6-3
翌朝、日が昇って身支度を整えると、誰にも声をかけずに養護院を出た。
土曜だから、運動場で朝から遊ぶなんていう子もいなかった。今頃、惰眠を貪っていることだろう。
静かな出発になって助かった、と需莉は思った。
ふと視線を感じて後ろを振り返ると、養護院の入り口あたりに誰かが立っているのが見えた。
起こさないように、音を立てずに出てきたのに。
愛実だった。
こちらに手を振っていた。
需莉は少し迷って、少しだけ手を振り返した。
そして、背中を向けた。
まだ愛実がこちらを見ているような気がしたが、もう振り返らなかった。
築地本願寺に着くと、まっすぐに宿舎を目指した。
合格通知書には、「昼四つに宿舎の大広間に集合」と書いてあったからだ。
土曜で休みだというのに、何人かの隊士らしき少年少女が腰に日本刀を帯びて本営を出ていくのを見やる。
需莉は玄関で草履を脱いだ。
大広間はけっこうな人数がいて賑わっていた。食堂で朝食を食べている者、道着姿で雑談している者。
どうしたら良いか需莉が立ち尽くしていると、小ぢんまりした少女が近づいてきた。綺麗な小紋姿なので可憐な少女と思わせつつ、腰に日本刀を帯びているので、やはり隊士なのだろう。
「えっと、荒織需莉さんですか?」
可愛らしい声だった。まだ中学生だろうか。
「はい。今日からこちらでお世話になります」
需莉がお辞儀をすると、少女も合わせてお辞儀をしてくれた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。私は、棚網圭子といいます。隊長から、荒織さんへの説明の役を任されました」
そう丁寧に挨拶をしたあと、袂からメモ帳を取り出した。きっとそこに、今から説明することを書き込んであるのだろう。もしかしたら、説明役を仰せつかるのは初めてなのかもしれない。
「まずは、道場のことを説明しますね」
そこから圭子は丁寧に説明してくれた。
道場の更衣室は広くて、防具がぎっしりと詰め込まれている。
「今はまだ荒織さん専用のものは無いので、前垂れに名前が書いてないものを使ってくださいね。後で、事務方から採寸されると思うので、よろしくお願いします」
次は宿舎だった。
1階にあるシャワー室を案内された。
「シャワーは使いすぎると水が止まっちゃうので注意です。あと、ありがたいことに温水が出るんですけど、2分間だけです。寒い日でも、手早く洗ってください」
続いて1階の大広間。学校に通ったことのない需莉には、とてつもなく広い空間に思えた。
「隅っこに食堂がありますが、朝昼晩に賄い係の和美さんが食事を出してくれます」
ここで内緒話のように、圭子は顔を寄せて言った。
「和美さんの食事は、本当に美味しいんですよ。楽しみにしててくださいね」
そう言われて、需莉は無反応だった。何らか明るい反応を期待していた圭子は顔を赤くして俯いた。
「えと、ごめんなさい……」
「いえ……」
謝るべきは自分だろうと思ったが、しかしどんな反応をするべきか分からずに、それだけ言うのが精いっぱいだった。
その後は、宿舎の2階より上について説明してくれた。
1階につき複数の部屋があり、そのうちの一つの戸を開けた。
中は、養護院の私室に似ていると思った。広くはない部屋に、2段ベッドが4基。机などの調度は無いので、本当に寝るだけの部屋だ。
「本営待機や帰宅禁止を命じられた時は、みんながここに泊まります。あと、通いでなく住み込みの隊士もいますよ。荒織さんは……」
「はい。私も住み込みのつもりで来ました」
「じゃあ、荷物は好きな所に置いておいてください。空いてる部屋ならどこでも使って大丈夫ですから。住み込みの人には、私物をしまうための小さな棚くらいなら設置が許されると思います」
ふと需莉は気になった。
「住み込みの隊士って、どのくらいいるんですか?」
圭子はちょっと考えて、「そんなに多くはないですけど、副隊長が住み込みです」
副隊長。入隊考査で、最後に試合稽古の相手になった人か。
あの人も、帰るべき家がもう無いのか。
「私の説明は以上です。何か質問はありますか?」
圭子は丁寧に説明してくれたので、気になるところは無かった。
「大丈夫です」
「それじゃあ」ぱっと圭子の表情が明るくなった。一仕事終えた、という気分なのだろう。「荒織さんは、今日これから巡察に出るそうなので、大広間に戻りましょう」




