6-14
本営に戻った柚希は、需莉を急いでエリザに診せたが、どれも命に別状は無いというのがエリザの見立てだった。
それを聞いて、柚希は安心の息を吐いた。
数日すると、傷口に巻いたサラシも取れた。
しかし、その日以降、需莉は宿舎の部屋から出なくなってしまっていた。
その日も、高校で授業を終えた柚希は本営へ直行し、需莉がいる宿舎の部屋の前にいた。
軽くノックをする。
「荒織。いるか?」
返事は無かった。
賄い係の和美に聞いているが、食事だけはとっているらしい。
だから、今は動けないだけなんだと。
仕方なく、道場で稽古をしようと思った時、階段を誰かが昇ってくる音がした。
初芽だった。
一瞬、柚希に目をやるが、すぐに視線を外した。
「荒織。入るぞ」
初芽と一緒に中に入ることは、柚希にはできなかった。近づけるのは、この戸までが精一杯だった。
ただ、初芽が出てくるのを待った。
少しして初芽が出てきた時の顔を見て、柚希には予想できてしまっていた。
「荒織は除隊だ」
そう告げた後、初芽が階段を降りていく。
柚希も急いで、後ろについていった。
背中に向けて、言った。
「荒織は、どうでしたか?」
「私は、もう頑張らなくていいと伝えた。お前の剣はここで終わったって。そうしたら、分かりましたって答えたよ」
柚希の胸に苦い思いがじんわりと広がった。
「隊長、私……」
「言わなくていい」
初芽は振り返って、柚希の肩に手をやった。
「私も、この件は後悔が多すぎる。だから、言わないでくれると、助かる」
その通りだった。
痛む傷をわざわざ晒す必要は無かった。
だから柚希も「分かりました」と答えた。
その後柚希は道場に出向き、汗を流した。
同時に他の隊士もたくさんいるのに、柚希は一人で素振りをしていた。
どうしても、需莉のことが頭から離れなかった。
もっと需莉に寄り添うべきだったと後悔している。
彼女の助けになることができたはずだ。
仇討ちにとらわれて、需莉の心は固く閉じられてしまっていた。
犀地を討つのが自分だったら良かった。需莉には恨まれるだろうが、きっとその方が良かった。
無心で竹刀の素振りを続けていると、声をかけられた。
「柚希ちゃん。お相手、お願いできる?」
前垂れの字で、房江と分かった。柚希は「こちらこそお願いします」と答えた。
しかし、道場で向かい合い、竹刀を繰り出していれば少しは気が紛れると思ったが、どうしても集中できない。
房江の軽い撃ち込みが、ぽんぽんと軽く入ってしまう。
「今日は調子が出ないわね」
「すみません……」
「責めてるんじゃないのよ。この間の警官殺しの件ね」
「どうしても、後悔ばかりで」
「あなたは副隊長として精一杯やってるわよ。自分を責める必要はないわよ」
今日は、そんな優しさも少しばかり辛かった。不甲斐なさばかりが感じられてしまった。
気付くと、柚希と房江以外に道場には誰もいなくなっていた。
無心にはなれていたらしい。時間の経過をすっかり感じられなかった。
とすると、房江が柚希を元気づけようとしたのであれば、それは成功したのかもしれない。
「もう遅い時間のようですし、そろそろ上がりませんか?」
柚希がそう言ったが、房江は首を左右に振った。
「私の方は調子が上がってきたところ。もうちょっとお願いできる?」
珍しいこともあるものだ。忙しい房江に、こんなに食い下がられることは今までなかった。
房江と打ち合いながら、需莉のことを考える。
「荒織需莉ですが、今日中に養護院に戻るんですか?」
「何日かここにいてもいいんだけど、今日戻りたいって聞いたわ。ここにい続けるのは申し訳ないんでしょうね」
荒織が養護院に戻るなら、そこを訪ねるのはどうだろうか。嫌がられるだろうか。
そんなことを考えていたら、房江が突然「あ!」と声を出した。
「ごめんなさい。今大事な用事を思い出したわ。隊長と柚希ちゃんと私で、ちょっと擦り合わせしたいことがあるの。遅い時間で申し訳ないんだけど、今からいい?」
「もちろん大丈夫です」
「隊長は宿舎の大広間で待ってるはずだから、先行っててくれる? 私はちょっと書類取ってくるから、後で行くわ」
「了解です」
柚希が着替えている間、房江は「私が戸締りするから、先に行っててね」と言った。
こんな夜遅くに話し合いとなると、そんなに軽い事ではないと柚希は思った。
何か荒織に関することだろうか。
大広間に入った柚希だが、すぐに異変を感じた。
初芽がいるというのに、電灯が消えて真っ暗だった。
おかしい。
柚希は小袖に差した鞘に手をかけ、油断なく中へと進んで行った。
「隊長? いますか?」
人の気配はする。位置は分からないが、微かな呼吸音。空気が流れている感覚。
無人の部屋では断じて感じられない、生きた何者かの発する気配だった。
闇の中で目をこらす。月明りも届かない。ほとんど見えない視界すら自分の伸びた髪の毛に邪魔されて、いつの間にこんなに伸びたのだろうと場違いなことを思った。
鯉口を切り、すり足でゆっくりと進む。
半ばまで進んだ時、突然、電灯がついて瞳が焼かれた。
「初めての大会の優勝、おめでとー!」
初芽が、大きな皿に大きなケーキを持って、現れた。
初芽だけじゃなかった。
こんなに大量の隊士が、どうやって大広間に隠れていたのかというくらいの大人数が、柚希に拍手をしてくれていた。
圭子もいる。紗枝もいる。エリザもいる。
遠くで浅野も拍手してくれている。彼の笑顔を見たのは初めてかもしれない。
和美もいる。この大きなケーキを作ってくれたのは間違いなく彼女だった。
初芽が他の隊士たちに「優勝したからってケーキでお祝いになるのは副隊長だけだからな! みんなはこんなの期待するなよ!」と牽制している。
柚希は、どうやら自分がお祝いされているというのを理解するのに大分時間がかかった。
「ほら、ケーキだぞ。みんなは1センチ分しか食えないが、柚希はたっぷり食っていいからな」
周りの隊士が「いいなぁー」とか「俺も副隊長になりてー」など、口々に何か言っていた。
初芽が柚希に顔を寄せて、小声で言った。
「こんな日ですまんな。あんなことがあったから別の日にしようかとも思ったんだけど、計画が全部進んじゃったもんで、今日やることになったんだ」
「……ぅぅ」
泣きたくなんてないし、泣く必要もないと思ったのに、なぜか涙が出てきた。
「……うぅう……ぅぁっ……」
柚希が泣き始めたものだから、初芽は得意げになった。
「そんなに感動してくれると、私たちも企画して良かったよ。ほら、早くケーキ食べなよ。フォークもあるから」
涙が止まらない。嗚咽が出てきて、自分の顔がくしゃくしゃになっていくのが分かった。
みんなにお祝いしてもらってるのだから笑おうとするのだが、涙と嗚咽が止められない。
ついにまわりが、柚希が本気で泣いてしまっているのに気付き始めた。
「うぅぁぁぁぁぁ、あああぁぁぁぁぁぁっ……!」
初芽がケーキの皿をいったん床に置くと、優しく柚希を抱いた。
「泣きたくなる時なんて、誰にでもあるよな」
柚希は初芽に抱き着いて、顔を押し付けた。
悲しくなんて無いのに、嬉しいはずなのに、どうしても涙が止まらなかった。
なんで自分が泣いているのかが、分からなかった。
そんな柚希を、需莉が遠くから見ていた。
嬉しいはずなのに泣いている柚希を見て、しかし、不思議だとは思わなかった。
なぜか、柚希の気持ちを理解できた気がする。
ただ、いつまでも見ているのは辛かった。
需莉は背中を向けて、玄関で自分の草履をはいた。
右手に風呂敷、左手に竹刀を持って夜道を歩く。
養護院までけっこう歩くが、苦ではなかった。
剣志隊にいたのはたった2週間くらいだ。父にあつらえてもらった着物は破かれてしまって、まだ直せていない。
でも、良いことなんて一つも無かった、とは思わなかった。
短い間だったけど、確かに入隊できて良かったと思う。
入隊考査のために色々と頑張った自分を褒めてやりたかった。
そろそろ養護院が見えてくるというところで、遠くに人影を見かけた。
月明りでも誰かが分かった。
愛実だった。
弟と手を繋いでいる。剣道場に行った弟を迎えに行った帰りなんだろう。
交差点を挟んで、愛実と弟がこちらへゆっくりと向かってくる。
このまま歩いて行ったら、交差点で合流して、左に曲がって一緒に養護院に戻ることになる。
それを避けることは簡単だった。背中を向けて、ちょっと遠回りをするだけで一人になれた。
でも今は、そんなことをする気なんて無かった。
小走りで、交差点の真ん中へ。
愛実よりも早く着くと、2人が来るのを待った。
じっと、顔を見たまま。
そして、声をかけられる所まで近づいたので、需莉は軽く手を振った。
「お久しぶり」
そんな風に挨拶をする需莉に、愛実は驚いていた。
そりゃそうだろう。何年も養護院で一緒だったのに、需莉から声をかけたことなんて一度も無いのだから。
「お久しぶりだね、荒織さん。剣志隊って、こんな夜中まで働いてるの?」
当然の疑問だろう。
だから、需莉は教えてあげた。
「剣志隊は、除隊になったんだ。だから、養護院に戻ろうと思って」
「あ、そうなんだ……」
愛実は少し考えて、まだ弟を需莉に紹介していないことに気づいた。
「この子が私の弟。友也です」
弟がぺこりとお辞儀した。
需莉も「荒織需莉です」と挨拶をした。
「それにしても、剣志隊を辞めちゃうなんて、もったいないんじゃない?」
「仕方ないんだ。もう、剣志隊にはいられなくなったの」
何か事情があると察知した愛実は「そうなんだね」とだけ言った。
「だから、私、次は警官隊に入るのを目指そうかなって」
「次の夢があるんだね。すごいね、荒織さん」
ふと、今自分たちが夜の交差点にいることに気づいた。
大切なことだから、愛実に言っておかないといけない。
「夜道は本当に危ないよ。だから、友也君を迎えに行く時は、私に必ず声かけて。一緒に付いててあげるから」
「え……?」
需莉はもう視線を外さない。愛実の顔をじっと見ながら言った。
「私、元剣志隊だから、けっこう強いんだよ。……愛実と友也君を、守ってあげるから」
苗字で呼んでから、たったの2分で名前を呼んだので、顔が真っ赤になってるのが自分でも分かった。
でも、愛実は笑ったりしなかった。
「うん。ありがとう。需莉ちゃん」
そうして、3人は養護院へと歩き出した。
友也が「僕も剣志隊に入りたいから、剣を教えてください」と言うので、「いいよ。けっこう自信あるよ」と返せるくらいにはなっていた。
それが、この2週間で需莉が得た全てだった。
6話までお読みいただき、ありがとうございます。
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次は絵を描く隊士のお話です。




