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姉、斬る、妹―2805年、東京国の凶賊始末記―  作者: 羽法 伊助
6話:【荒織需莉】私は紫焔に焼き尽くされる
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6-2

 入隊考査が終わってから数日経った。

 合否の連絡が来るまでの間、需莉は落ち着かない気分を外に出ないようにするのに苦労した。

 朝は誰よりも早く目を覚まし、養護院の周りを走って基礎体力作りに努める。

 汗を十分にかいたところで、運動場に一人立ち、竹刀の素振りを始めた。図書館で読んで覚えた9種類の素振りを順番に、1種につき100回ずつ。一巡したら、もう一巡。

 一心不乱に続けているところで、養護院からランドセルやら学生バッグやらを持った子どもたちがわらわらと吐き出されていくのが見えた。比較的、身なりが整っている、学校に行く組だ。

 需莉は素振りを続けた。

 そのうちに、需莉と同様に汚い小紋を着た子たちがのっそりと出てきた。

 朝の授業が始まるまでの間を、運動場で過ごそうという子たちだった。

 そのうちの数人が需莉を見つけて近づいてきた。

 嫌なことが起こりそうだ、と需莉は思ったが、しかし彼らから逃げるような真似はしたくなかった。気にせずに竹刀の素振りを続けた。

「おい、荒織。剣志隊のテスト、受かったのかよ」

 声をかけてきたのは、特に眼つきの悪い少年だった。需莉より年上だろう。18歳になったらここを出て行かなくてはいけないのだから、そろそろ身の振り方を考えるべきだが、そういう事にまだ気づいていないらしい。

 需莉は無視した。

「なんだよ、お前。もう隊士サマのつもりか? 父親が人殺しじゃあ、受かりそうもない――」

 そう言われた瞬間、まだ生きていた頃の父の顔の、軽く100日分が需莉の脳裏を一瞬で駆け巡った。

 そう思った時には、需莉の胴撃ちで少年が悶絶していた。

 ちょうど、これから授業を始めると呼び集めようとしていた教師が小走りで駆け寄ってきた。

「荒織さん! なんでこんなひどいことするの!」

 需莉は目を伏せたまま、「全然本気じゃありません」

 確かに言葉通りで、少年は痛がりつつも既に立ち上がっていた。憎悪の目で需莉を睨みつけていたが。

 教師は呆れたように息を漏らした。

「それじゃあ、お勉強の時間よ。みんな、教室に入ってね」


 1時間目の国語の授業が終わった時、需莉は教師に手招きされた。

 もしやという予感があったが、こっそり耳打ちされた。

「入隊考査の結果が届いたわ。院長先生の所に行って結果を聞いて」

 分かりました、と言って、需莉はすぐに院長室に向かった。2時間目のことなんて頭の片隅にもない。


 この養護院の中では比較的立派な院長室の戸を叩くと、中から「どうぞ」という声。

 中に入ると、院長が机に座っていた。穏やかそうな初老の男だったが、元は警官隊で所轄の署長まで昇り詰めたと聞いている。そんなわけで、需莉はこの男が嫌いだった。

「荒織さんだね。じゃあ、ちょっと待ってて。担任も呼んでくるから」

 需莉は一人残され、立ったまま待っていた。入隊考査の結果発表というのは、思いのほか重大な出来事らしい。

 しばらくして院長が担任を連れて戻ってきた。今朝、需莉の胴撃ちを咎めた教師だ。

「それじゃあ、これが通知書だ。中を開けてみて」

 開封されてはいないので、院長たちも早く中を知りたいというところだろう。

 隅を破って中を見ると、1枚の紙切れ。

 その冒頭部分に「合格」の字を見つけた。

 需莉は、安堵の息を長く長く吐いた。この数か月の苦労が報われた気がした。

「どうだね?」

 院長の目が早く教えろと急かしている。需莉は、その通知書を院長の机に置いた。「合格のようです」

 それに間違いが無いかを確認するように院長が通知書に目を通した。そして、安心したように笑みをこぼした。本気で嬉しそうだった。

「良かったね。荒織さん。ご苦労様」

 担任教師が同じく通知書に目を通している間に、院長が言った。

「特に用意しなければいけないものは無さそうだね。明日、本営に来るようにって、土曜でも働いているんだねぇ、剣志隊は」

「今までありがとうございました」

 それを聞いて、院長が少し慌てた。が、何か言う前に担任教師が口を挟んだ。

「それじゃあ、お住まいは剣志隊の方に移るのかしら?」

 院長が担任教師を睨んだ。それは、需莉にとっては予想もしていない反応だった。

「ここからでも十分、通えるよ。出なきゃいけないってことはないんだ」

 需莉は首を左右に振った。

「いえ、これ以上お世話になるのは良くないと思います。明日、ここを出ます」

 院長は腰を上げかけて、しかし再び椅子に腰を沈めた。

「何か困ったことがあったら、すぐに戻って来て。また顔を出してくれると嬉しい」

 このじじいは何かよこしまな企みでもあるのか、と思わせられるくらいの好々爺ぶりだった。

 ただ、需莉はそれを顔には出さなかった。出ていない、と思う。

「分かりました。そうします」


 2時間目以降の授業は全て出なかった。入隊考査の筆記試験にまるで追いついていない授業に、今さら出る必要は無かった。

 ただ、暇だということは無かった。図書館から大量に本を借りているため、需莉は何往復もして全ての本を返すのに時間を費やした。住所が変わるのだから、本を借りるのに使っている図書カードは剣志隊の身分証のようなものが発行された後に作り直さなければいけないだろう。

 私物をまとめ始めた頃には、日が傾いていた。

 とはいっても、持っていく私物などほとんどない。僅かな小遣いを貯めて買った竹刀の他は、勉強道具と、無駄遣いをしないで貯めていたお金だけだった。

 図書館の行き来にも使った風呂敷を広げてどう包むかを考えている時に、愛実が帰ってきた。

「荒織さん、入隊考査に合格したんだってね。おめでとう」

 またしくじった。教師たちに口止めするよう言っておくべきだった。

 需莉は小さな声で「ありがとう」とだけ言った。

「手伝おうか? それを全部包むのは大変じゃない?」

「大丈夫。一人でできる」

 需莉は愛実の方を見もせずに断った。愛実は「そう」とだけ言った。

 きまずい沈黙だった。

 どうして愛実は、こんな自分にいつまでも優しくしてくれるのだろう。

「剣志隊の本営に引っ越したら、もうこっちには戻って来ないの?」

「そうだね。もうここには用事は無いだろうから。保護者の署名が必要みたいなことがあったら、来るかもしれないけど」

「そう……」

 言いづらそうなことがありそうだった。口をもごもごさせていた。

 ようやく勇気が湧いたようで、言った。

「弟が、剣道場に通ってるの。荒織さんにも、弟に剣道を教えて欲しかったな……」

 名状しがたい気持ちが胸に湧き上がってきた。

 うん、とも、嫌、とも違うのだが、じゃあ何なのかというのが分からなかった。

「そう」

 目いっぱい考えて、なんとか絞り出したのが、そんな言葉だった。

 愛実も沈黙が限界だったようで、「多目的室で勉強してくるね」と言って、ノートと参考書を引っ掴むと、部屋を出て行った。

 一人で残った需莉は手早く荷物をまとめて、あとは2段ベッドの下に寝ころんだ。

 明日から剣志隊での生活が始まるというのだから、期待に胸を膨らませるみたいな明るい気持ちになるとは思っていたのだったが、そんなことはまるで無かった。

 憂鬱だった。

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