4-7
この時代にも公園はある。
ただ遊具は無い。鉄製のものは大切な資源として、ずっと昔に業者なり国なりが持って行ってしまった。
そこの小さい公園にあるのは、ベンチだけだった。
夜ともなれば、ただただ濃密な空気が漂うだけの、不穏な場所だった。
身の安全を考える者なら決して立ち寄らない時刻なのに、ベンチで一人の女が座っている。
赤地に蜻蛉柄の小袖を着た女……布崩柑奈恵。
膝の上には日本刀。
人目を気にしなくて良い時刻なので、今は狐の面をしていない。
柑奈恵が顔を上げた時、月明りに照らされた男が近づいてきた。
雲居眞咲。
「すみません、お待たせしました。柑奈恵さん」
「いい。どうせすることも無い」
雲居は柑奈恵の横に腰を降ろした。
「剣志隊の無料診察所。あれ、面白いですね。そっと見てきましたが、確かに外国人のお嬢さんが働いていました。無料っていうんで、大盛況だ」
ぎり、と柑奈恵が歯を噛みしめる音がする。
「苛々する。あいつらの目の前で腹をさばいて、さあ治療しろと言ってやろうか」
「剣志隊が人様の役に立つのは我慢なりませんか?」
「当たり前だ。あいつらなんて……」
はは、と雲居は乾いた笑いをあげた。
「仕事の話が来ました。柑奈恵さんには、用心棒を務めて欲しいんです」
今まで、そんなお願いをされたことはなかったので、柑奈恵が雲居の方に顔を向けた。
「私がやる意味はあるのか?」
「依頼主が、剣志隊が匿ってる外国人のお嬢さんを狙ってるんですよ」
「……」
「はるばる大阪国からやって来た連中で、そのお嬢さんをどこかの好事家の命令で連れ帰るべく、東京国まで追ってきたんです」
「金のためにそこまでするのか。そんなに高いのか? 外国人の人売りは」
「いや、その好事家っていうのが、相当な大物でね。約束通りに連れて行けない場合は、こう」雲居は首の横で人差し指を往復させた。「斬られちゃうわけです」
「それで、私はどうすればいい?」
「柑奈恵さんは保土ヶ谷宿の鶴見という旅亭で待機です。彼らが訪ねて来るので、合流してもらいます。もし来なければ、彼らは失敗したということになる。その場合は、帰ってきていいです。そうですね、2日ほどは鶴見で待っていてください」
「なぜ、そんな仕事を私に依頼するんだ」
雲居の目が少し細まった。
「理由は分かりませんが、剣志隊はそのお嬢さんにご執心です。彼らが連れ去れば、必ず追いかけてくる。そこに糸無柚希がいれば、闘えますよ」
「……」
柑奈恵がベンチから立ち上がった。承知した、ということだ。
しかし、殺気立っている柑奈恵をこのまま行かせるわけにもいかなかった。
「俺としては彼らには成功して欲しい。ただ、人数は20人とそこそこですが、そこまで腕の立つ連中でも無いし、頭も悪そうだ。剣志隊の追跡があった際は、ほどほどで切り上げてください。粘れば、死にますよ」
「……分かった」
柑奈恵は刀を手に、公園を出て行った。
それを見届けてから、雲居も立ち上がった。
口笛を吹きながら歩き始めた。その甲高い音が暗い闇まで伸びていって消えていく。
消えた時には、公園にはもう誰もいなかった。
平日、中学校で授業を受けている圭子は、ちょっとばかり得意げだった。
クラスメイト中、否、学校中の話題がエリザのことで持ち切りだったからだ。
「うちの親父が仕事でひどい火傷しちまったんだけど、あの診療所で診てもらったって。しかもタダで。うちの親父が助かったって言ってたよ」
そんな話をしているので、ついつい聞き耳を立ててしまう。
エリザのことを、感染症の蔓延の原因になるという風に考えている人は、もうほとんどいないようだ。
(良かった。これならきっと、大丈夫)
もし国がエリザを連れていくようなことがあれば、そのことはすぐに露見する。これだけ話題になっていれば、1日も経てば町中に広がるだろう。
これでおいそれと手を出すことはできないはずだが。
(他にできることはあるかな)
国に陳情する、エリザに剣道を習わせる、本営を要塞化する、エリザに誰かの大怪我の治療の手伝いをさせてそれを国に報告する……。
授業を受けながら淀みなくペンをノートに走らせてはいるが、頭の中身はエリザのことしか考えていなかった。
だから、突然授業中に校長先生が教室に現れた時も、圭子は気づいていなかった。
「棚網さん!」
校長先生の声に、やっと圭子の意識が現実に戻って来た。
はい、と圭子は手を挙げた。
「なんでしょうか」
「剣志隊から電話が来ました! 今すぐ本営に来るようにとのことです!」
何があったかは分からない。
ただ、このタイミングでは、エリザの件ではないかという考えしか浮かばなかった。
圭子は机の脇に下げ緒でくくりつけていた日本刀を素早く手にすると、学生バッグは放っておいて走り出した。
本営までの道で、何人もの警官隊を見かけた。顔を見知った隊士もいた。
みんな、真剣な顔で何かを探している風に見えた。
嫌だ、嫌だ。
走りながら、泣きじゃくりたくなってしまう。
不安で胸が苦しくて、逃れるためにはとにかく走り続けるしか無かった。
本営に着いて、すぐ目に入るのは、圭子発案の剣志隊診療所だ。
そこには誰もいなかったエリザも、井上先生も。
人々が「今日は休みか」などと言って歩き去っていく。
その無人の診療所が、今はただただ不吉だった。
本営に行って指示を受けようとしたところで、紗枝が本営から出て来たのに出くわした。
表情が切羽詰まっている。いつもの飄々とした顔では無かった。
「圭子」
紗枝も同じように学校で連絡を受けたのだろう。学生服に刀を帯びていた。
「エリザがいなくなってる。朝からだ。最後に見たのは、賄い係の和美さんで、エリザは朝食を作る手伝いをしてくれたらしい。だから、いなくなったのはその後」
圭子にとっては意外だった。
「昨日の怪しいやつらが本営に入り込んで、エリザを連れて行ったんじゃないの?」
「それは考えづらいって。エリザは診療所のために外に出る以外は宿舎にいるんだから。いくらなんでも、そこに入り込んできたら誰かの目には入る」
「じゃあ、エリザは自分で出ていったってこと?」
紗枝が悲しそうに目を伏せた。
「隊長は、何か事情があるはずって言ってた。今出て行く理由なんて無いし、そうすることがエリザにとってどれだけ危険なことかはエリザにだって分かってるはずだって」
圭子は目元を拭った。泣きたくないのに、ちょっとだけ涙が出て来てしまった。
「私は月島を巡察することになった。圭子も一緒に行く?」
「行く」
この時、2人にとって幸運な、あるいは、剣志隊にとっては不幸なことが起きた。
本営を出て、今まさに月島に向かおうとしている2人と警官がすれ違おうとした。
平日の午前、しかも腰に刀を帯びた女子中学生というと、普通は剣志隊隊士と思う。
「もしかして、剣志隊の人ですか?」
そう聞かれて、圭子は「そうです」と返事をした。
「隊長殿へ、連絡事項です。この手紙を渡してもらえますか?」
「分かりました」
警官は、伝達を終えてほっとしたのだろう。敬礼をすると、そのまま去った。
その手紙は封筒に入っているが、封はされていない。
「読んでみる」
と言う圭子の手を紗枝が慌てて止めた。
「まずいよ。下手したら除隊処分だよ」
しかし、圭子は譲らなかった。
「何か分かるかもしれない。私たちにもできることがあるかもしれない」
圭子が絶対に考えを曲げないことが分かって、手を離した。
止めきれなかったのは、紗枝にも、その手紙を読みたいという心があったからだろう。
『外国人の少女の目撃証言あり。数人の男たちと共に西へ向かっている。警官隊は追跡へ向かう。剣志隊からも派遣を要請する。17時に赤坂氷川神社にて今後の捜査方針を伝達する』
西。どこだか分からないが、方向が分かるだけましだった。
圭子は手紙を封筒に戻すと、自分と同じように本営へ向かう隊士に手紙を託した。
「今さっき、警官隊から届きました。これを隊長に渡して下さい」
「分かりました」
これで手紙は隊長へ届く。
2人は本営を出ると、まっすぐに西へ向かった。




