序章:望まぬ再会
2802年、東京国。夜が迫る夕暮れ時だった。
制服姿の警官が小学校の校門から校舎の様子を窺っていると、学校へ近づいてくる糸無柚希に気づいた。
この時13歳。檸檬色の小袖姿で、腰には日本刀を帯びていた。
本営で連絡を受けた柚希は必死に駆けてきたものだから、校門で足を止めるなり膝に手を当てて息をついた。
「九尾党の連中がどこにいるか分かりますか?」
息も絶え絶えの柚希の質問に、警官が答える。
「無事に逃げて来れた子によると、最初は2階にある4年生の教室で立てこもっていたようですが、途中から3階の5年生か6年生の教室に向かったようです」
「人数は?」
「その子が見たのは3人だそうです。全員が刀で武装。男が2人と女が1人」
女、という言葉に柚希が反応する。その女、まさか……。
しかし、動揺は表に出さない。
「要求は何か出てるんですか?」
「金を持って来いというのと、ムショに入ってる九尾党の仲間を解放しろと叫んでるのがさっき聞こえました。ただ、その1回だけですね」
「分かりました」
柚希はふぅぅぅと長く息を吐いてから、帯から鞘を抜いて刀の目釘を検めた。問題無し。
すぐにでも中に突入する気らしい柚希に、おずおずと警官が「あなた一人ですか? いくら剣志隊とはいえ、3人相手に一人というのは……」
柚希はきっぱりと答えた。
「今、剣志隊の本隊は九尾党の本拠地に向かって不在です。本営は負傷者だらけで、まともに動けるのは私一人です。心細い見た目で申し訳ないですが、私一人に任せてください」
「そうですか……」
「ところで、警官はあなた一人ですか?」
警官も申し訳なさそうだった。
「うちも、九尾党の争乱で怪我人だらけです。すぐに動けるのが僕一人でした」
「それは仕方ないですね」
柚希は抜いた鞘を再び腰に帯びる。
「もしも九尾党の連中がこの校門に現れるようなら捕らえて欲しいですが、無理そうなら逃げてください。命は一つですから」
「わ、分かりました……!」
柚希はもう一度校舎を睨みつけてから校門をくぐる。
柚希の姿が校舎の中へ消えるまで、警官ははらはらした顔で見送った。
下駄箱で草履を脱ぐのが礼儀だろうが、柚希は土足のままあがった。
1階の廊下で、教師らしい男が倒れている。その向こうでは、女の子が倒れている。どちらの体の下にも血だまりがあり、おそらくは斬られたのだろうと分かる。それ以外に人影は無い。柚希は険しい顔をして、その死体の横を通過し、階段を目指す。
2階への階段でも、男の子が倒れている。首筋に斬線――
(許せない)
2階はさらに酷かった。廊下に何人もの人が倒れていた。いずれも体のどこかに刀傷があった。
2つある教室のうち、1つの中を覗いてみたが、何人かの死体があるだけで、生きている者は誰もいなかった。
もう1つの教室の中に男がいる。ジーンズに黒いシャツというラフな恰好で、血みどろの刀を手に、小学生が座る椅子に腰掛けぐったりとしていた。
柚希が教室の中に入ろうとした時、真後ろから風を巻いて何かが突っ込んでくるのを感じた。その瞬間、柚希は前方へ飛びながら刀を抜き、振り返った。
2人目の男がいた。右手に今柚希に斬りかかった刀を握っている。こちらの刃も血みどろだった。
目は血走っていて、口の周りによだれがまとわりついている。
「九尾党で間違いないか?」
柚希が聞き終えるより早く、男は奇声をあげて斬りかかってきた。
柚希は牽制で逆袈裟に斬り上げ、それを後ろに飛んで避けたところを追いかけるような袈裟斬りで倒した。
すぐさま柚希は後ろに振り返った。さきほど教室にいた男が、もう刀を持ってこちらの様子を窺っていた。
「なぜ、こんなことをしたの」
柚希の問いに男はぼんやりした声で答えた。
「金が欲しかったから。金持ちの子供が一人はいるだろうって、ボスが言ってたから。うるさいのがいたから、それは斬った」
柚希は言葉を失った。いったいこいつらは何を考えているのか――。
最初の男よりは剣に通じているらしい。男は上段に構えると、じりじりと近づいてくる。
柚希は憤怒に顔を染めて、青眼を斜めに倒して構えた。わざと正中線に隙を作って相手の撃ちを誘う構えだった。
果たして相手は気迫を込めて上段から刃を下ろす。
柚希は相手の刀を素早く擦り上げると、胴を真っ二つに打って前方に飛んだ。
男が斃れるのを見届けた後、柚希は刀を振って血を落とした。その時、自分の手が震えていることに気付いた。
(恐れるな。頑張れ。頑張れ)
心の中で自分に言い聞かせる。
刀は鞘に収めずに3階に上がった。
柚希は不意打ちに備えるように頭を巡らせた。
廊下の先に人影があった。赤地に蜻蛉柄の小袖を着た女だと分かった。柚希と同じように、腰に刀を帯びていた。柚希が上がってきた反対側の階段で、今まさに降りていこうとしているところだった。
「待て」
柚希が声をかける。それで、人影は柚希に気づいたようだった。
顔をこちらに向ける。
その顔を見て、柚希の息が止まる。
「なんで、こんな所にいるの……?」
女が階段に降ろそうとした足を戻して柚希に向き直った。
窓から差す橙色の西日に横顔が照らされている。
「私がここにいるのが、そんなに不思議なの?」
女が刀の柄に手をかけて、ゆっくり近づいてくる。
柚希は反射的に刀を持ち上げ、斜め青眼に構えた。
構わず女が近づいてくる。
「九尾党の党首の娘がここにいるのは、不思議なことなの?」
「なんでよ! 姉さんは、九尾党には入らないって……そう言ってたじゃない!」
布崩柑奈恵は斬りかかれる間合いまであと5歩というところで足を止めた。
ゆっくりと刀を抜く。
滑らかで美しい刀だった。
それを青眼に構え、斜めに倒した。
柚希と寸分違わぬ構えだった。
まるで鏡合わせ。
「あなたの所の副隊長が本拠地に向かってるんでしょう。今日が九尾党の命日になるのは私にも分かる。だったら、私が九尾党を再興させなきゃいけないの」
「嘘よ。今まで、人を斬ったことなんてないくせに。犯罪なんて、一度だってしたことないくせに」
落ち着いていた柑奈恵の顔が、悲痛に歪む。
「どうしろっていうのよ! あのクソ野郎の娘が、これから平和に暮らせるとでも言うの? 犯罪者の娘が? 無理よ! 私にはこの道しかない!」
「どうとでもできるよ。逃げてよ」
「あなたはいいわよね。母親が真っ当で。あの男も、妾の子には時々会うくらいで、基本は放置だものね」
柑奈恵が両足に力を込める。
柚希の警戒心が極限まで高まる。
「私を斬りなさい、柚希。私は大罪人よ」
「嘘つかないで……」
「斬りなさい!」
柑奈恵が飛び込む。たった一歩で柚希を剣域に捕らえる、鋭い踏み込み。
勢いのままに放たれる胴撃ちを柚希は鍔元で受け止める。たったそれだけで柚希の握力は限界だった。
柑奈恵の続く一撃を受けて、柚希の刀が弾かれて廊下の先に飛んでいった。
柑奈恵が刀の切っ先を柚希の首元へ向ける。
「姉さん……」
柚希の言葉に、柑奈恵は吐き捨てるように言った。
「泣いてるんじゃないわよ、バカ」
刀を引くと鞘に収め、踵を返した。
階段を下りるより前に、もう一度柚希に言った。
「私は九尾党を再興させる。剣志隊を滅ぼした後にね」
そうして、柑奈恵は姿を消した。
再び会った時には、4年もの時間が経過していた。
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