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姉、斬る、妹―2805年、東京国の凶賊始末記―  作者: 羽法 伊助
5話:【鯉志川瞳】軽やかに、茫々と
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5-5

 瞳が、MIHASHI製の刀「シャーク」72.72cmモデル(二尺四寸)で、今まさに綾井に斬りかかろうとしていた。

 驚いたのは、純也である。瞳が刀を抜いている所を見たのは初めてではない。しかし、瞳が人に斬りかかろうとしているのを見たのは、これが初めてだった。

「お兄ちゃん、下がって」

 純也は素直に従った。出かけようとしていた店先から、店内へと後ろずさる。

 しかし、店内の奥まで引っ込むつもりはなく、そこから身を固めて綾井を見ている。睨んでいると言ってもよい。

 瞳としては、姿が見えなくなるくらいに、どこかに逃げていて欲しかったが、本人にその気がない以上、それは望めなかった。

「あなたは、昨日の子ですね。鯉志川瞳ちゃん、ですか」

 瞳は、自分の胸がむかついてくるのを感じた。よく知らない男に名前を呼ばれるだけでも不快なのに、犯罪者ではなおさらだった。

「うちの兄に、何か用ですか」

「いえね、人質になってもらおうと思いまして」

「それで、どうして私の名前を知っているんですか?」

「そりゃ、国塚さんに教えてもらったんですよ。名簿をもらうつもりだったんですよ」

 瞳は頭の中で舌を打った。

 心配していた通りだった。

「国塚君によれば、君に兄がいることが分かった。それで、人質になってもらおうと思いました」

 つまり、瞳が出るには、最後の機会だったと言える。もし瞳が兄の様子をもう少しの間だけ遠目から見ているだけだったら、この2人に純也が誘拐されるところを見送るはめになるところだった。

 綾井はツカにかけた手を解き、連れの男に目をやった。

「では、後は頼みます。例の場所で待っていますが、待てるのは今日の夜までです」

 男が頷く。

 綾井は背を向け、ゆっくりと離れて行く。まるで犯罪者らしくもなく、それが大物のような素振りだった。

 瞳は綾井を追いかけ、その背へ斬りかかりたかったが、この傍らのスキンヘッド男が許しはしないだろう。

 シャークの切っ先を男へ向け、下段に構えた。

 綾井の仲間らしいが、当然、初見。もし隊長の初芽と同程度の腕だった場合、自分が斬り死にする可能性が高い。

 せめて少しでも情報を、という気持ちで聞いてみた。

「聞きたいんですけど、国塚って男には、会った?」

 男は笑みを消さない。

「会った。だが、話はしていない。あの男は綾井さんに捨てられた」

 ああ、そういうことか。

 剣志隊の国塚から剣志隊の動きを聞くという算段はつけたものの、自分がその場を目撃してしまった。

 もし誰にも知られないままなら、国塚は間諜として初芽のスケジュールやら、剣志隊の宿舎の合鍵やら、外部に出してはいけないものを洗いざらい持ち出していただろうけど、瞳が目撃したことによって、注意深い綾井は国塚との線を即座に切ったのだろう。

(国塚は用済みになったんなら、今どこで何をしているのだろう)

 男は油断なく瞳の挙動を見つめたまま、ゆっくりと刀を抜いた。

 隙あらば切り込んでやろうと瞳は思っていたが、その隙は無かった。

 男は上段に構えた。

「やり合う前にもう一つ聞いていいですか」

 瞳の質問に、男は少しだけ眉を動かした。

「なんだ」

「名前、教えてください」

 その質問に、男はさっきしたように、口元に小さい笑みを浮かべた。

「そんなことを聞いてどうする」

 もちろん、この争闘が終わったら、名前を報告して調べてもらうためである。

 そう思ったのだが、男は何も答えなかった。

 ちぇっ、と瞳は名前を聞き出すのをあきらめた。そんな簡単に運ぶものではなかった。

 男は気合を発すると、真っ向から切り下ろしてきた。

 瞳はそれを物打ちでさばくが、手首に尋常でない重みを感じた。男女の膂力の差を考えても、この差は大きい。

 この男、並大抵の使い手ではない、と瞳は思った。

 二撃、三撃、と続く男の剣を嫌って瞳は後ろに飛びのいた。

 視界の端に、兄が映る。

 ああ、お願いだ。

 こんなところを見ないで欲しい。

 斬るのも、斬られるのも嫌だ。

 一人きりなら、構わない。もしくは、知らない人間なら見ていてもいい。

 だが、家族には。

 自分の体が固い、と瞳は思った。いつものような自然体で刀が振るえない。

 そんな瞳の不調に、男も気づいていた。

 男はさらに調子付き、瞳の頭頂に向かって、雷のような勢いで刀を振り下ろした。


 瞳の強みは「たん」だけではない。

 たまにしか顔を出さない「たん」だけでは、隊内で巧者という評価を受けることはできない。

 長所の一つに、体のこなしが剣士らしからぬ動きを見せるところも、よく隊内では話にあがっている。

 下段に構えていた瞳は、突然に右足を踏み鳴らし、その爪先で男の喉元を狙った。

 剣だけに全神経を集中していた男は、瞳の蹴りで体勢を崩した。斬り下ろそうとしていた刀が揺れた。

 あろうことか、瞳は一瞬動きの止まった男の刀を蹴飛ばした。

 止まっているならいざしらず、自分を斬ろうとする刃物に足で触れるなど、とんでもない胆力である。

 男は蹴飛ばされても刀は掴んだままだった。なんとか体勢を取り戻そうとしている。

 瞳は蹴り上げた足を勢いそのままに、地面を踏み込んだ。

 「たん」と呼べるほどではなかった。が、その勢いで、瞳は男が構えを取り戻すより早く間合いへ入り込んだ。

 横っ飛びに飛びつつ、瞳のシャークは男の右胸を切り裂いた。肋骨を砕き、肺まで達した。

 右半身から血を撒き散らしながら、男はぼんやりと瞳を見やった後、どさりと倒れた。その後数秒して、男は絶命した。

 瞳は、自分が激しい音を立てて呼吸をしているのに、やっと気づいた。どうやら死に物狂いだったらしい。

 懐紙を取りだし、シャークの刃についている血を拭うと、震える手で刀を鞘に納めた。

「……お兄ちゃん」

 やっとの事で絞り出した声は、純也に届いた。

「なに」

「今日、アルバイトは早退してよ。家に、一緒に帰りたい」

 そんな形でも、瞳が兄に甘えるということは少ない。純也は驚いていたようだった。

 やがて、「店長にお願いしてみる」と言って、やっと店の中に引っ込んだ。

 兄の視線が無くなって、瞳はその場にへたりついた。

 今、生きている。真剣で斬り合ったが、まだ生きている。

 死んでいないという事に違和感を覚えるほどに、死線に迫っていたようだった。

 改めて、自分がどのような仕事をしているのだと理解させられた。

 人はいずれ死ぬが、剣志隊にいるという事は、ずいぶんと寿命を縮めることになるだろう。

 そうすれば、兄とも、郷里にいる父や母と一生会うことは出来なくなる。自分を今まで育ててくれた父や母に報いることが出来なくなる。

 死ねば、出来なくなる。

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