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電話は大抵の公的機関には用意されているが、急務でない限りは使用することはない。制限されているという事はないのだが、公務にしか使わないため、平隊士である自分が使うのは遠慮がある、と圭子は思っていた。
しかし、今は公務である。しかも急務であった。
隊士も使える電話は、本館1階にあった。
ダイヤル形式の電話機である。圭子は受話器を取った。
さて番号を、というところで圭子の指がはたと止まる。隊長の自宅の電話番号を知らない。というより、電話機の使い方を知らない。
「あ、浅野さん!」
箒を片手に掃除に戻ろうとしていた浅野を呼び止める。
無論のこと、浅野は隊長の自宅の番号を知っている。今までにも何度もかけたことがあるのだろう。圭子から受話器を受け取ると、迷いなくダイヤルを回した。
プルルルル、と相手を呼び出す音が受話器から聞こえてきたところで、浅野が受話器を圭子に渡す。
初めての電話での会話に、圭子の心臓は鳴りっぱなしだ。
3回目のコールの後、先方が出た。
『はい、もしもし。武井ですけど』
ああ、隊長の家には電話が引いてあるのか。さすが隊長、と圭子は納得してしまった。もちろん、圭子の家には電話などない。電話口に出たのは女性だった。隊長の母かもしれない。
「あ、あの、私、剣志隊隊士、棚網圭子と申します」
「ああ、はいはい、剣志隊の人ね。初芽なら、もう家を出たわ。あと少ししたら、そちらに着くと思いますよ」
「わ、分かりました。ありがとうございます」
圭子は受話器を置いた。
初めての電話の会話は約10秒ほどだったが、心臓が強く打っている。
しかし、これで、もうじき初芽が隊舎に来ることは分かった。それまでどうするか、だが。
「何があったか、教えてもらってもよいですか? 私にも、何かできることがあるかもしれないので」
圭子が電話をしている最中も傍にいてくれた浅野が、遠慮がちに、しかし、はっきりと言った。
この男は隊士ではないが、この男なりに剣志隊に尽くしてくれている。
「実は……」
外国人の女性が敷地内に入ってきている、という話を聞いて、浅野は「それは大変だ」と圭子と一緒に道場入口まで戻った。
そこでは、紗枝と外国人の少女が、先ほどまでと同じ立ち位置で見つめあっていた。しかし、紗枝の左手は鞘の鯉口を切っている。一触即発だった。
「本当に、外国の人なのか」
浅野は、青い瞳の少女を見て、独りごちた。
少し浅野は何かを考えていたが、道路の方を振り返り、仕方ないなと呟いた。どうやら、圭子と同じ考えに至ったらしい。
さっきの野次馬らしい男たちはいなかった。もう警察に通報してしまったか。
浅野は手ぬぐいを右手に巻くと、その右手でそっと少女の手を掴んだ。素手で触らないためと分かった。浅野も、素手で触るのは怖いらしい。
浅野は、少女の手をぐい、と引っ張った。そのままぐいぐいと引っ張っていく。その先は、宿舎である。
その引っ張り方が少々乱暴だったので、優しくして欲しいと言おうとしたが、圭子は「あ……」と言葉を詰まらせるのが精一杯だった。
少女は、痛そうにしている。浅野の腕は細いが、それでも少女よりもずっと力は強いだろう。抵抗をしないのは、素直だからか、抵抗しても無駄だと思っているからか。
「浅野さん」
紗枝が、唐突に声をかけた。もう、鞘には手をかけていなかった。
「強く引っ張らないであげて下さい。その子、痛がってます。大丈夫、きっと逃げませんし、もし逃げても私が止めます」
「……分かりました」
すごいなぁ、と圭子は目を丸くしていた。紗枝ちゃんてば、やる時はやる人なんだ。
浅野が青い瞳の少女を連れていったのは、宿舎1階にある拘置用の部屋だった。
剣志隊は、その任務上、捕えた犯罪者の身柄をどうするかが決まるまでの間、拘置するための部屋を用意してある。鍵を外から掛けられる上に、窓もない部屋のため、外に出られるような部屋ではない。戸には、中の様子を見るための透明のプラスチックの板がはまっている。まさに、閉じ込めるための部屋だった。
「すまんね」
浅野が軽く頭を下げると、戸を閉じて鍵をかけた。
戸を閉じきる寸前に、圭子に少女の顔が見えた。怯えていた。圭子は、自分の胸がぎゅぅっと締め付けられるのを感じた。
浅野も、その少女が罪人だとは思っていない。だが、浅野の考えは少女の命を守るために大衆や隊士たちの目から隠すというのは理に適ったものと言えるだろう。
その後、圭子は道場へ、紗枝は食堂へ戻って、それぞれの時間を過ごそうとしたが、すぐに隊長室に呼ばれた。
隊長の初芽が、本館に着いてすぐに浅野から話を聞いたからだ。
圭子と紗枝が揃って隊長室に入った時、初芽は革のジャケットを脱いでハンガーにかけるところだった。その下は黒いTシャツに黒のパンツ。まるで男性モデルのようだと圭子は思った。
隊務を処理している時はおおよそ和服を着ているので、初芽は公私でファッションを切り替えるようにしているらしい。
髪をまとめていたバレッタを外すと、ざあと音を立てて腰まで黒髪が落ちた。
「あの……、出直した方が良いでしょうか」
圭子がおずおずと聞くと、初芽は人懐っこい顔をして首を左右に振った。
「いや、いいよ。着替えるのは後にする」
圭子と紗枝は、横に並んでぴしりと直立していた。それに対して、初芽は机に尻を乗せると、くつろいでいる風を見せた。
「それで、その外国人の少女を見つけたのは、お前たち2人なんだな」
「見つけたのは圭子です。その後、私が呼ばれて、その後に浅野さんが宿舎まで連れて行ってくれました」
紗枝が説明してくれた。学校の勉強は苦労しているらしいという話を聞いてたことがあるが、頭の回転は速そうだ、と圭子は感じた。
「よくやってくれたな。ありがとう。そのまま外を出歩いていれば、町民か警察か、まあ誰かに殺されていただろうからな」
初芽も、圭子が思っていた通りに考えていたようだった。
「もう役所には連絡した。そのうちに、来てくれるだろう」
「役所というと……連れて行ってしまうのですか?」
どこかの刑務所へ。圭子はそのように思って聞いた。
「いや、違う。そうなる可能性も大いにあるが、まずは病気の検査だ。外国人といえば、何か感染症にかかっていると思うのが普通だからな。政府からも、そのようにお達しが来ている」
そこまで言って、初芽は視線を外して壁の方を向いた。
「私は、そうは思っていないけどね。感染症が海外に蔓延していて、実際に全滅した国もあるとは思っている。でも、外国人だからって、全員が感染しているとは思えない。それに、日本で生まれ育った外国人がいるという可能性も大いにあると思っているんだ」
圭子は、自分の思いもよらぬ考えに触れて、考えが晴れる思いだった。
「さっき、私もあの子に会ってみたが、何か病気になっている様子は無かった。会話は成り立たなかったけどね。それよりも、早く何かを食べさせてやりたいね」
新聞や教科書を鵜呑みにするのでなく、それらを知った上で自分の意見を言う初芽は、圭子から見るとひどく大人に見えた。ただの剣客ではない。やはり、色々と勉強しなければ、と思う。
「浅野にこれ以上、この件で関わらせるのは申し訳ないから、食べ物を運ぶのは君たち2人に任せていいかな」
「分かりました」
「あと、これは申し訳ないが、既に接触している君たち2人と浅野は、何かに感染していないか血液検査をする。そう思っておいてくれ」
そういうものなんだ、と圭子は頷いた。
紗枝はどちらかというと無表情で、理解しているか分かりかねる表情であったが、紗枝も素直に頷いた。
2人は食堂へ向かう。
「洋食にしてくれって言われたからそうしたけど、お口に合うかしら」
賄い係として働いている和美が用意してくれたのは、トーストとポテトサラダだった。
和美の心配をよそに、何を入れたのかは分からないが、すさまじく食欲をそそる香りがした。
「お腹空いてるか分からなかったけど、圭子ちゃんと紗枝ちゃんの分も作っておいたから、良かったら一緒に食べてね。残してもいいから」
「ありがとうございます。お腹は空いてるので助かります」
圭子は丁寧にお礼を言って腰を折った。
もう紗枝は和美から料理の乗ったお盆を手に、さっさと拘置室に向かっている。早くこの料理にありつきたいらしかった。
さて、あの金髪の女の子は食べてくれるだろうか。




