

 「上等です」と珠子は面鉄の中で呟いた。きっと、誰にも聞こえていない。

 先手を取って珠子が前に飛びこむ。しかし、様子見はしたい。自分の間合いのぎりぎり外で踏み込むと、腕を伸ばして柚希の籠手を狙う。

 太刀ゆきは速いが、腕を伸ばしただけで体重が乗っていない。それを柚希は軽く払いのけると、面を打つため竹刀の先端を軽く持ち上げる。必要最小限の動き、かつ、十分な力のこめられた動作だった。

 これから柚希の一撃が来る。


 珠子は、その竹刀の先端を見上げて、考える。

 珠子の剣道とは、思考と記憶力の戦いであった。

 並外れた経験量の珠子は、その記憶と経験から、相手がどのような太刀筋を撃つかを予想し、その者の性格や道場での稽古の様子から、より予想を具体的なものとする。

 この判断が圧倒的なのである。中には、珠子を惑わせようと奇抜な戦法を取る隊士もいたが、そんな戦い方ですら、珠子はどこかで経験済みなのだった。

 道場には夕日が差して、柚希の面鉄の金属部分が淡く照り返しているのが見える。

 キレイだ、と珠子は思った。

 思うことで、更に頭の中が冷静になる。柚希の竹刀を、見据えた。

(真っ直ぐより、やや左からの、撃ち下ろし)

 珠子はそう判断する。そんな太刀筋もいつかどこかで経験済み。

 珠子は相手の竹刀を受け止めるべく、脊髄反射で竹刀を握る手を持ち上げる。

 柚希、これを裏切る。

 外を向いた左足の膝を折り、やや上からの胴撃ち。

 ぎょっとした珠子は後ろに飛び退こうとするが、それだけでは柚希の間合いからは外れない。柚希が少し腕を伸ばすだけで胴を撃たれる。今から籠手を打とうとしても、とても間に合わない。

 珠子は、打たれるくらいなら相討ちを選んだ。柚希の胴撃ちが届くよりも疾(はや)く、渾身の突き。

 両者の竹刀は、同時に相手を激しく打ちつけた。ばしん、という音は全くの同時。

 道場の時が止まったかのように、誰も言葉を発さない。珠子は息も絶え絶えに、柚希を見ている。

「今のは相討ちだった。もう一本やろう」

 柚希の声は固くなっていない。緊迫した試合の最中とは思えないほどに柔らかかった。

「はい」

 珠子は答え、再び竹刀を構えた。

 しかし、珠子は気力を使い果たしてしまっていた。2戦目は、柚希の仕掛ける胴撃ちを前に出ることで避けたが、鍔迫り合いに持って行こうとした所で面を撃たれた。

 勝負がついても、見守る隊士たちは動けない。それほどに鮮烈な打ち合いだった。

「稽古の続きを」

 柚希はそう皆に伝えると、隊士たちは思い出したように稽古を再開する。

 まだ息が上がって動けない珠子に柚希が言った。

「ちょっと外で話さないか?」

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