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姉、斬る、妹―2805年、東京国の凶賊始末記―  作者: 羽法 伊助
3話:【羽場紗枝】いなくなった先生を想う
11/48

3-2

 事務方の誰かに答案を提出しようと思ったのだが、ちょうど宿舎の1階大広間でお茶してる房江を見かけた。

「あら……」

 38点という点数を見て房江が悲しい顔をした。そして、「紗枝さんならもっと頑張れると思うわ」という、なんとも言えない言葉で元気づけてくれた。

 しかし予想外な言葉もかけてくれた。

「私がお勉強見てあげましょうか? 私もそんなに勉強が得意なわけじゃないけど」

 とてもお願いしようという気にはならなかった。場合によっては隊長の武井(たけい)初芽(はつめ)よりも忙しいかもと言われるほどの人だ。日中は大学、本営に来たら山ほどの事務仕事。空いている時間ができたら道場で汗を流し、出動要請があれば刀を帯びて飛び出ていく。隊士たちに義務付けられている市中巡察もきちんとこなしている。とどめに、家に戻ったら激しい剣の稽古をしているらしい。とんでもない人だ。

「いえ、大丈夫です」

「そうお? もし本当に困ったら、声かけてね」

「了解です」

 後ろ髪を引かれながら、紗枝は道場に向かった。


 剣道着に着替えて、防具を身につけると道場に入る。

 そこには、1人の隊士が防具を着て素振りをしていた。

 隊士が使う防具の垂れという前掛けには、名前を書いた布を被せてあるので、顔が見えなくても誰かは分かる。

 副隊長の柚希だった。

 道場に入って来た紗枝に気づくと、柚希は竹刀を振る手を止めた。

「誰だ?」

「羽場紗枝です」

「ああ、羽場か」

「副隊長は、お一人ですか?」

「ああ。誰かが来たら汗でも流そうと思ったんだけど、今日はみんな来ないみたいだ」

 それは嘘だ、と紗枝は思った。本営に入った時、巡察に出た隊士を何人も見かけた。おそらくは、柚希と道場で会いたくないものだから、今日は巡察の日にしようということだろう。なんせ、こないだ柚希が竹刀で稽古の相手の面鉄(めんがね)を面撃ちで割り砕いたのを見てしまった。凄まじい威力だ。

「羽場が来てくれて、助かった。一汗かかないか?」

「よろしくお願い致します」

 互いに蹲踞し、紗枝は竹刀を構えた。

 柚希は下段に構えている。待ちに入っているようだ。

 紗枝の腕を確かめようというのだろう。

 紗枝は中段に構えたまま、ス、ス、ス、と間合いを詰めた。

 間合いが2歩まで詰まったところで、紗枝は面に浴びせた。

 それを柚希は危なげなく擦り上げると、素早い面を打った。

 紗枝は横っ飛びに右に避けると、素早くまた構える。

 柚希は面鉄の奥で少しだけ笑うと、一度竹刀を右手にぶら下げた。何事かを考えた後、

「これから、私とお前が持っているものは真剣ということにしよう。いいか?」

 紗枝は少しだけ考えて、「分かりました」と答えた。

 剣道で狙うのは面、籠手、胴、突きのいずれかだけだ。

 しかし、真剣による闘争は、これによらない。手足に刃が入れば運動に支障が生まれ、次の瞬間には致命的な一撃を受けることになるからだ。

 その身に刃が触れることは、ほんの少しも許されぬ。

「では、始める」

 柚希が青眼を斜めに倒した構えをとる。

 隊内でも同じ構えをする者は誰もいない。

 正中線を外した構えで面と喉に隙があるように見える。左肩も狙える。

 飛び込みたい紗枝の意識に反応して、竹刀の先端がぴく、と震える。

 それが柚希の狙いである。わざと隙を作って相手の撃ちを誘っているのだ。誘いに乗ると強烈な反撃が飛んでくるというのが分かっているので、紗枝は攻めあぐねる。

 しかし、柚希は待ちの剣士ではない。

 迷う紗枝に対し、素早い籠手撃ち。

 紗枝は鋭い一撃をなんとかさばくが、柚希は流れるように胴、籠手、胴と連続で撃ってくる。

 これ以上はさばききれない。

 柚希の連撃に紗枝の竹刀が泳ぐ。隙を見せた紗枝にとどめの胴撃ちが迫る。

 刀を戻す暇はない。しかし、手首を回す時間はあった。

 紗枝は柚希の竹刀を柄尻で受け止めた。

「おっ……」

 剣道の定石ではない動きで、柚希の目に驚きがはしる。

 柄尻で柚希の竹刀を押し返すと、再び手首をまわして面撃ちを放つ。

 届くと思った。

 しかし、柚希は竹刀の運びだけが速いわけではない。

 体の運びも速い。

 紗枝の面撃ちが柚希の面鉄に触れるより前に、柚希は身をかがめながら前方へ飛び込みつつ、紗枝の逆胴を撃ち抜いていた。

 強烈な一撃だ。胃の中のものが出てきそう。これだけ強力なら面鉄を破壊したのもうなずける、と紗枝は思った。


 柚希は面を外すと、ふぅと息を漏らした。紗枝も面を取る。紗枝は汗びっしょりだったが、柚希は額に少しばかり汗を浮かせている程度だった。息も切らしていない。手心を加えるだけの力の差がありありと見える。

「今の柄尻で私の竹刀を受けるのはとても良かった。真剣でやるとなるとかなりの度胸が必要そうだけど、得意技なの?」

 ほんのちょっぴりだけど、柚希の口調が柔らかくなった気がした。

「もう撃たれるという時のせめてもの抵抗ですが、まだ練習が足りてません。真剣でできるかは自信が無いですね」

「まあ、敢えて狙うのは危険だよ。もし外せば、そのまま腕が真っ二つにされるだろうね」

「はい、分かってます」

 もう一本やろうという気にはならなかった。シャワーでも浴びて、家に帰ろうと思う。

 紗枝は会釈をして道場から出て行こうとしたところ、柚希に声をかけられた。

「羽場は、剣志隊に入ってから人を斬ったことはある?」

「まだありません」

「では、剣志隊に入る前は?」

「もちろん、ありません。それでは、正当防衛でもない限り、ただの殺人です」

「そりゃそうだよね。でも、手を合わせた感想なんだが、とても中学生とは思えない手際だった。それで、人を斬った事がないというのが意外だったんだ」

 紗枝は、少し目を伏せた。が、言った。

「剣士として、いずれは斬るであろうと考えています。そのことを考え過ぎているせいかもしれません」

 頭の中で繰り返し、繰り返し。

 紗枝は沈鬱そうに眉を下げて、顔も伏せた。辛そうであった。

 柚希は紗枝に歩み寄ると、その肩に手を乗せた。

「考え過ぎないでいいよ。剣士として、市井(しせい)の治安を守るために必要なことだが、それが苦痛なら辞めろ」

 除隊しろ、と言っている。だが、紗枝はかぶりを振った。

「斬るのが苦痛とは思っていません。必要なことですから」

「……そうか」

 それ以上、柚希は言わなかった。紗枝の剣術は優秀だが、頭の中も優秀だと柚希は思っている。どうするかは、紗枝が自分で決められる。ならば、他者からの意見は不要だろう。

 紗枝は身支度を整えて本営を出ると、貸与されている刀を帯びて帰路に就いた。

 家に着くまでに、誰かと斬り合うことは無かった。

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