第4話:募る焦燥と、校舎裏の乱入
【時間】 数日後の昼休み ➜ その日の放課後
【場所】 賑わう昼の教室 ➜ 夕暮れの校舎裏
あの日から、数日が経過した。
表面上、二人の間には平和な日常が戻っていた。けれど、水面下の変化はあまりにも劇的だった。
例えば、消しゴムを貸し借りする時。指先が触れ合うと、お互いにビクッと身体を震わせて視線を泳がせてしまう。
例えば、目が合った時。いつもなら変顔をして笑い合っていたはずなのに、どちらともなくカーッと顔を赤らめてサッと逸らしてしまう。
まるで、薄氷の上をそろそろと歩くような、甘美で落ち着かない日々。
そんなある日の昼休み。
自分の席で購買の焼きそばパンをかじっていた悠真のもとへ、クラスの男子数人がニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながらやってきた。
「よお、悠真。お前、知ってるか?」
「何をだよ」
「美咲のこと。今日の放課後、告白されるらしいぜ」
悠真の咀嚼が、ピタリと止まった。
口の中のパンが急に味を失い、喉に引っかかる。悠真はすぐに表情筋を締め直し、机の上の英単語帳に視線を落としたまま、極めて平淡な声を作って返した。
「……へえ。誰に」
「隣の2組の、バスケ部の副キャプテン。ほら、背が高くて爽やかな城島だよ。あいつ、一年の頃からずっと美咲のこと狙ってたんだってさ。『神崎と美咲は付き合ってない』って噂を聞きつけて、満を持して突撃するらしいぞ」
「……そうなんだ」
「お前、幼なじみとしてどう思うよ? 城島ならイケメンだし、美咲の相手としてもお似合いじゃね?」
友人たちの楽しげな声が、遠くのノイズのように聞こえる。
悠真はただ「さあな、あいつの勝手だろ」とだけ短く答え、単語帳をめくった。
友人たちが去った後も、悠真は同じページを見つめたまま、一文字も頭に入ってこないアルファベットを凝視していた。
(あいつの……勝手だ?)
心の中で、冷笑するもう一人の自分が呟く。
そうだ。美咲が誰に告白されようと、誰を選ぼうと、それは美咲の自由だ。
あの放課後、彼女は「まだ分からない」と言った。悠真も「待つ」と約束した。付き合ってもいない、何の約束も交わしていない今の悠真には、彼女の恋愛に口を挟む権利なんて一ミリも存在しない。
頭では分かっている。痛いほど理解している。
けれど――。
パキッ。
乾いた音が響いた。
無意識のうちに握りしめていたシャーペンのプラスチック軸が、悠真の指の力に耐えかねて亀裂を走らせていた。
城島。知っている。人当たりが良くて、運動神経も抜群で、女子からの人気も高い男だ。
もし、美咲があいつの告白を受け入れたら?
美咲が、あいつの前で顔を赤くして笑ったら?
美咲の手を引いて歩くのが、美咲を抱きしめるのが、俺以外の男になったら――?
(……嫌だ)
思考を塗りつぶしたのは、理屈など微塵もない、醜悪なまでの独占欲だった。
胸の奥で、真っ黒な炎がゴウゴウと音を立てて燃え盛る。誰にも渡したくない。あいつの笑顔も、泣き顔も、意地っ張りなところも、全部、俺だけのものだったはずだ。他の誰かに奪われてたまるか。
◇
キーンコーンカーンコーン――。
放課後を告げるチャイムが鳴り響いた瞬間。
悠真は鞄に教科書を放り込むことすら忘れて、弾かれたように席を蹴っていた。
「おい、神崎!? どこ行くんだよ!」
背後でクラスメイトが呼ぶ声を無視し、悠真は教室のドアを蹴破らんばかりの勢いで飛び出した。
廊下を走る。
すれ違う生徒たちが驚いて道を譲るのも構わず、階段を三段飛ばしで駆け下りる。荒い息が喉を焼き、心臓が肋骨の内側を激しく打ち鳴らす。
(間に合え……っ! 頼むから、間に合ってくれ……!)
みっともない。無様だ。美咲に嫌われるかもしれない。
そんな理性のストッパーは、とっくに焼き切れていた。失う恐怖に比べれば、プライドなど塵芥に等しかった。
昇降口を飛び出し、落ち葉を踏み散らしながら、悠真は人気のない北校舎の裏手へと回り込んだ。
生い茂る木々の隙間。木漏れ日が揺れるその場所に、二つの人影があった。
悠真の足が、急ブレーキをかけるように止まる。
壁の陰に身を隠しながら、肩で息をする悠真の目に飛び込んできたのは――緊張した面持ちで直立する長身の男子生徒、城島と、戸惑ったように目を瞬かせる美咲の姿だった。
「――ずっと、一年の体育祭の時から、好きでした!」
城島が、深く頭を下げた。差し出された両手。真っすぐな、衒いのない告白。
「俺と、付き合ってください!」
美咲が息を呑み、わずかに後ずさるのが見えた。
その光景を見た瞬間、悠真の視界の端がチカチカと明滅した。全身の血液が逆流するような寒気が走り、次いで、沸騰したマグマのような熱情が脳髄を直撃する。
美咲の唇が、ゆっくりと開く。
「あの……私……」
何かを言いかけた、その刹那。
悠真の頭の中で、張り詰めていた最後の理性の糸が、ブツンと音を立てて千切れた。
「待ったあぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!」
考えるより先に、大地を蹴っていた。
ザッ、と激しく砂利を巻き上げる足音に、美咲と城島が同時に弾かれたように振り返る。
「えっ……!? ゆ、悠真……!?」
信じられないものを見るように目を見開く美咲の視界を遮るように、悠真は大股で二人の間へと乱入した。
美咲を完全に自分の背中に隠し、城島と正面から対峙する。
悠真の肩は激しく上下し、乱れた前髪の下の黒い瞳は、野獣のようにギラギラと光っていた。喉から心臓が飛び出しそうだった。けれど、悠真は一歩も引かず、校舎裏の空気をビリビリと震わせるほどの大音声で叫んだ。
「悪いけど! こいつは、俺の女だ!!!!」
ピタリと、風が止まった。
夕暮れの木立の中に、信じられないほどの静寂が落ちる。
「…………は?」
悠真の背後で、美咲が魂を抜かれたような声を漏らした。
正面の城島にいたっては、告白のために差し出していた両手を宙に浮かせたまま、口をあんぐりと開けて完全にフリーズしている。
「お、おい神崎……お前ら、付き合ってないって……」
「今から付き合うんだよ! 文句あるか!」
「ちょ、ちょっと悠真!? あんた何を言って――」
「美咲、来い!」
悠真は背後の美咲の抗議を一切聞かず、振り返りざまに彼女の華奢な手首をガシッと掴んだ。
そして、呆然と立ち尽くす城島に「邪魔して悪かったな!」とだけ言い捨てると、美咲を引きずるようにして、大股でその場から走り去った。




