4-3
紗枝が拘置室の前でお盆を持って待機しているので、圭子が受け取っていた鍵で戸を開けた。
中は、ひたすらに簡素だった畳敷きで、いつから敷かれているのかも分からない布団がある。まるきり座敷牢という印象だった。
その部屋の隅で、青い瞳の少女が膝を抱えて座っていた。
「ご飯、持ってきました」
紗枝が、そっとお盆を畳の上に置いて声をかけた。
少女に反応は無かった。やはり、日本語が通じないのか。
「どうぞ、食べて下さい」
もう一度紗枝が声をかけると、こちらを警戒しながらゆっくりとお盆に近づき、そしてトーストに手をつけ始めた。
お腹は減っていたらしい。ゆっくりではあるが、もぐもぐと味わうように食べている。
綺麗な髪だなぁ、と圭子は思った。ほの暗い拘置室の中でも、この少女の金髪は薄く光っているように見えた。この時代でも髪を脱色して金髪や茶髪にしている者はいるが、そういった者たちよりもずっと綺麗だと思う。
おそらく、顔が、日本人ではないからだろう。
特に、青い瞳。とても綺麗で、いつまでも見ていられる。
少女が、圭子の視線に気づいて、気まずそうにトーストを食べる手の動きを止めた。ハムスターみたいに、圭子の様子をうかがっている。
「あ、ごめん」
そう言って圭子は視線を外した。
紗枝は最初から心得ているようで、腕を組んで壁の何もないところを眺めている。
「紗枝ちゃん。私たちも食べる? ちょっと夕食には早い時間だけ――」
「食べる」
紗枝が物凄い勢いでお盆にとびつき、食事を始めた。
なんだか野生児みたいだ、と思って、圭子は少し笑った。
少女が全てを食べ終えるのに、たっぷり30分かかった。空腹だからこそ、飲み込むのに時間がかかったのだろう。それに、線の細い少女である。元々の食事量も大したことはないのだろうと思えた。
食べ終えて空になった皿をお盆に戻し、今度は圭子がそれを持った。
部屋を出ようとした時、圭子が着ている制服の隅っこを、少女がちょんと摘まんでいた。
圭子と目が合うと、少女はぺこりと頭を下げた。
ありがとう、と言いたいのだろうと思った。
圭子はにっこり笑顔になると「どういたしまして」と言った。
少女からの返答は無かった。ただ、困った顔をしていた。
空いた食器を食堂に戻したところで、見知らぬ人が大広間に来ているのに気づいた。
浅野が右腕の肘の内側をさすりながら仕事に戻っていくところだった。その仕草で圭子は直感した。
初芽が手招きしている。
「おーい。採血だ」
医者だか役人だか分からない黒スーツの男は、持ってきていた高そうな鞄から新しい注射器と針を取り出すと、アルコールを含ませた脱脂綿で圭子の肘の内側を丹念に拭いた。
「それじゃ、いいですか?」
優しそうに聞く男に「ダメです」と言いたいところだったが、そんなことできるはずもなく。
圭子は自分の腕に針が刺さる瞬間は目を逸らした。
「注射、苦手なんだね、圭子」
紗枝が、神妙な顔をしている圭子を気遣った。
「紗枝ちゃんは大丈夫なの?」
「うん。針なんて刀に比べればずっと小さいし」
強がりじゃないらしい。紗枝はほとんど真顔のまま、自分の腕に針が差し込まれるのを見つめていた。
「じゃあ、しばらくここで待っててくれ。検査結果はすぐ出るらしいから」
初芽がスーツの男の代わりに教えてくれたが、そのスーツの男は初芽におずおずと告げた。
「あの、隊長も採血します」
ばっ、と初芽がスーツの男を見やった。暗がりで刀の気配を察知したみたいな素早さだった。
「私は、あの子と同室したのは1回だけだぞ」
「1回でも検査しないと」
「同室したのも、20秒くらいだった。あの子に話しかけても反応してくれなかったから」
「時間も関係ないんです。そういう規律なんです」
長い沈黙が下りた。粘れば男は諦めてくれるかと初芽は思っているらしいが、男の方は初芽が覚悟を決めてくれるのをどうやら待っていた。
仕方ない、と初芽は男の正面に座った。
鬼の形相で、注射器を持つ役人を睨みつけている。
男の持つ注射器の針が初芽の腕に触れた瞬間、「あ」と初芽が声を上げた。普段は聞くことがないような可愛らしい声だった。
「あの、刺してもよろしいですか?」
役人がおずおずと聞く。相手が、剣志隊の隊長であり、「修羅」とまで呼ばれるほどの腕であることを知っているのかもしれない。
初芽は大仰に頷いた。しかし、顔は青ざめていた。
男もこれ以上時間をかける気はないらしく、さっさと仕事を終わらせることにしたようだ。
「あ……っ……つっ……」
何やら艶めかしい声をあげて、初芽は注射に耐えていた。
初芽にとっても、同席している圭子と紗枝にとっても、地獄としか言えない数秒が終わった。
「検査キットは用意してありますから、すぐに結果は出ます。もう少しお待ちください」
初芽はぐったりと大広間の畳に仰向けで倒れて、長い黒髪を床に散らしていた。
「私は、剣の腕が良いとよく言われるが、その理由の一つは、間違いなく、斬られることが大嫌いだからだ」
そう初芽は告げた。
隊長にも苦手なものはあるんだなぁ、と圭子はしみじみと思った。
「それじゃあ、その外国人の子の血液も採取してきます」
男が新しい注射器をカバンから取り出した時、床で無様に倒れていた初芽が「待て」と言った。
大嫌いな注射でへこたれているはずが、その声は冷たく鋭かった。
「採血するなら、薬を持っていく必要は無いんじゃないか?」
圭子は見えた。注射器と一緒に、小さな陶器の小瓶を、手の中に小さく隠し持っていた。
「私も、その採血に同席しておこうか」
「隊長……」男が小さい声を漏らす。
「ちなみに、もしあの子が私の目の前で死んだりしたら、私は君を捕縛する。市井の治安を守るのが剣志隊の仕事だからな。君には意外かもしれないが、外国人もその治安の中に入ってる」
男が動揺している。目を合わせるのが怖くて、床に視線を落としている。
初芽はゆっくりと立ち上がった。
「お前の独断か? それとも、誰かの命令なのか?」
「言えません」
「言っておくが、私は素手でも君より強いぞ。刀を持ってたら、もっと強い」
「お願いします、隊長……」
「そのお願いしますっていうのは、殺さないでくれってことか? それとも、あの子を殺させてくださいってことか?」
男はもう何も言わない。目も合わせない。
ただ、全身で懇願していた。
命と死にまつわる何かについて、必死だった。
しかし、初芽の態度に揺るぎは無かった。
「好きにさせてくれっていうんなら、駄目だ。あきらめろ」
「あの外国人がここにいたら、大変なことになるかもしれないんだぞ」
「その心意気には賛同するが、手段については同意できない。法的手続きを待て」
男は、はぁ、と息を吐いた。隠し持っていた小瓶を鞄の中に戻した。
「念のため言っておくが、注射器で空気を血管に入れたら、空気塞栓を起こすことは知ってる。静脈の位置だって大体分かるんだから、傷つけるような位置に針を刺すのもあきらめろ。妙な真似はするなよ」
もう男に、何かをする根性は残っていなかった。力無く小さな声で「分かりました」と答えた。
初芽が、金髪の少女がいる拘置室に向かう。男が動かずにいたので、ちらっと背後を見て「早く来い」と言った。
それを、圭子と紗枝が見送った。
初芽の今の静かな剣幕が心底恐ろしくて、気づいたら圭子は紗枝の腕を掴んでいた。
「怖かったね……」
そう言う圭子に、紗枝が無言で頷いた。
「あの子が危険だなんて思えないけど、そういう風に思う人はいるってことなんだね」
「うん。外国人は怖いなんて思ったら……、まあ、することは想像できるよね」
「白兵隊とか、陸軍とか、そういう所の偉い人はどう思ってるんだろう。もし連れてかれるってなった時、あの子を隊長みたいに守ろうとしたら、まずいよね」
「それは、きっと国家反逆罪みたいなことになるだろうね。そこまでになったら、隊長もあの子を守ってあげるのは難しいと思うよ」
「そうなったら、悲しいね……」
気持ちが沈んでいくと思った時、はっ、と圭子が紗枝の腕にしがみついているのに気付いて、そっと離れた。
「ごめん」
紗枝は、それでも無表情ぎみの顔をしていた。
「別にいいけど」




