4-9
紗枝が刀を抜くのを見て、圭子も抜刀した。
時刻は18時過ぎ。傾いた日が茜色を帯び、玄関に満ちている。
達磨館に入ってすぐのところに受付がある。中年の太った女性が客の入りを受付で待っていたが、抜き身を持った紗枝を見て目を大きく見開いた。
しぃ、と紗枝が立てた指を口元に持っていくと、女性はこくこくと慌ただしく首を上下させた。
「剣志隊です。外国人の少女を連れた男たちを追っている。この宿に泊まっているな」
紗枝が、剣志隊の威を嵩にかけて、居丈高に聞いた。堂に入っている、と圭子は思った。
質問された女性が答える。きっと、冷や汗をかいている。
「は、はい」
「どの部屋だ」
「2階の、階段に一番近い部屋です。201号室です」
「他の部屋に、客はいるか」
「今日は、満室です」
「その少女を連れた男たちは、201号室以外の部屋にも泊まってる?」
「いえ、みな、その部屋です」
「人数は」
「男の人が4人。それに、外国人の少女です」
少ない。それなら2人でもエリザを救出できそうだが、その4人全員が初芽並の達人である場合、話は変わってくる。
それでも、やるべき事は何も変わらない。突入あるのみ。
「鍵をちょうだい」
紗枝の要求に、女性は黙って従った。
紗枝は目で圭子を促した。圭子は黙ったままうなずく。
受付の横に階段があり、2階へと続いている。階段の所には館内の見取り図がかかっていて、1階には4部屋、2階には6部屋があることが分かった。
「私が上に行く。圭子はここにいて」
紗枝の判断は正しい、と圭子は思う。悔しいけれど、剣の腕が上である紗枝の方が先行するのが戦略上正しい。だが、
「私も行くよ。後ろを守る」
「だめ。私が取り逃がした奴を、圭子が斬って」
斬る、という語が、ひどく重い。その重さが、圭子が握る刀に染みる。
圭子は階段の脇の位置につく。顔を見上げれば、201号室の戸が見える。
紗枝が、その階段を登っていくのが見える。もしも紗枝が危機にさらされれば、即座に助太刀に入るつもりだった。
戸は洋式で、ドアノブがついている。その下の鍵穴に受け取っている鍵を差し込むと、静かにというよりは、ごく普通に鍵を回した。
かちゃん、という音がする。物音を立てることを恐れていない紗枝は、圭子からするとはらはらさせられる。
紗枝は戸を開けると、刀を青眼に構えて中に入っていった。
紗枝の姿が見えなくなる。圭子の全身に緊張がはしる。
開いた戸の奥から、男の声が聞こえた。それはすぐに怒号に変わり、そして悲鳴に変わった。
おそらく時間にして7秒ほどだけだったろう。部屋から紗枝が現れて、そして、エリザの腕を引いていた。エリザと最後に会ってから大した時間も経っていないのに、ずいぶん久しぶりに見たという気持ちに襲われる。
「逃げるよ、圭子!」
「な、中に人は?」
「まだいる! 斬ったのは2人だけ!」
紗枝とエリザが階段を降り始めるのと同時に2人の男が部屋から飛び出してきた。1人は刀を、1人は角棒を持っている。
達磨館を出ると、男がたむろしていた。数えて3人。さらに男たちが集まってくる。何人いるかも分からない。
「そいつらは、ガキを連れ戻しに来た! やっちまえ!」
紗枝を追いかける男が叫ぶ。
男たちは分宿していたのだった。この後、合流してどこかの飲み屋にでもくりだそうとしていたらしい。
男たちは手に持った得物で襲いかかってくる。
圭子は、一番近い男の籠手を打ち、その右手にいた男の腿を斬りつけた。
手の中に、肉ではない何かを断った感触がある。
それで、確かな何かが吹っ切れた。覚悟が決まった。
紗枝の目の前にも別の男が立ちはだかる。その男が刀を抜くより前に、紗枝はエリザの腕を左手で掴んだまま、右手の刀で男の胴を打った。
囲みが緩む。
それを見逃さなかった。圭子と紗枝は、同時に走り出していた。エリザも、それになんとかついていく。
いくつもの店舗が軒を並べる保土ヶ谷宿の通りを、3人の少女が走る。体力が尽きないのなら、築地本願寺にある剣志隊の隊舎まで駆けていただろう。
圭子と紗枝には体力がある。
しかし、エリザにはない。
「ちょ……と……止まって下さい……」
エリザの足が止まる。無理に走っても、もう歩くほどの速さもない。
3人は、店の壁を背に、足を止めて息を整えた。
男たちが怒号を上げて追いすがってくる。
人数が多い。およそ20人ほどはいるだろう。
まずい、と圭子は思った。一対一なら負けることはないだろうが、数を盾にして包まれれば必ず負ける。
そのことを男たちも十分に分かっているようだった。追いついた順に襲いかかるようなことはせず、人数が揃うのを待っている。
今、不利なのは、圭子と紗枝である。
しかし、男たちの人数が揃うのを待つほど、愚かでも臆病者でもなかった。
エリザを後ろに下げ、2人で斬りかかった。
あとは乱闘となった。
2人の働きはみごとであった。
同時に襲いかかって来る男たちのことごとくを斬る。
隙あらばエリザを捕まえようとする男にも気を配る。人質にとられれば、それで終わってしまうから。
男たちが自分たちを包んで背後を取らないように、圭子と紗枝は巧みに位置を変えつつ刀を振るった。
しかし、数が多い。
紗枝と圭子は死体に足を取られないように、少しずつ移動しながら剣戟を続ける。
既に2人とも息は上がっている。気持ちだけで刀を振るっている状態だった。
(もうすぐ、みんなが来てくれる)
圭子はそう思うことで自分を鼓舞した。
2人の隊士がいないことに気づいてくれれば、剣志隊のみんながここに来てくれると思っている。
それがいつになるかは分からない。だが……
(それまで耐えきれば、私たちの勝ちだ)
まだ来ていない未来のことを考えた瞬間、圭子の緊張が緩んでしまった。
2人の剣の嵐をかいくぐった男の1人が、ついにエリザへ手を伸ばした。人質にできればこの場から無傷で逃げられる。そう思ったに違いない。
圭子は、その男の伸ばした手に刀を振り下ろした。
それこそが男の狙いだった。
伸ばした手を引っ込め、反対の手に握っていた短刀を圭子へ突きだした。
「ぐぅ……!」
脇腹にはしる熱い痛みで、悲鳴があがりそうになるのを圭子はぐっと我慢する。
短刀は刺さってはいない。乱戦の中でも圭子の体さばきは衰えていない。しかし、短刀の刃は圭子の腰をえぐっていた。
疲労と痛みと出血。
圭子の膝が折れ、倒れる。
紗枝には、その動きがひどく遅く感じた。
最初についた膝から巻き上げる砂ぼこりが舞い上がる様子も、脇腹の出血が空中に散っていくのも、はっきりと目でとらえられるくらいに遅い。
圭子の体から力が抜けて倒れるのと、手から落ちた刀が地面に落ちるその一瞬が、何日も、何年もの時間に感じられる。
「うぅ――――あぁぁ――」
ぱっと、明かりを消したみたいに、もしくは本を閉じたみたいに、突然、自分の視界から全ての色が消えた。
音も無い。匂いもない。
この世界にいるのが、自分と、圭子と、エリザのたった3人だけみたい。
そのうち1人が死んでしまいそうだ。
そうしたら、残りは世界に2人だけになってしまうね。
喉の奥から、殺意が音を伴ってほとばしった。
「があぁぁぁぁぁぁぁっ!」
紗枝が激昂する。圭子を傷つけた男へ飛びかかると、面打ちを浴びせた。猛烈な速度に、男は逃げることも防ぐこともできない。
顔面を割られ、男が斃れる。
「ふぅ……ふぅ……」
紗枝の気魄が、それまでと変わった。ぶら下げた刀を構える、その速度が速すぎる。
荒い息をして男たちを睨んでいる。
「うぁあああああああああ!」
吠えながら突っ込んでくる紗枝に、男たちは必死に応戦した。
いや、応戦できていない。
紗枝の構えから刀を振るうまでの速度が速すぎる。切っ先の速度が目で追えない。男たちは防御も回避も間に合っていなかった。
斬り裂いた後の隙を狙おうとしても、紗枝は体ごとそれを避けた。
避けた時にはもう構えている。
その繰り返し。
たった1人の少女に対して数にものを言わせようとする男たちが、順番に1人ずつ斃れていった。
一瞬も止まらない紗枝は、そのまま男たちを全員斬り伏せる勢いだった。
もう10秒あれば男たちは全滅する。
いや、しない。
その紗枝の一撃を止める者がいた。
それは、男ではなかった。
赤地に蜻蛉柄の小袖を着ていた。胸の膨らみで女と知れた。
紗枝の工夫も何もない、しかし強烈な面撃ちを物打ちで止めていた。とんでもない衝撃であったはずなのに、体勢は少しも崩れていない。
腕力ではない。衝撃の直後、全身の重心を下げて勢いを殺して、紗枝の一撃を止めきったのだ。
女は、顔が見られないようにと、狐の面をしていた。




