6-5
需莉は目を皿にして、怪しい人物がいないかを気にしながら歩いていた。
ただ、柚希の話を聞いた後なので、歩くだけで需莉の背中は緊張でどうしても固まってしまう。
そんな様子が、柚希にはちょっと可笑しかったらしい。
「そんな風にしていると、剣志隊だとこれ見よがしに宣伝しながら歩いてることになってしまうぞ」
そうは言われても、死と背中合わせの散歩となると……
「余分な力を抜くというのも、剣士には必要なことだ。力んでると、咄嗟に動こうとしても後れを取ってしまうから」
そんなことも分かっている。だが、しかし……。
「まあ、場数を踏むしかないね。大抵の新人隊士は、今の君みたいになるものだ」
む、と少しばかりの反感が需莉の中で生まれた。他の新人と一緒にされるのは業腹だった。
一度胸を反らせて力を抜いたあと、できるだけ自然な姿勢で歩いた。
それを見て柚希が「まあ、それならいいかな」と言った。
まだ及第点か、と思った需莉は、それからも体のあちこちをくねくねさせながら歩き続けた。
隣で柚希が小さく笑っている。
巡察中、剣志隊隊士と思しき少年少女が見えると、柚希は進路を変えた。
できるだけ、他の隊士とは違う道を歩くことで、少しでも広い範囲を巡察するということらしかった。
「そういえば、荒織は勉強は得意か?」
視線を前から外さないまま、柚希はそんな話題を振った。
「得意というほどでもありません。入隊考査に合格するために、かなり勉強しました」
「隊内では定期考査がある。そこで赤点をとると除隊だ。学力維持もしんどいだろうが、勉強も続けるように」
「副隊長は、勉強は得意なんですか?」
見た感じ、柚希は自分とほとんど同じ年齢だ。だったら、同じように苦労しているはずだが。
「私は、勉強は別に嫌いじゃないから……」
言いにくそうにしているが、要するに、テストやらで困るような学力をしていないらしい。
心底、羨ましかった。
「あとは、道場の稽古に顔を出していないと、いきなり隊長から抜き打ちで試合稽古をさせられる。そこで情けない姿を見せたら、除隊だ」
「顔さえ出していれば大丈夫なんですか? それもどうかと思いますけど」
「安心していい。剣の腕が落ちてきても、やっぱり抜き打ちが入る」
さすがに剣一本で市井の治安を守る部隊なだけはある。強さというものが重要だということだ。
再び隊士らしき人影を見て柚希が道を曲がった。
そこは需莉にとって、懐かしい道だった。
同時に、あまり行きたいとは思えない道だった。
江東区永代。右手に煙草屋。左手は大き目の古本屋。
その先に……。
需莉は、足を止めてしまった。当然、柚希が不思議そうにしている。
「どうした、荒織」
そこは、古びた道場の前だった。
いや、壁板のあちこちが割れていて、既に塗料が残っている部分もない。戸板も近所の輩に何度も蹴りこまれていて、上半分が割れてしまっている。
そして、正面の壁には大量の朱墨で「人殺し」と書いてあった。
柚希には、それでこの道場が何なのかに思い当たったらしい。目を伏せてしまった。
「ちょっと中に入ってもいいでしょうか」
需莉の問いに、柚希は「いいよ」と答えた。
ぎりぎり屋内であることを保っている道場だった。
あちこちに穴が開いて風雨も容赦なく入ってくることだろう。ここで雨風を凌ごうという気にはならないはずだ。
中央まで来て、需莉は足を止めた。
養護院に入る前、需莉は毎日、この道場のこの位置に立っていた。
今でも、自分に剣の道を叩きこんでくれた父の姿を思い浮かべることができる。
「私の家族のことは知ってるんですよね?」
需莉の後ろに立っている柚希が答える。
「身元調査の結果には目を通している。間諜が入り込まないように」
「実は、私が犯罪者の子なのに剣志隊に入隊できたことに驚いています」
治安維持部隊に犯罪者の親類が入れるとは、需莉は思っていなかった。
親がすることと同じことを子がするかと言えば、そうではないとは分かっているが、しかし、清廉であるためには、そのような者を入れるはずがない、と。
背後の柚希に体の向きを変えた。
柚希は、迷っていた。視線を落として、特に意味のない床板をじっと見つめていた。肩ほどの髪の影が床板に落ちている。
しかし、答えが出たらしい。
柚希は視線を需莉と合わせた。
「安心していい。私も同じで、父が犯罪者だ。隊内では、私の親のことはほとんどの者が知ってる」
勇気が要ったろう。黙っていることは簡単なのに、この人は、そんなことを話してしまえるのか、と需莉は内心で驚いていた。
「どんな人だったか、聞いてもいいですか?」
柚希の口元に浮かんだ笑みは、自嘲だろう。
その気持ちが需莉にはなんとなく分かった。
なぜだろう。身内の良くない過去を話そうとすると、不思議と笑ってしまう。
「離れて暮らしていて、時々しか会っていなかったけど、大嫌いだった。悪いことをしているというのは子どもでも分かったから。頼んでもいないのに、剣の稽古をつけてくるんだ。お陰で変な癖がついて、今でも直せない」
「今も会ってるんですか? 副隊長が犯罪者と会ってるとしたら問題じゃないかと思うんですけど」
「もう生きていない。3年前、隊長が斬った」
斬った、という言葉が重過ぎて、需莉は相槌を打つこともできなかった。
肉親を斬った人が隊長。
この人は、どんな気持ちで副隊長をやっているんだろう……。
「隊長のこと、恨んでいたりしないんですか? 私なら、その、少しは隊長を恨んでしまいそうです」
柚希は、鼻から息を吐いた。胸の中につまっていた思いを吐き出したみたいだった。
「それなら大丈夫だ。父は極悪人だった。道端で出会ったなら、即座に斬り捨てなければいけないほどのね。そして、その時は私はもう剣志隊隊士だった。隊長でなくても、あの男と会ったなら斬ったはずだ。たとえ、私でも」
自分の父親も極悪人だとしたら……。
同じように考えるんだろうか。
「君の父親は、どうだったんだ?」
需莉は、柚希のように回答に困ったりはしなかった。
「好きでした。私に剣を教えてくれた剣客です。私、父は無実だって今も信じてます」
「それは……」
柚希が言い淀む。
事件の後、父を斬った警官は罪に問われなかった。
つまり、斬られた父は無実ではなく、斬られても仕方のない咎があった、と判断したということだ。
「でも、私はそう信じてるんです」
「……そうか」
父が死んでから、父のことを話すことができたのは、養護院の教師や児童福祉局のカウンセラーを除けば、これが初めてだった。
相手が柚希でなければ、とてもこんな風に話せなかったと思う。
「私と副隊長って似てるかと思ったんですが、似てないですね。父親への気持ちが正反対だから」
「そうかもな」
柚希も穏やかな表情だった。
思わぬ時間を食ってしまったので、そろそろ出ようと需莉が言おうとした時だった。
「あ、剣志隊の方でしたか」
壊れかけの戸が横にずれて、警官が顔を覗かせていた。
少しだけ色の明るい黒髪に、鼻の横に刀傷。
自分の顔がみるみる強張るのが分かった。
「話し声が聞こえたので、浮浪の者や犯罪者と思ってしまいました。こういった空き家には、よくそういう連中が入り浸るんですよね」
柚希がよそいきの、きりっとした表情に戻っていた。
「ご迷惑をおかけしましたね。ちょっとここで話をしていただけです。私たちはもう出ます」
「なんだかすみません。私は一応、この奥も調べますので」
言いながら、警官が背中を向ける。需莉には、その先に何があるかは当然知っている。奥から居間につながり、もっと奥に行けば台所と寝室だ。
突然、柚希の手が自分の右手に触れた感触がして、体が飛び上がりそうなほど驚いた。
需莉の右手は、刀の柄に触れようとしていた。それを、柚希の手が止めていた。
「出よう、荒織」
外に出た後も、需莉は道場から目が離せなかった。
「どうしたんだ、荒織」
喉が強張ってうまく喋れる気がしなかった。
それでも、言葉を絞り出した。
「私の父を斬り殺したのは、今の警官です」
柚希は静かに、需莉と同様に道場の奥へと目を向けた。
もう警官は奥に行ってしまって、その姿は見えなくなっていた。
柚希は需莉の背中に手を当てて言った。
「そろそろ本営に戻ろうか」
「……分かりました」
需莉としても、そうしたかった。
今一人きりでいたら、あの警官が外に出るまでここで待ってしまって、そして、刀を抜いてしまいそうだった。




