3-4
その日から、紗枝の伊勢を見る目が変わってしまった。
放課後、勉強を教えてもらいながら、伊勢の身振り手振りを観察してしまう。
体つきを見てみると、細いのではない。贅肉がついておらず、引き締まっているのだ。これでは、喧嘩に弱いということは無さそうだ。
手のひらを盗み見ると、左手の小指の付け根にタコがあるように見える。竹刀ダコに見えなくもない。
また、普段は犬も殺せないような柔らかい目をしているのに、ふと鋭く自分を観察しているようにも見える。気のせいかもしれない。だが、紗枝には、自分が観察されているようにも見えるのだ。
その日は社会の宿題をこなしながら、しかし紗枝の思考は勉強の方を向いていない。
仮に、伊勢が何者かの間者で、自分から剣志隊の情報を得る、もしくは何者かの暗殺を考えているのであれば、誰の差し金か。
紗枝は、剣志隊の事務方である西紀麻美に相談した。
伊勢を自分に家庭教師として推薦したのは、紗枝の担任教師である大元源吾である。
彼の周辺調査を依頼した。
剣志隊には、事務方の他に、探索方がいる。剣志隊の隊士にふさわしい剣の腕を持っているが、その能力はもっぱら、捜査に特化していた。彼らもまた、22歳で4月を迎えた後に、白兵隊の諜報部に入る予定の者たちだった。
紗枝からの依頼は麻美から房江と初芽を経由し、白井信孝という隊士が受け持った。
捜査が進んでいる中でも、紗枝は伊勢の授業を受けていた。だが、今までほどには、勉強に集中は出来なかった。一度疑ってしまうと、伊勢の行動がどこまでも怪しく見えてしまう。
所作の一つ一つが、洗練され過ぎている。学校の教師には全く似つかわしくない。
「どうしたんだい、羽場さん。最近、身が入らないみたいだね」
「はい」
正直に答えた。理由までは答えられないけれど。
勉強中、常に伊勢は紗枝の近くにいるわけだが、紗枝は自分の持ってきている日本刀の置いてある位置を常に気にするようになった。
見る限り、伊勢は刀剣の類を持っているように見えない。非常に稀ではあるが、銃を持っている気配もない。もし、自分を殺そうとするのであれば、素手か。とすると、柔術、拳法?
いずれにせよ、男女の体格差を考えると、自分の手に刀が無ければ絶対に勝てない。
緊張を強いられているのだ。勉強に身が入るわけが無かった。
紗枝が麻美に話をしてから数日経った日のことだった。
紗枝の学級に変化があった。
朝、学級の出欠を取るはずの担任の大元が、時間になっても教室に現れない。誰かが職員室に行くべきかという話が出た時、別のクラスの担任である鈴井麗子が現れた。
「大元先生ですが、本日は学校にまだ来られていません。代わりに私が出欠を取ります」
名簿を見ながらクラスメイトの名前を1人ずつ読み上げるのを聞きながら、紗枝はぼんやりと理解した。
大元は、やはり何者かと繋がっていた。剣志隊に捕縛されるか、もしくは何者かに殺されたのだろう。
紗枝の予想は当たっていた。
紗枝が剣志隊の本営に着くと、すぐに房江に声をかけられた。
「あなたの学校の大元先生、教職以外も随分と勤勉だったわ」
「何か、悪い人と関わっていたんですか?」
「関わっていたどころじゃない、悪い人そのものよ。生まれは、岩手国。あっちで、何人もの軍人を斬ってて、指名手配を受けている。身分を偽って他国へ出奔というのはよく聞く話だけど、まさか教師になれるだなんてね。よっぽど、腕のいい口利き屋の世話になったようね」
「政治犯ですか?」
房江は薄く笑って、首を振った。
「殺し屋よ。金をもらって、要人の暗殺を請け負う。けっこうな腕のようね」
「それで……、斬ったんですか?」
隊士の、誰かが。
「いいえ。捕縛したわ。あまり口は堅くないみたい。既に、今受けている仕事の話を白状している」
ここで、房江は笑みを消した。真面目な目、あるいは、冷たい目になった。
「狙いは、剣志隊隊長、武井初芽。既に報酬の半額を前金で受け取っている。古い映画みたいな話だわ」
「あの……伊勢先生は、何か関わりがありますか?」
「彼は、大元から依頼を受けた、同じく殺し屋よ。大元の助手というところね。彼にも既に捕縛命令が出て、町中の警官が探し回ってる。いずれ、捕まるでしょう」
「私も、向かった方がいいですか?」
「平気よ。もう手配は国境の検問までまわってる頃よ。逃げるのは、無理だわ」
紗枝は、伊勢のことを考えた。
家庭教師としては優秀で、教え方は上手かった。
その彼が、もうじき捕まる。
刑務所に行くことになるだろう。罪状が悪ければ、断首ということもある。
もう、彼に勉強を教えてもらうということはない。
それが、少し残念であった。
伊勢が目の前の警官の足を斬り落とすと同時に、その脇にいた警官の振るう日本刀が伊勢の腕をかすめた。
「うぉあああああ!」
物凄い気迫を発する伊勢は、返す刀で警官の額を斜めに斬り裂いた。
既に刀傷多数。
特に、右胸の傷が酷い。左手で押さえているが出血が止まらない。
しかし、どこかで休んでいる暇はない。
右手に日本刀を提げて、血をポタポタと垂らしながら、走り始めた。
早く行かなければならない。
剣志隊の本営。
武井初芽の目の前に立たなければならない。
それが仕事で、それを果たせば報酬がもらえる。
そして、経歴に箔がつく。一殺の値段も上げられる。
伊勢は名声を得て、金持ちになりたかった。
日本最高の殺し屋と言われたかった。
もう少ししたら本営が見える、という位置で再び警官2人と遭遇した。
(くそ、仕事熱心だな)
右手の刀を構える。
息を整えて踏み込もうとした時、突然、何者かが現れ、一刀で警官2人の頸を斬り裂いた。血を撒き散らしながら警官2人が倒れた。
斬ったのは、雲居眞咲だった。遺骸となった警官にしゃがみ込むと、血に濡れた自分の刀を警官の制服で拭っていた。
拭いながら、伊勢の顔も見ずに言った。
「早く行きなよ。あの隊長を斬ることができれば、間違いなく君は日本一の殺し屋だ。俺は本当にそう思ってるよ」
「あ、ありがとう、中村さん」
雲居は、伊勢に対して中村と名乗っていた。もう雲居はそんなことを覚えていないが。
「最初に会った新橋の飲み屋で、夜九つの鐘まで待ってます。うまくいくことを祈ってますよ」
最後に伊勢は頭を軽く下げてから、走り出した。
雲居から見ると、憐みを覚えるほど遅い足取りだが、全身にいくつもの刀傷をこしらえ、右胸に致命傷をもらってるのだから、それも致し方ないかな。
(うまくいったら、俺のお得意さんに紹介するよ。さぞ大金で殺しを請け負うことができるだろう)
(君にはうまくいってほしいと思ってるんだ。本当だよ)
刀を拭い終わった雲居は、立ち上がって鞘に収めた。
誰かに見られて、殺しを重ねるのも気が滅入る。できることならもう誰も殺さず今日という日を終えたい。
雲居はそんなことを考えながら、その場を去った。




