6-11
4秒間の沈黙があった。
お互い手を出さず、間合いを保ったまま体を左右に流す。
初芽は平青眼。
柚希は斜め青眼。
沈黙を破ったのは、初芽。
両手で構えていた竹刀を右手一本にして、胴撃ち。
それを半歩下がるだけで避けた柚希が、空いている頭部に面撃ち。
それが口火になった。
2人の竹刀が入り乱れ、竹刀同士の打撃音が絶え間なく連続する。
観戦する隊士たちが大声で歓声を上げる。
需莉は、言葉も無かった。
お互い、攻撃すると同時に相手の反撃を予測し、撃ち込まれないように竹刀の向きと体の位置をずらし、すぐさま次の攻撃を放つ。
頭の中で考えてから撃つのでは、絶対に間に合わない速度。
それよりももっと奥にある何かに剣道を刻み込んでいるのだ、と需莉は感じた。
どれだけの反復を重ねれば、ああなれるのだろう。
需莉には、歓声を上げる余裕も無かった。
ただ、圧倒されていた。
初芽が右手一本で操る竹刀の連撃で柚希を押している。
相手が並ならば、一本を取るために大きく踏み込み、面なり胴なりを叩き込めているだろう。
しかし、初芽は柚希に対して、その踏み込みを躊躇する。
誰しも、有利な間合いというのがある。足の長さ、腕の長さ、竹刀の長さによって、一番素早く強い一撃を打てる間合いが違うのだ。
試合開始からここまで、初芽が望む間合いに入ることを柚希は一切許していない。
初芽の僅かな前後の動きに合わせ、柚希もまた間断なく竹刀で応じながらピタリと自分の間合いを維持し続けているのだ。
柚希の間合いは、初芽のそれより狭い。初芽にしてみれば、窮屈な距離で戦い続けているようなものだ。
仕事が丁寧なのはけっこうだが、このままでは埒が明かない。
無理矢理にでも押し込むかと思った、その気が僅かに緩んだ瞬間、とんでもない面撃ちが飛んできた。
これが、柚希の戦法だ。常に自分の有利な位置で立ち回り、隙をみつけては豪剣を放ってくる。
初芽は体を前に出して、鍔元で柚希の豪剣をさばく。
柚希の竹刀の切っ先が床を向いた。
この試合初めての隙。
しかし、初芽は踏み込まない。この次に来る柚希の一撃を知っている。
むしろ体を引いたのは初芽だった。
撃ちおろしを外された柚希の竹刀が、逆再生のように真上に跳ね上がった。初芽が手を出していたら、この竹刀に弾かれて致命的な隙を晒していただろう。
これが柚希独特の太刀筋、「戻り」。
外したと思った一撃を狙って反撃しようとすると、外れたはずの剣撃が即座に逆走してくるのだ。
しかも、竹刀ならただ真反対に切り返すだけでいいのに、柚希はご丁寧に、返す刀で斬り上げた時も手首を返して切っ先を相手に向けている。
柚希の竹刀は棒芸ではない。実戦と同じ戦い方だ。日本刀を使っても、これと全く同じことができるのだから恐れ入る。
柚希の「戻り」を見越して、初芽はこれ幸いと後ろに飛びずさっていた。
仕切り直しを図ろうとするが、しかし、柚希は初芽を捕まえて逃さない。たっ、と前に出る。
面鉄の中で、初芽が凄絶に笑っている。柚希が強いのが嬉しい。
まだ間合いを詰め切れていない、その刹那よりも細い一瞬、2人の間にある空間が初芽の間合いになった。
今度こそ、初芽は渾身の踏み足で床板を鳴らし、烈風の如き袈裟懸け、面狙いの一撃。
柚希は間合いを詰めようとして前に出ているからかわせない。
ならばと、柚希も真っ向からの面撃ち。
雷でも落ちたかのような打撃音がして、道場の中の歓声が完全に止まる。
打ち勝ったのは初芽。間合いを制していた分だけ力を込められていた。
柚希の上半身が力負けして泳ぐ。二の太刀を撃とうにも、体勢を戻す時間などない。初芽は弾かれた竹刀の勢いを殺さず逆胴を撃とうとした。
撃とうと力を込めた時、静かなものだから道場にいる隊士たちにも聞こえるほどの声で「あ」と言った。
面鉄を通して、柚希と目が合った。勝ちを望み、まだ勝負は決していないと主張する、その目。
柚希の上半身は泳いでいない。体勢を戻そうとしているのではなかった。
初芽に力負けして上に弾かれた柚希の竹刀が一瞬だけピタリと止まり、そこから先ほどと全く同じ軌道を描いた面撃ちが初芽の頭部をとらえた。当然、体を整えて撃とうとしていた初芽の逆胴よりも速く。
これも柚希独特の太刀筋、「重ね」。押さえたと相手に思わせた一撃を、全身のばねを使ってもう一度撃ち込み直す。外した一撃と全く同じ攻撃が来るわけがないという盲点を突いた一撃だった。
分かっていたのに、と初芽は面鉄の中で苦笑した。
「一本! 勝者、糸無柚希!」
今日一番の歓声が道場の中に響いた。
盛り上がりすぎて、タオルやら竹刀やらを投げる者もいた。
需莉は、一言も言葉を出さなかった。
今、目で見たものを、少しも忘れたくなかった。
「いやあ、今のは良かったな。先に打ち込めたと思ったが」
「私も、隊長に一本取られたと思いました」
初芽と柚希は面を外して、荒くなった息をついていた。
「お前が私に一本取ったのは、これで何回目だっけ?」
「十指にも満たないですよ。大会では初めてです」
「そうだっけかぁ? まあ、しかし、次は負けないからな。すぐに次のやろうぜ。来週とか」
柚希が困った風に笑みを浮かべる。房江はその横で呆れている。
初芽は柚希の腕を取って、高々と上げた。
「今回の優勝者は副隊長の柚希だ! もう一度拍手をくれ!」
宴の余韻の空気だった。
隊士たちは各々で今日の試合のことを話している。
需莉には、その相手がいなかった。
所在なさげに残っていたおにぎりを食べ終えると本格的にやることが無くなった。
今日はたっぷり疲れた。宿舎に戻ってそろそろ寝ようか。
開け放たれている道場の戸から外に出ようとした時に、大急ぎで駆け込んできた浅野とすれ違った。右手に紙の束を持っていた。
需莉とぶつかりそうになって「すみません」と言い残し、まっすぐに初芽の所まで駆けていく。今まで見た浅野は、どちらかというと朴訥で、あんなに急いでいるのは初めて見た。
需莉は出ようとした足を反転させた。
初芽は房江や柚希と楽しそうに何かを話していたが、浅野から紙を受け取って顔色を変えた。
「みんな、集まってくれ。警官隊から出動要請だ」
浅野は初芽から何か指示を受けると、紙の束を房江へ託して再び道場から出て行った。まだ本営内にいる隊士たちに、道場へ集まるようにふれて回るのだろう。
房江は近くにいる隊士たちに紙を1枚ずつ配っていく。
「これから市中巡察だ。当然、帯剣。2人以上で行うこと」
需莉は待っているのがじれったくて、房江のところまで近づいて、紙を受け取った。
(…………)
そこにプリントされている容疑者の顔写真を見て、全身の血液が逆流したかのような衝撃がはしった。
初芽が説明している。
「容疑者は、犀地澄雄。警察の中で内務調査が進んでいたのはコイツが原因だ。内務調査で逮捕されないために、繋がっていた犯罪者の自宅に潜伏していたらしい」
今すぐにでも走り出したい需莉だったが、なぜか初芽が喋りながらこちらに近づいて来る。
その目は、なんだか怒っていた。
もし需莉が犀地を追うために走りでもしたら、すぐにでも追いかけてきそうな迫力だった。
「それで、逮捕のために向かった警官2人を斬って、逃走中だ。丸の内警察署で、地域課所属。剣は、甲源一刀流で目録を得ている。素人じゃない」
初芽は話しながら、ついに需莉の隣にまで近づくと、肩に手を置いた。
ずしりとしていた。
これでもう、一人で勝手に駆け出すわけにはいかなかった。
「途中で他の隊士と会ったら、今の話をしてやってくれ。深追いは不要。斬られるくらいなら撤退しろ。可能なら数で押せ。私と副隊長も出る。本営の留守は房江とする。以上」
隊士たちの動きは迅速だった。大会の後のお祭り気分は消え去り、剣志隊隊士として道場を出て行った。
そんな隊士たちが、初芽に抑えられている需莉を不思議そうに見ている。
彼らは、犀地が8年前に需莉の父を殺したということを当然知らない。
「さて、荒織。私が今から何を言うかは予想がつくとは思うが」
「私は本営で待機、ですか?」
初芽は少しも笑わない。
「そうしたいのは山々だが、この犀地という男は、自分が捕まらないために、さらに誰かを斬るかもしれない。早く見つけるために、人手は1人でも多く必要だ」
「それじゃあ、見つけても生かして捕らえろ、ですか?」
初芽の表情は変わらない。
頭一つ分高い身長から、ぐっと需莉に顔を近づけた。
「復讐ではなく、隊務として刀を振るってくれるか? 無理なら無理と言ってくれ」
そんなの無理だ。
父親が死んでから8年。
1日だって、この男を忘れたことはない。
(しかし、それを言えば)
どうなるかは火を見るより明らかだ。
だから、需莉は嘘をついた。
「大丈夫です」と、真面目な顔で答えた。
「信じていいんだな」
胸が本当に痛かった。鈍器を叩きつけられたかのように気管が苦しかった。
だけど、この機会を見逃すわけにはいかなかった。
最悪、犀地は今日これから、剣志隊か警官の誰かに斬り殺される。
(最悪、か)
「大丈夫です。隊務として刀を振るいます」
きっと初芽は、本当に、私を行かせたくはなかった。
でも、人手が必要というのは本当で、急がなくては死人が増えるかもしれなくて。
ごめんなさい。
「柚希。荒織を頼む」
「承知しました」
初芽の手が自分の肩から離れた。それが、何か、突き放されたような気持ちにさせられた。
「それじゃあ、出る準備をしよう、荒織。急ぐぞ」
「はい」




