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「築地を巡察するなら弁当買いてーなぁ。まだ夕食食ってないんすよ」
「この鈴本とやらを発見できなかったら、弁当でもハンバーガーでも好きなものを買っていい。それまでは気を抜くなよ。財布を出したところで背後からブスリとやられかねんぞ」
「怖いこと言わないでくださいよ」
そう言いつつ、志位は笑っている。隊士として斬り合いを複数経験しているだけあって、まだ心の余裕がある。
築地には飲み屋も多い。道端に椅子と卓を並べ、夜になれば蝋燭や提灯も用意して、屋台の魚やおでんを肴に酒を呑むのが、この辺りの夜の光景だった。
大通りで暮れかけの夕日を頼りに酒を呑む人々の間を柚希と志位が歩くと、彼らは眉をひそめて目を逸らした。彼らが剣志隊であるということは年齢と腰に帯びた日本刀で分かるのだ。
「どうだ。鈴本はいそうか」
柚希の質問に、志位が目を細めて大通りの人々をくまなく見渡している。
「今はいなさそうっす。ちなみに変装してたらどうするんすか」
「どうもしない。見つけて、捕らえるのが私たちの仕事だ」
「へーい。頑張るっす」
そう軽く請け負う志位が、突然に足を止めた。
真面目な顔をして、大通りのどこかを凝視している。
柚希も足を止めた。
自然、腰の刀を意識した。見つけたのなら、斬り合いになる可能性が高い。
「いたのか?」
「えーと、あそこの小牧屋って屋台なんすけど。100メートルくらい向こうの、赤い暖簾のやつ」
志位は目が良い。柚希には、赤い暖簾の屋台と、その前に置いてあるテーブルで男が数人、酒を飲んでいるらしいのは分かる。だが、男たちの数や顔までは分からなかった。
「あそこで3人、呑んでるやつがいるんですけど、そのうちの1人が鈴本に見えますね」
「さっきの紙を出して」
志位が小さく折り畳んだものだから見づらくなってしまったが、それでも写真の顔をもう一度頭に叩き込む。
柚希と志位が再び歩き始める。もう志位は軽口を叩かない。右手の振りが小さいのは、いついかなる時でも即座に刀を抜くためだ。
近づいてきたところで、男が3人いて、いずれも刀を帯びているのが柚希にもはっきり見えた。金に余裕でもあるのか、男たちは太い蝋燭を3本も用意しており、鯖やらほっけやら大層な皿をいくつも卓に並べている。うち1人は大小を備えており、酒を呑む仕草にも風格があった。
その顔は写真と相違なく、まさに鈴本源二その人であった。大通りで堂々と呑むとは、なかなか肝が据わっている。もしくは、自分の顔写真が出回っているとは思ってもいないのだろうか。
柚希は志位に顔を寄せて小さな声で言った。
「お前は反対側に回って退路を断て。私が奴らに話しかけるから、頃合いを見て、出ろ」
「あっちが刀を抜いたら、どうするんすか?」
柚希は真剣な顔で、「斬っていい。できれば生きて捕えたいが、無理はしなくていい」
志位は頷くと、大通りから脇道に入った。建物をぐるりと回って彼らの背後に回るだろう。
柚希は鞘を手元に引きつけつつ男たちに5メートルまで近づいた。
「そこの御仁、鈴本源二ですか?」
男たちが柚希の方に向く。柚希が刀を帯びているのを見ると、即座に立ち上がり刀の柄に手をかけた。
「お嬢さんがこんな時刻にそんな物を持って何の用だ」
鈴本が剣呑な顔をしている。すぐにでも刀を抜きそうだが、柚希は動じない。
「鈴本氏には、手配が回っている。おとなしく縄につくなら、荒立てはしない。神妙にしろ」
鈴本は黙っている。だが、怯えたり驚いた様子はない。豪胆な男であった。
「こんな所にまで手が回っているとはな。名を名乗れ、おなご」
「糸無柚希。剣志隊副隊長である」
3人の空気が固まる。東京国内はおろか、その外にも剣志隊の威名は届いている。
隊士たちは原則として22歳までの若者ではあるが、そのいずれも実力者であることを知っているのだ。
柚希から見て右手側にいる男が抜き打ちで袈裟懸けに斬りつけてきた。鈴本ではない。部下だろうか。意を決したというよりは、闘争の気配を前にじっとしていられなかったのだろう。
柚希は腰をかがめることで危なげなくかわすと、後ろへ飛び退いた。
男は柚希を追うことはできなかった。胸元に突然、刀の切っ先が生えたからだ。
背後に迫っていた志位の突きの一撃だった。
「ばか!」
柚希が叫ぶ。
志位が狙うべきは鈴本だった。
鈴本が振り返って背後に白刃を浴びせた。
血がぱっと散った。突いた直後で動けない志位の肩を鈴本の刀が裂いていた。
しかし志位は腑抜けではない。続く鈴本の二の太刀をさばいた。
斬られた志位はとどめを刺されないために後ろに下がって間合いをとるべきだった。姿勢が整っていない時に、まともな打ち込みは期待できない。
しかし、志位の功名心が高じた。自分の命よりも。
負わされた傷の痛みを気合いで我慢すると、志位は刀を上段に振り上げた。
動きの鈍った志位の傷ついた肩に再び刃が閃いた。
しかし、前後の敵を同時に相手することなどできない。
柚希がスススと近づくと、鈴本の背中を袈裟懸けに斬りおろした。
傷は深い、だが動きを止められるほどではない。鈴本はこれ以上の斬り合いに拘泥しなかった。そのまま背中を見せて走り出した。
「志位、追え!」
志位も駆けだす。
柚希は、残った男に刀を向けた。
斬り合いの間何もしなかった男は、両掌を見せて無抵抗だと示した。
「わ、私は、彼らとこの屋台で一緒に呑んでいただけです。あの人たち、お尋ね者か何かですか?」
柚希は油断なく刀を構えたまま。
浅野からもらった情報には、この男のことは書かれていない。剣を扱えるような男には見えないが、日本刀を帯びてはいる。本当にただの町人か?
「あの、逃げてった彼を追いかけなくていいんですか?」
「名乗りなさい」
「私ですか? 明智です」
「…………」
「警察に通報しましょうか?」
柚希は迷った。しかし、ここで時間を食い続けるわけにもいかなかった。信じるしかなかった。
「通報をお願いします。その時、この男を斬ったのは剣志隊であることを伝えてください」
「はい、承りました」
あと2秒だけ刀を明智に向けていたが、刀を収めると志位を追いかけ始めた。
明智は柚希の姿が見えなくなるまで見送った。
そして、周りの通行人が自分を見ているのに対して苦笑しながら軽く会釈をする。
「親父さん、お勘定渡しておきますね。おつりはとっておいてください」
突然、軒先で繰り広げられた剣戟に度肝を抜かれていた屋台の店主に、明智が金を渡す。
明智は懐手でひょこひょこと歩き出した。
屋台を見守るように、離れた場所で女が立っていた。大通りに植えられている大きな木の根元で、影と同化していた。
赤地に蜻蛉柄の小袖。腰には日本刀。
顔は、狐の面で隠されていた。
明智が、その女に話しかけた。
「さっきの隊士さん、糸無柚希でしたよ。いやあ、苦節4年、やっと顔を確認できましたよ」
女は答えない。反応も無い。
ただ、下ろした両手を強く握っている。
「この距離でも、彼女が柚希だってわかったんですか? だとしたら、よく我慢できましたね、柑奈恵さん」
「……鈴本は、もういいんですか?」
絞り出すような柑奈恵の声に、へへ、と明智が笑う。
「いいんですよ。あんなことがあったんじゃ、お話もご破算です。まあ、岩手国の口利き屋のことは教えましたから、無事に逃げ切ったのなら生き残るでしょう。どこまで彼にやる気と執念があるかとくと御覧じろ、というところですね」
「分かりました。雲居さ――」
「駄目ですよ、柑奈恵さん」
柑奈恵の言葉を男が遮る。緩んでいた眼光が一瞬だけ鋭くなった。
「どこで聞いているか分かりません。私の名前を口にするのは、誰もいない所だけにしてください」
「……すみません」
そうして2人は、その場を去った。
もちろん、男――明智――雲居が警察に通報することは無かった。




