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2805年、東京国。
午前6時を知らせる鐘の音が町中に響いたところで糸無柚希の目がぱちりと開いた。
二度寝の誘惑を気合で断ち切ると、てきぱきとパジャマから稽古着に着替えて道場に向かう。
登校時間が来るまでに軽く汗を流したいのだ。その後にシャワーも浴びたいし、当然朝食もとりたい。
柚希の朝は、いつだって忙しかった。
剣志隊の本営は築地本願寺の敷地内にある。
そこに、柚希が寝泊まりする宿舎や、隊長や事務方が仕事をする本館、そして、隊士たちが剣道の稽古をする道場があった。
宿舎で外履きのサンダルを履いて道場に向かっているところで、柚希は背後から声をかけられた。
「副隊長。おはようございます」
振り返ると、事務方の西紀麻美に声をかけられた。柚希と同じく、住居を剣志隊の宿舎としている。大抵の隊士は家からの通いなのだが、実家が遠かったり身寄りが無い者などは特別に宿舎を住居とすることが認められている。
「西紀、同い年なんだから、副隊長呼びと敬語はやめてよ」
「だめだよ。副隊長サマには敬意を表さないとね」
言いながらクスクス笑っている。任務の時と出会いがしらは、いつもこのやり取りだった。普段は副隊長にふさわしい口ぶりで隊士と接する柚希だったが、同期や同い年の隊士については、17歳らしい振る舞いになる。
「西紀も今から道場で朝稽古なら、一緒に稽古しようよ」
「いいんだけど、私と柚希とじゃ、さすがに腕に差があり過ぎない?」
剣志隊に入隊できるだけあって麻美の腕は人後に落ちない。そこらの剣道場に殴り込みをしてもいい線まではいくほどの腕だったが、さすがに柚希が相手では荷が重い。
だけど柚希は朗らかに笑った。
「一人で竹刀の素振りをしているより、ずっといい。それに、あなたを上達させるのも副隊長の仕事だからね」
「仕方ないなぁ」
と言いつつ、麻美は楽しそうだった。麻美にしたって、一人で素振りするより、その方がずっといい。
麻美と竹刀を打ち合っていい汗をかくと|(かいた汗の量は麻美の方がずっと多いが)、シャワーを浴びて、念入りに汗を落とした。
それが悪かった。この時代にドライヤーなどという電力を食う機械は限られた場所にしかない。浴室から出たあと、肩につくかつかないかくらいの髪の毛を丹念に丹念にタオルで拭っている時に、午前8時を知らせる鐘の音が聞こえてきて柚希はギクリとした。登校時間まで残り30分ほどしかない。
柚希は急いで学校指定の制服に着替えると、私室に戻って愛刀の二尺の日本刀と学生バッグを引っ掴み、高校に向かって猛烈な勢いで走り始めた。
剣志隊の副隊長として隊務を山ほど抱えているくせに、柚希は本気で無遅刻無欠席を狙っている。
始業の2分前に高校に到着した柚希は、高校生として真面目に授業を受けた。
ただ、心の片隅にはいつも剣志隊の隊務があった。本営にいなければ仕事に出遅れる。
授業が終わると同時に、柚希は学生バッグと日本刀を手に校舎を飛び出した。
本営に戻ると、何やら隊士たちが慌ただしい。何かが起きているらしい。
とりあえず宿舎に入ろうとしたところ、隊士たちが2人1組で次々と出て行くのとすれ違った。
柚希がそのうちの1組を捕まえて聞いてみる。
「何かあったの?」
「隊長から、今日は全隊士で市中の巡察に出てくれって指示が出たんです」
「捕り物?」
「九州国の過激派が東京国に入り込んだみたいなんです。写真もあるので、浅野さんに聞いてみてください」
「分かった」
隊士がぺこりとお辞儀をすると、足早に駆けていった。お尋ね者はよほどの危険人物らしい。
柚希は私室に戻って学生服から小袖に着替えた。これから夜の市中巡察となると派手な色は避けた方が良いだろう。今日は鶯茶色に稲穂と雀の柄のものを選んだ。
腰に愛刀を帯びる。それ以外の手荷物は無い。
私室を出た後、浅野は1階の大広間ですぐ見つかった。
「隊長から巡察の下知があったって聞いたわ」
「はい。隊長から巡察の指示が全隊士に出ています」
浅野は22歳で、剣志隊で下働きをしている朴訥な男だった。隊士には常に丁寧語を使う。背が高く、あばらが浮きそうなほどに痩せていた。
「今空いてる隊士はいる?」
「先ほど、志位様には道場で声をかけました。すぐに来られると思います」
「じゃあ、説明は志位が来てからにするわ」
はい、と浅野は素直に頷いた。その手に、何かをプリントアウトした紙を持っていることに柚希は気付いている|(この時代、PCやプリンターといった家電類は、限られた階層の人々か、あるいは剣志隊のような機関にしかない)。
志位はすぐにやって来た。
道場で稽古していたらしい志位が汗をタオルで拭きながら現れた。水を浴びる時間も惜しんだようだ。
剣士らしい体躯をした青年だった。服の趣味は洋装で、今日は青黒いジーンズに、般若の柄のシャツだった。ズボンのベルトには刀の鞘を固定するための専用の金具が取り付けられており、そこに日本刀をぶら下げる形で腰に帯びていた。
年齢は18歳。髪を短めに切り揃えているが、剣を振るのに不利だからという理由ではなく、単にお洒落が目的であろう。隊の中でも、それなりに腕が立つ。
「お待たせっす」
「では、浅野さん、説明してください」
浅野が手に持っていた紙を柚希に渡す。それを志位が横から覗き込んでいる。
以下、浅野の説明。
名は鈴本源二。男で見た目は30代。茶屋で茶を飲んでいるところを遠くから撮影した写真だった。猫背だがやたら筋肉質で、万力でもないと背を伸ばすことはできなさそうだった。剣の腕は確からしい。大阪国でも警官隊が逮捕に動いたが、逃げ切って東京国まで来たわけだ。
九州国が握っている情報としては、岩手国に鈴本の賛同者がいるらしく、その者の協力を仰ぐために東北地方に向かっているらしいということだった。
このように、犯罪者に関する情報は各国で共有されることが多い。国外に逃げられるくらいなら、積極的に情報を外へ出し、誰でもいいから捕まえてくれ、というのが基本姿勢であった。
「で、どんな男?」
「主にやっていたのが辻斬り、強盗。大きいのが九州国内での国家転覆を計画。徒党を組んでいたけれどほとんど警官隊が捕縛。残った1人がこの男です」
「九州国からここまで、はるばる逃走中ということね」
へい、と浅野が答える。
「私たちの持ち分は?」
「築地をお願いします。銀座、新橋、月島はもう何人かの隊士が向かっております」
「分かったわ」
柚希は浅野から受け取った紙を志位に渡す。志位はそれを小さく折り畳んでズボンの後ろポケットに突っ込んだ。
「じゃあ、行こうか、志位」
「ういす」
宿舎を出ていく2人の後ろ姿に、浅野が深々と腰を折った。




