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姉、斬る、妹―2805年、東京国の凶賊始末記―  作者: 羽法 伊助
6話:【荒織需莉】私は紫焔に焼き尽くされる
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6-8

 外に出ると同時に、時の鐘が昼七つ(16時)を告げているところだった。

 まだ気分が昂っている。

 気持ちを落ち着かせつつ、巡察を兼ねて遠回りをしながら本営に戻ろうと思った。

 

 昭和通りに入ったところだった。

 既に今夜の酒を求める人のために露店がいくつも並んでいるのだが、そのうちの一つで男が大声を上げていた。

「金なんかねぇ! 酒1杯を恵んでもくれねぇのかよ!」

 粗末なシャツに泥だらけの黒いパンツ姿で、いかにも肉体労働者という体裁だった。既にどこかで酒を呑んで出来上がっている。それで有り金を使い果たしたのに、はしごをした挙句に無銭飲食を企んだらしかった。

 剣呑なのは、その男が右手に鞘を払った白鞘(しらさや)の刀を提げていることだった。

 既に露店の店主は離れている。

 代わりに、警官が1人、刀を抜いて構えていた。

「そ、その刀を捨てなさい! で、でないと、本官は……」

「斬るっていうのかよぉ! やってみろよ! こちとら、もう失うものは何も無ぇんだ!」

 警官は見るからにへっぴり腰だった。犯罪者を制圧する腕ではなく、学力を評価されて警官になったのだろうと需莉は想像した。じゃあ、警官になんかなるな、と心底思う。

 しかし、警官は1歩も引かない覚悟らしい。放っておくと、この警官が斬られてしまうかもしれない。手助けする他なさそうだった。


 巡察は一人でもう何度も出ているが、いざこざに遭遇するのはこれが初めてだった。

 意識して息を吐いて弱気を追い出すと、需莉は刀を抜いて警官の横についた。

 男が需莉に気づいた。

「なんだ、てめぇ! ガキのくせに正義の味方気取りかぁ?」

 こういう時に、最初にどうするかを柚希に教えられていたので、実行する。

「剣志隊だ。お縄につくか?」

 それで観念してくれるかとも思ったが、需莉の身なりと態度では足りなかったらしい。

「ガキが何言ってんだぁ? あぁ? 斬るつもりかよ。おぉ?」

 需莉は邪魔な警官を後ろに下がらせた。彼としても斬り合いに参加する気はないらしく、5歩以上は離れた。

「本当に刀を捨てる気は無いのか?」

「あるわけねぇだろうが、このガキが!」

 男は刀をぶんぶん振り回しながら、需莉に近づいてきた。

(確かに、素人か)

 どこかで剣道を齧(かじ)っているということもないらしい。これなら制圧は難しくない。

 斬る必要も無かった。

 男が刀を振り切ったのを見定めると、低い姿勢で踏み込んだ。

 その時には、手元の刀を半回転させている。

 男が需莉の素早い動きに面食らったのと、需莉の刀の峰が男の首筋に叩き込まれたのは、ほぼ同時だった。

「制圧」

 需莉が背後の警官に声をかけて、警官が「はっ」と気づき、慌てて手錠を取り出す。

 刀を手放して痛ぇ痛ぇと悶える男の両手に手錠をはめて、ほっと一息ついたようだった。

「ありがとうございました。大変助かりました。これでこの男を――」

 その時、需莉の中から赤い怒りがカッと飛び出した。

「市井の人々を守るなら、もっと腕を磨け!」

 自分が叫ぶとは、自分でも思っていなかった。

 急いで刀を鞘に納めると、「ごめんなさい」と言って需莉はその場を急いで離れた。

 怒られた警官は目を丸くしていた。


 本営に戻ったのだが、今の一件を報告しなければ。

 事務方に言うと良いのだろうか。

 玄関で草履を脱いで事務方の部屋に行こうとした時、高校から本営へ直行したらしい柚希が需莉に気づいた。

「荒織、巡察で斬り合ったのか?」

 その言葉に需莉は驚いた。

「すごいですね。そういうのって、雰囲気だけで分かるものですか? 報告しなきゃと思って――」

「そうじゃない」

 ぐいっと柚希が需莉の右腕を掴んだ。

 二の腕の袖が斬り裂かれ、血が滲んでいた。

 いつ斬られたのか……。全く気付かなかった。

 深くはない傷だったが、気づいた途端にじくじくと痛みだした。

「不覚でした。相手は素人だったんですが、踏み込んだ時に一太刀入れられたようです」

「すぐ診てもらえ」

「大丈夫ですよ。水で洗っておけば平気です。それより報告しないといけないかなと」

 柚希が需莉の腕を掴んだまま歩き出すものだから、需莉は慌てた。

「刀傷っていうのは、放っておいたら駄目なんだ。そこを甘く見て病気になる隊士が1年に必ず1人は出る」

「そうでしょうか。包丁で指を切ったってこと、何度もありますけど」

「そういうのを、甘く見てるっていうんだ」

 柚希はそのままぐいぐいと需莉を引っ張るものだから、ついていくしかなかった。

「どこに行くんですか?」

「医務室だ」


 柚希がノックをすると、中から「どうぞ」という声。

 中に入って、需莉は驚いた。

 金髪の、明らかに自分より年下の女の子が白衣を着て、どうやら医務室の中のあちこちを雑巾がけしていた。

 剣志隊に外国人が入隊した、というのは町中にある掲示板の張り紙で知っていた。だが、今日までこの子を本営で見掛けることはなかったので、この目で見たのは初めてだった。当然、生きて動いている外国人を見るのも初めてだ。

「怪我人だ。今、診てもらえるか?」

 怪我、と聞いて、女の子が手に持っていた雑巾を洗面台に投げ捨てると、急いで両手を洗い出した。

「大丈夫です。すぐ診ます」

「じゃあ、よろしく頼む。この子は、刀傷について知らないから、そのあたりを教えてやってくれ」

「了解しましたっ」

 柚希が医務室を出て行った。

 出る直前、柚希が需莉に飛ばした横目は、存外、優しいと需莉は感じた。

 心配をかけてしまったらしかった。

「それじゃあ、そこに座ってくださいね」

 需莉が言われた通りに腰かける間に、少女は洗った手を、さらに霧吹きで濡らす。この匂いは……お酒? 相当に強そうだが、消毒だろうか。

「えっと、こうやってお話するのは初めてですよね?」

「うん、そうだね」

「私は、剣志隊で医師方をやっております、エリザ・ホワイトウェルといいます。よろしくお願いします」

「あ、うん、よろしくお願いします。私は、荒織需莉」

 カタカナの名前の少女が流暢に日本語を喋っているというのが、とてつもない違和感だった。

 が、エリザは真剣極まりない目で需莉の傷を見ている。茶々を入れている場合ではないので、需莉は黙った。

 夕暮れでは明かりが足りないらしく、エリザはデスクの処置灯をつけて傷を照らした。

「浅いわけではないですけど、縫うほどではないですね。良かったです」

 ちょっと切れ込みを入れられただけと思っていたので、まさか縫うなんて単語が出てくるとは思っていなかった需莉は驚いた。

「こんな傷で死にようが無いと思うけど、なんで大騒ぎになるの?」

「刀を使った後、血振ったり懐紙で血を拭うことはしても、消毒までしてる人なんていないですよね?」

「そうだね」

「だから、刀の刃ってものすごく汚いんです。そんなもので斬られてしまったら、傷から何か悪い菌とかウイルスが入る場合があるんです。しっかり消毒しないといけないんですよ」

 ああ、そうなのか、と需莉は納得した。一つ賢くなった気がした。

「それじゃあ、処置しましょう。すぐに終わりますよ」

 そう言って、エリザが優しく微笑んだ。

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