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姉、斬る、妹―2805年、東京国の凶賊始末記―  作者: 羽法 伊助
5話:【鯉志川瞳】軽やかに、茫々と
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5-3

 常人であれば、膝から下を斬りおとされていたろう。

 しかし、瞳は落ち着いていた。敵の踏み込みは浅く、右足しか狙っていない。やるなら両足同時だろうに。そこまで戸の近くにいるのが怖かったのだろう。

 瞳は右足を上げて、刃を避けた。

 同時に、鞘から「シャーク」を抜き、左からきた面打ちを受け止めた。

 すぐさま、瞳は前へ飛ぶ。最初の脛狙いから予想していただけに、動きは軽快だ。

 数メートル飛んだ後、瞳は素早く敵へと向き直る。

 続くと思っていた追い打ちは無かった。ラーメン屋の戸の両側に陣取った2人が、刀を手にこちらを向いている。

 綾井と国塚である。

 これで国塚が過激派に通じているのは分かった。それだけでも大きい収穫である。

 ただ、瞳が剣志隊であること、綾井を探しているという事も相手に感づかれた。食事中、国塚は、どうにかしてそれを綾井に伝えたのだろう。

 だが、瞳としても剣志隊だとバレるのは承知の上である。こんな時刻に、日本刀を持ってラーメン屋に入ってくる女子高生となると、余程の物好きか、あるいは剣志隊隊士くらいしか、この東京町にはいない。 

 綾井と国塚が瞳を見ている。国塚はばつが悪そうに眉を下げていて、どうにも不細工な顔になっていた。

「いやあ、さすがですね。仕留められると思ったのですが」

 思っていたより、綾井は柔らかい口調だった。右手で刀を青眼に構えたまま、肩にまでかかっている長い髪を肩の後ろに流した。一瞬とはいえ、争闘が始まっているのに片手で刀を持つとは、度胸がある。あるいは、剣の腕に自信があるのか。

「私と彼を、捕えるつもりですか?」

「そうしたいけど、無理そうなら、斬る」

 国塚が、その言葉にひっと顔を引きつらせたが、綾井は声も無く笑った。

「強気なお嬢さんだ。二対一でも、勝てると断言するとはね」

 瞳は青眼に構えた刀を八相に構え直した。

 綾井は笑顔のまま、刀を青眼に構え、呼吸を整える。この場で瞳を斬り伏せるつもりである。

 国塚は、及び腰だった。刀を構えてはいるが、見るからに気が萎えている。隊内で「巧者」とまで言われる瞳を前に、斬り合いたくないという気持ちが勝っている。

 瞳は右足を踏み込み、撃つと見せかけて素早く納刀した。

 駆けた。

 完全に、綾井は虚を突かれた。向かってくると思った相手がその場を逃げ出すとは、少しも思っていなかった。

 瞳は陸上部のクラスメイトが教えてくれたように両手を振って走り続けた。

 今ここで討ち死にするよりも、国塚が犯罪者に通じていたという情報を伝える方が重要だった。

 数百メートルほど駆けたところで、瞳は後ろを振り向いた。誰も追いかけてはいなかった。

 瞳はそれで安心すると、更に駆け続けた。


 もう息が切れるというところで、瞳の自宅があるアパートに着いた。

 2階建て、戸数は10戸という小ぢんまりなアパートだった。瞳の住む部屋は、2階の一番奥である。

 戸を開けると、瞳の兄である鯉志川(こいしかわ)純也(じゅんや)が机の上で油皿で火を灯して、その明かりを頼りに勉強をしていた。

 年は19。現在は大学受験に向けて、昼は本屋でアルバイトを、夜は勉強漬けという毎日を送っている。

「やあ、瞳。今日も無事だったんだな。よかった」

 数学の問題を解いていた右手の動きを止め、朗らかな笑みを浮かべる。毎日必死に勉強しているというのに、焦燥感が微塵も表に出て来ないというのは、もしかしたら自分との共通点かもしれない、と瞳は思う。

 瞳は兄の顔を見て、ようやく一息ついた。手の甲で額の汗を拭うと、手に持っていた荷物を部屋に置いた。

 玄関をあがると、純也がいる部屋が居間兼台所にあたり、その奥の部屋が寝室である。質素というよりは、みすぼらしいと言えるだろう。

 瞳は食器棚からガラスのコップを取り出すと、水道の蛇口をひねって水を1杯飲んだ。駆け続けて乾いていた喉が潤うと、眠気すら湧き上がってくる。

 が、湧き上がった眠気に体を任せる訳にはいかない。

「ちょっと、吉久(よしひさ)さんの家に行ってくる」

 水を飲み干したコップを台所に置き、荷物も自分の机の上に置くと、刀だけ手に持ってまた靴を履いた。

「何かあったのかい?」

 帰ってきたばかりの瞳がまた外出するというのを、純也は自然に受け入れる。彼は、自分の妹が剣志隊の隊士であることや、その仕事について理解している。今までもそういったことは何度もあった。

「お兄ちゃん、明日もバイトだと思うけど、お休みできないかな」

 少し純也が目を曇らせる。

「何か、事件?」

「まあね。ちょっと、危ない人が東京国に入って来てる。もしかしたら、事件になるかも。そうじゃなくても、国境に警察が張り込むと思う」

「かなり危ないんだね」

 純也は首を傾げて思案しているが、おそらくアルバイトを休んだりはしない。真面目なので、よほどの理由がなければ欠勤したりしないのだった。

 瞳としては縛り付けてでも明日の外出は控えて欲しいのだが、それは無理だとも諦めている。

 

 吉久の家は、瞳の住むアパートの3軒隣の一軒家だった。

 再び外に出た瞳は、慎重に夜道の様子をうかがった。

 綾井や国塚が追ってきている気配はない。

 それでも、瞳は刀を収めた鞘を手に、小走りで駆けた。

 吉久の家の前でもう一度、通りに誰もいないことを確認してから、戸についている金属製のドアノッカーを叩いた。

 やはり、日が暮れてからの訪問は迷惑だったかな、と瞳の脳裏に少しばかりの罪悪感がよぎる。が、相手は指名手配され、人相書きまで出回るほどの犯罪者である。遠慮している場合でもなかった。

 もう一度瞳が叩くと、中から「ちょっと待ってね」という明るい女性の声がした。

 出てきたのは、綺麗な女性である。この女性が吉久の自慢の細君であった。

「あら、瞳ちゃん。どうしたの? 電話?」

 細君もまた、兄の純也と同様に、瞳の事情についてよく知っている。

「はい、そうなんです。使わせてくれますか?」

「いいわ。どうぞどうぞ」

 細君がにこやかに瞳を迎え入れてくれる。

 瞳の家と違って、吉久の家は豪奢だ。弁護士と聞いている。政界や行政にも顔が利き、次の選挙には議員に立候補するかもしれないと周りからは言われている。電話線を引いているというのも納得だった。

 もうすっかり覚えてしまった剣志隊の宿直室にある電話機の番号のダイヤルを回した。

 呼び出し音は長く続いた。この時間は、遅くまで剣の稽古に精を出している隊士を除くと、宿直当番くらいしかいない。だが、綾井と国塚の事は必ず伝えないといけない。

 数えて10回目のコール音で「もしもし」という声がやっと聞こえた。

 ああ、と瞳は安心の溜息をついた。

「あの、私、鯉志川瞳です」

「瞳? どうしたの、こんな時間に」

 電話に出てくれたのは、京本(きょうもと)房江(ふさえ)だった。剣志隊の事務方である。剣志隊でも屈指の使い手であり、同時に、最も良く働く隊士だった。たまたま宿直をしていたというよりは、この日も何か事務仕事で宿直室にいたのだろう。

 瞳は少しばかり安心した。房江は親しみやすい口調なので、報告相手としてはとても話しやすい。

「えと、私、銀座のラーメン屋で綾井を見ました」

 少しばかり電話の向こうにいる房江が言葉を止めた。

「綾井って、手配がまわってる綾井友朗?」

「はい」

「もしかして、斬り合った?」

「そうです」

 はぁ、と房江が呆れたように息をついた。房江としては、斬り合うよりは隊に報告しに来て欲しかったようだった。

「こうして話してるってことは、あなたは無事だと思っていいのかしら?」

「はい、無事です。しかし、綾井を斬ることも出来ませんでした。国塚もいたもので」

 これには、房江も驚いたらしい。「えっ」という反応をしてくれた。

「国塚って、国塚敏郎君? それが、綾井と一緒にいたっていうの?」

「そうです。事情は全然分かりませんが、綾井のために何か働いていたようです」

「あなた、尾けられてないわよね」

「大丈夫だと思います。この家まで、無事に着けましたから」

「ああ、吉久さんのお宅からなのね」

 吉久の家は、房江も知っている。それくらい、剣志隊の中でも知名度がある。

 だからこそ危険なのだった。国塚もおそらく知っている。

「今日は、その家に泊まらせてもらいなさい。万一、綾井や国塚君がそこに来たら、吉久さんが危ないわ。あなたが身を挺して守ること」

「分かりました」

 房江のテキパキとした指示に、瞳はホッとする。だから房江が相手だとやりやすいのだ。

「それと、お兄さんもその家に呼びなさい。あなたの家が攻撃される可能性もあるわ」

「助かります」

 兄が危険に晒されることこそ、瞳が何より恐れていることだった。一晩、自分と一緒にいられるのなら、安心できる。

「この事は、すぐに隊長にも伝えるわ。警官隊にも動いてもらって、検問所を設置してもらう。東京国から逃がさないわよ。どこで綾井と会ったのか、詳しく教えて」

 瞳は、銀座のラーメン屋に寄り道したことや、膝から下を切り落とされそうになったことを詳しく話した。それだけで、房江はこれから剣志隊がどうすべきか考えがまとまったらしい。

「明日は学校に行かず、まっすぐ本営に来て。隊士総出で捜索することになると思うわ」

「分かりました」

 電話を終えると、瞳は自宅に戻り、勉強をしていた兄を引っ張って吉久の家まで戻ってきた。

 こういった事態は初めてではない。瞳が電話で剣志隊に連絡をする時は、大抵は危急の事態であり、そういう時は大抵は吉久の家に泊まらせてもらうのである。

 吉久の家からすればいい迷惑だろうに、細君は嫌な顔一つしなかった。

 寝室で寝ればいい、という細君の提案を瞳は断った。綾井たちが攻めてくるとすれば、ふかふかのベッドで寝こけている場合ではない。今晩は居間を借りて、刀を抱いたままソファで横になることにする。

 純也は瞳に付き合う必要などないのだが、一緒に居間で夜を過ごすと言い出した。うちにはない立派なテーブルに参考書とノートを広げた。

「勉強しなきゃいけないからね」

 そんな兄を見て、瞳は、この男はどこまで真面目なのだろうか、と思う。

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