6-12
2人は小袖に刀を帯び、早歩きで道を行く。
需莉は、今までの巡察の中で最も神経を張りつめていた。
もしも犀地が視界に現れたのなら、絶対に見逃さないという心構えだった。
「落ち着け、荒織。私怨を隊務に入れ込むなよ」
「大丈夫です。落ち着いています」
需莉の目が瞬きを忘れている。
柚希がずっと心配そうな視線を送ってくるのを、需莉は黙殺した。今はそれどころではなかった。
「警官が殺されたのは永代の辺りだ。まずはそこへ向かって、空き家を一件ずつ洗おう」
「はい」
永代、空き家、という単語で、需莉の脳裏に自分の生家の道場が思い当たった。
犀地が、あの道場に姿を現したが、あれは本当にただの巡察だったのか。
何か理由があって来たのでは……?
「さすがに、警官隊もたくさん出ているな」
永代に近づくにつれ、どんどん見かける警官の数が増えていく。
警官殺し、しかも同じ警官によるものとなれば、彼らの怒りも想像できる。犀地を見つけるのに必死なのだろう。
鍜治橋通りから永代橋を渡るというところで、1人の警官が柚希に手を振り近づいてきた。
「剣志隊の方ですよね?」
柚希が頷く。
「今、全隊士に巡察命令が出ています」
「それは助かります。どの辺りを調べるといった指示は出ていますか?」
「いえ、そういったものはありません。すでに警官隊の方で差配があるなら、それに従います」
警官が地図を柚希に見せながら、なにごとか説明を始めた。
2人とも、需莉には目を向けていない。
1歩、2歩、と需莉は後ずさった。
まだ気づいていない。
今なら、行ける。
通行人に紛れるように、需莉は柚希の傍から離れた。
需莉は走った。
子どもの頃から何度も渡っている永代橋を越えたら、道場はすぐそこだ。
背後から柚希が走って追ってきているのではという恐怖が働く。
怖くて、後ろを振り向くが、大丈夫。いない。
橋を渡り切った。
江東区永代。右手に煙草屋。左手は大き目の古本屋。
その先に……。
道場の戸は閉じていたが、少しだけ隙間が空いている。
慌てた誰かが中に入った後に閉じたが、閉まりきっていないという雰囲気だった。
左手で刀の鯉口を切り、戸に右手をかけた。
そして、力いっぱいに戸を開き切った。
今も懐かしい道場の空気。
そして、懐かしい顔がそこにいた。
犀地澄雄。鼻の横に傷をつけた警官。
こんな形で会いたかった。ずっとそう思っていた。
「な、なんだてめぇ」
警官の制服姿だったが、事前情報通り、斬り合いをどこかで演じていたらしい。
あちこちが破れ、血も滲んでいる。
ただ、傷らしい傷はまだ無い。
「さっさと消えろ。斬られたいか」
犀地は道場の隅の床板を外して、そこに隠されていた何かを取り出そうとしているところだった。
床には、紙幣が積まれていた。
「お前、まさか、この道場に金を隠してるのか?」
それに犀地は答えず、立ち上がって刀を抜いた。
「早く消えろよ! 本当に斬られたいのか?」
需莉も刀を抜く。
間合いを計る。まだ大分遠い。
「私は剣志隊だ。お前に手配が回ってる」
「剣志隊だと? くそっ。もう大会とやらは終わってるのかよ」
「大会があるから剣志隊が巡察には出て来ないと思ってたのか? 考えが浅いんだな」
犀地は足元の紙幣の小山をちらりと見てから、
「……俺を斬るのか」
需莉はそれには答えない。
聞きたいことがあるのは、需莉の方だった。
「8年前に金貸しの店で荒織信也を斬ったが、なぜだ」
名前を憶えているとは期待していなかったが、犀地は悩むことなく答えた。
「荒織……、ここの道場主か。なんでそんなことを聞く? あれはただの正当防衛だ」
「私は、荒織需莉だ」
「……ああ、お前、あの男の娘なのか」
薄ら笑いを浮かべる犀地に、需莉が激昂する。
「父が先に剣を抜くはずがない! お前たちが先に刀を抜いたんだろう!」
「いいや、違うね。先に抜いたのはあいつだ」
信じていたことを、犀地が肯定してくれない。それが、需莉の体温を上昇させる。
「ただ、まあ、ちょいとばかり工夫はしたけどな」
工夫、だと? 妙な言い回しにめまいがした。
「警官ていうのは大変なんだ。犯罪者を捕まえるなり殺すなりしてないと、サボってるって言われる。だから、俺は金貸しに話をつけて、キレそうな奴から連絡があったら教えてくれと頼んでた。そこへ来たのがお前の親父だ。まともに門下生を集められず、たいそう金に困ってたから、金貸しが断ればキレると踏んだ」
「貴様……」
「強盗の恐れがあるから署まで連行するって言っただけだ。それであいつの腕に手錠をかけようとしたら、あとは勝手にあいつが刀を抜いた。娘を残して捕まるわけにはいかないとか言ってたが、それで正当防衛の成立だ。仲間と金貸しが乱闘で死んだが、生き残った相棒がちゃんと証言してくれたぜ。全て問題無しだ」
父は無実では無かった。
卑劣な手を使われて、抜刀させられた。
そして、自分を一人にしないようにと、斬り合いをさせられた。
父は無実じゃなかった。
こいつらが、無実ではなくしたんだ。
「もういいか? 俺は急いで逃げなきゃいけないんだ」
「うるさい……」
需莉が刀を中段に構えた。
斬る気だと分かって、慌てて犀地が八相に構えた。
「やる気か? 俺は甲源元一刀流で目録をとってるぞ」
「そんなの、知らない」
需莉は無造作に歩いて距離を詰め始めた。
この場の空気が、需莉の1歩ごとに無理矢理に緊張させられていく。
あと2歩、というところで立ち止まった。
一縷の望みにすがって、もう一度聞いた。
「私の父は、本当に無実じゃないの?」
「何度も同じこと聞くな。あれは俺たちの正当防衛だ。お前の親父が先に刀を抜いたんだ」
掴めないほどに強く揺れていた心が、静かになった。
後に残ったものは、熱だけ。
この身を焼き尽くすほどの紫色の業火だけ。
だというのに、この男はさらに油を注いだ。
「なあ、見逃してくれないか? ここにある金を半分やるよ。俺、剣志隊の隊士を斬ってお尋ね者にはなりたくないんだよ」
「もう、いい」
需莉が最後の1歩を踏み出す。
2つの剣域が重なり、交錯する。
刀が動きだすのは全くの同時だった。




