3話 錬便術死
前書き
異世界に転職して、少しずつ職場にも慣れてきた……。
そう思っていた。
だが、異世界の洗礼は、まだ始まったばかりだった。
夜まで続く変則勤務。
一人で対応しなければならない時間帯。
そして、介護という名の特殊技能を要求される数々のクエスト。
今回、モブ男を待ち受けていたのは――
「……なんだ、この臭いは?」
そう。
異世界には、魔法やモンスターだけではない。
介護士なら誰もが一度は遭遇する、
あの強敵が存在する。
これは、そんな強敵と戦う一人の農民の物語である。
第3話 羽兼は錬便術師
【モブ男】
種族:ヒューマン
職業:農民(介護士)
Lv:15
HP:80/150
MP:50/150
SP:5/10
【モンスター数:28】
徘徊種:14
要介助種:6
トラップマスター:8
攻撃力:5
口撃力:200
防御力:8
装備:Tシャツ
チノパン
ナイキのスニーカー
武器:なし
状態異常:疲労(中度)
ウォール・マリ〇(笑)事件から数日後。
俺は、同じ冒険者のナベタともすっかり仲良くなっていた。
ナベタは先輩冒険者でもあり、俺にこのダンジョンでの生き残り方を教えてくれている。
そして、変則的な勤務にも少しずつ入るようになり、その日は夜までの勤務だった。
昼間とは違うダンジョン。
冒険者の数も減り、辺りは少しずつ静かになっていく。
そんな中、ナベタが突然、声をかけてきた。
「モブ男さん……」
「はい?」
「ちょっと言いづらいんですが……」
「何ですか?」
「20時にダンジョン内パトロールがあるんですけど……」
「はい」
「左から7個目の小部屋だけは、この時間に入るとき、気をつけてください」
「え?」
俺は眉をひそめた。
「幽霊でも出るの?」
「…………」
「もうそんなもんじゃ驚かないけど。これだけ人外だらけなんだし」
するとナベタは首を横に振った。
「いや……幽霊じゃないっす」
そして、何やら妙な道具を取り出した。
「トラップがすごいんですよ」
「トラップ?」
「はい。これ使ってください」
渡されたのは――
タオルとモップだった。
「…………」
(え?)
(トラップ?)
(ここ、本当に介護施設だよな……?)
半信半疑のまま、俺はその小部屋を覗き込んだ。
そして――
固まった。
「…………」
床のいたるところに、黒い沼が広がっている。
一つ。
二つ。
三つ。
数えているうちに、数えるのをやめた。
「…………多すぎない?」
「数分おきに発生するんすよ」
「数分おき!?」
「はい。だから踏まないように気をつけてください」
「踏んだら?」
「装備品がゴミに変わります」
俺は黙って、自分の装備を確認した。
ギルドから支給された高級装備。
ディスポ手袋。
ディスポエプロン。
「…………これ、高級装備なの?」
「このダンジョンでは必須っす」
俺はため息をつきながら装備を整えた。
そして、毒沼トラップの解除を始めた。
一つずつ。
慎重に。
踏まないように。
飛び散らないように。
臭いに耐えながら。
「……これを、毎日?」
思わず口から漏れた。
ナベタは答えなかった。
ただ黙々とモップを動かしていた。
その横顔を見て、俺もそれ以上は何も言わなかった。
そして、部屋の奥へ進んだときだった。
「…………ん?」
そこには一人の錬便術師が横たわっていた。
いや。
正確には、その隣に何かがある。
「…………」
俺は目を疑った。
錬金術師と同じくらいの価値がありそうな金……。
いや。
便だった。
しかも、それはまるで錬便術師に寄り添うように、隣で横になっている。
「…………なんだこれ」
その瞬間。
「やばい……!」
ナベタが叫んだ。
「え?」
「こんなはずじゃ……」
ナベタは錬便術師に駆け寄った。
「畜生……持っていかれた……!」
「ちょっと待って!」
俺も慌てて近づく。
「どうしたんですか!?」
ナベタは必死の顔で叫んだ。
「この人、大量に錬便すると……」
「すると?」
「血圧が下がって、持っていかれるんです!」
「…………!」
一瞬で空気が変わった。
さっきまで俺は、ただの「異世界ギャグ」だと思っていた。
けれど、目の前にいるのはモンスターじゃない。
一人の人間だ。
体調が悪くなれば、命に関わる。
俺は急いで状態を確認しようとした。
そのときだった。
「もぐ……もぐ……」
「…………?」
錬便術師――羽兼が、何かを食べている。
よく見る。
それは――
タウパーうんこバーガー。
「…………」
俺が固まっていると、羽兼がこちらを見る。
「うめーぞ?」
「…………」
「くうか?」
そう言って、俺にタウパーうんこバーガーを差し出してきた。
「…………いや、遠慮します」
俺は思わずそう答えた。
すると羽兼は、何事もなかったようにまた食べ始めた。
「もぐ……もぐ……」
その光景を見ながら、俺は考えていた。
数日前まで、俺はここを異世界だと思っていた。
モンスターがいて。
妖怪がいて。
警報が鳴って。
毒沼が発生して。
冒険者たちが命懸けで戦っている。
だけど――
違う。
ここにいるのは、俺と同じ人間だ。
俺たちが「モンスター」と呼んでいる相手も、元々は誰かの家族で、誰かに大切にされてきた人間だ。
そして俺たちは、その人たちの生活を支えるために、このダンジョンへ来ている。
汚物を片付ける。
身体を洗う。
食事を手伝う。
体調を確認する。
夜中に起きれば対応する。
何かあれば走る。
そして、また次の日も同じことをする。
それを「クエスト」と呼んでいるだけだ。
「…………」
俺は、羽兼を見た。
さっきまで笑っていた自分が、少し恥ずかしくなった。
これはゲームじゃない。
死んだらリセットできる世界でもない。
ここで働いている冒険者にも生活がある。
そして、このダンジョンで暮らしている人たちにも人生がある。
「モブ男さん」
ナベタが声をかけてきた。
「はい」
「まだ終わってないっすよ」
「……ですよね」
「これ、片付けないと次の仕事に行けないんで」
「…………」
俺はモップを握り直した。
「分かりました」
笑うしかなかった。
結局、俺たちは今日も戦う。
華麗な剣もない。
強力な魔法もない。
あるのは、ディスポ手袋とモップ。
そして、終わることのないクエスト。
こうして――
緊急クエスト『錬便術師の浄化』
が始まった。
時計を見る。
夜は、まだ始まったばかりだった。
そしてダンジョンの警報は、今日も鳴り止まない。
ピーピーピーピー……。
(……明日も、ここに来るのか)
そのとき俺は、初めて気づいた。
このダンジョンで一番恐ろしいものは、モンスターではない。
この生活が、永遠に続くことなのかもしれない。
【モブ男】
種族:ヒューマン
職業:農民(介護士)
Lv:15
HP:5
MP:-120
SP:5/10
【モンスター数:28】
徘徊種:14
要介助種:6
トラップマスター:8
攻撃力:5
口撃力:200
防御力:8
装備:Tシャツ
チノパン
呪われたナイキのスニーカー(尿を踏んだ呪い)
武器:なし
状態異常:疲労(重度)
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
今回のお話は、介護現場では比較的よくある……いや、できれば遭遇したくないクエストを題材にしています。
「なんで介護士がこんなことまで?」
そう思ったことがある方もいるかもしれません。
ですが、異世界の農民には選択肢がありません。
逃げる?
→できません。
助けを呼ぶ?
→誰もいません。
装備を確認する。
→ロキソニン、湿布、きずばん。
そして最終的に手に入る称号が――
『錬便術師』
……どうしてこうなった。
この物語は、実際の介護現場で起きた出来事をベースに、異世界ファンタジー風にアレンジしています。
現実では笑えないことも、異世界なら少しくらい笑い話にできる。
そんな気持ちで書いています。
次回も、モブ男の異世界介護生活をお楽しみください。




