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第九話:橋姫 美月

先程さきほど朱里あかりが味わった暗闇くらやみは、空気くうきなかみつ恐怖きょうふ残滓ざんしのこしていった。わたしはあのちいさなむすめ、しおりを観察かんさつした。彼女かのじょいまだに海斗かいと巨大きょだい背中せなかうしろにかくれ、おびえるひつじ演技えんぎ完璧かんぺきにこなしている。……ほぼ、完璧かんぺきに。


 だが、わたしのような毒殺どくさつは、同類どうるい殺人さつじんしゃけるすべっている。わたしたちに、いのちり取るためのナイフなど必要ひつようない。ただ忍耐にんたいと、適切てきせつ時間じかんがあればいい。


 しおりは脅威きょういだ。彼女かのじょ投票とうひょうの流れ《ながれ》を支配しはいはじめている。わたしうごかなければ、わたしか、あるいはわたしの「保護ほご対象たいしょう」であるれんつぎ標的ターゲットになるだろう。


れんさん」わたしはいまだにはげしくふるえている政治家せいじかそばい、ささやいた。「あの……しおりは……わたしたち全員ぜんいんなか違い《がい》させたわ。このままほうっておけば、ひとずつ彼女かのじょくされるわよ」


かっている!」れんひくかすれたこえき捨てた。「だが、ただろう。あのくるった警官けいかん彼女かのじょまもっているんだ!」


 わたしこころなか微笑ほほえんだ。このおとこ本当ほんとうみやすい。わたしはドレスのかくしポケットをいじった。拉致らちされたさい所持品しょじひん検査けんさけたが、やつらは『どく』が常にボトルのかたちをしているとはかぎらないことをらなかった。


 わたしは、なかけられる宝石ほうせきいたふるびた指輪ゆびわり出した。あの「病死びょうし」したおっと遺品いひんだ。そのなかには、顕微鏡けんびきょうレベルのさいしろ粉末ふんまつ――純粋じゅんすいなテトロドトキシンがはいっている。意識いしきうばうことなく筋肉きんにく麻痺まひさせる、フグ由来ゆらい神経しんけいどくだ。


 わたし標的ターゲットは、しおり個人こじんではない。このシステムそのものだ。


 わたしは、トラウマによるかわきをやすために「患者かんじゃ」たちが利用りようできる、部屋へやすみのウォーターサーバーへとゆっくりあゆった。そして、メインタンクのなかにその粉末ふんまつ投入とうにゅうした。


なにをしているんだ、美月みつき

 江戸えど医師いしかすれたこえに、わたしの動きがまった。かれわたしそばに立ち、ロボットが用意よういした緊急きんきゅうよう医療いりょうマスクで、したうしなった口元くちもとおおっていた。


 わたし医師いしつめたい眼差しをつめかえした。かくそうとはしなかった。「わたしたち全員ぜんいんのために、すこしばかりの『鎮静剤ちんせいざい』をしただけですよ、先生せんせい論理ろんり必要ひつようだとおっしゃったのは貴方あなたでしょう? 神経しんけいが『ミラーペイン』で悲鳴ひめいを上げさせられつづけているのに、どうやって論理的ろんりてきかんがえろとうの?」


 江戸えどみずタンクをつめ、それからわたした。かれ神経しんけいがくのエキスパートだ。このどくが我々《われわれ》の神経しんけいけいなにをもたらすか、正確せいかく理解りかいしているはずだ。神経しんけいどくはブレスレットのチップがおく電気でんき信号しんごう阻害そがいする。筋肉きんにく麻痺まひするか、神経しんけい伝達でんたつ化学かがくてき遮断しゃだんされれば、『ミラーペイン』は我々《われわれ》をきずつけるための「経路けいろ」を見失みうしなうかもしれない。


 江戸えどはゆっくりとうなずいた。かれわたしめなかった。それどころか、自分じぶんでコップ一杯いっぱいみずむと、投票とうひょうはしらほうゆびした。


 かれは、わたしだれかを使って実験じっけんさせようとしているのだ。


 わたしは、ヒステリックにさけつかれてのどかわかせていた警官けいかん雷神らいじん海斗かいとのもとへみずはこんだ。


「おみなさい、海斗かいとおじさん」わたしせるかぎりの優しいこえった。「しおりちゃんをまもるためには、かなければ」


海斗かいとわたしつめると、コップをったくるようにして一気いっきに飲みした。わたしはしおりをぬすた。はじめて、彼女かのじょわずかにほそめられるのがえた。彼女かのじょは、空気くうきわったことにづいたのだ。


 すうふん海斗かいと足元あしもとがふらつきはじめた。まぶたがりはじめる(眼瞼がんけん下垂かすい)。


『フェーズさん第三だいさん贖罪しょくざい処置しょち決定けっていされます。共鳴きょうめいそなえてください』


 スクリーンが名前なまえをシャッフルしはじめる。しかし、奇妙きみょうなことがこった。海斗かいとうでのブレスレットが不規則ふきそく黄色きいろあか点滅てんめつし、耳障みみざわりなノイズをはっはじめたのだ。ニューラル・リンク・システムが海斗かいと神経しんけい信号しんごうおくろうとするが、体内たいない神経しんけいどく巨大きょだいなノイズをしている。


「な……なにきている……あしの……感覚かんかくが……」海斗かいと地響じひびきを立ててくずちるまえに、そううめいた。


 しおりは一歩いっぽ後退こうたいし、その純粋じゅんすいそうな仮面かめん一瞬いっしゅんだけげた。彼女かのじょころさんばかりのするどい眼差しをわたしに向けた。


 わたしはただ、慈愛じあい主婦しゅふのような微笑ほほえみをかえした。「あら、しおりちゃん。海斗かいとおじさんは、貴方あなた番犬ばんけんでいるにはすこし疲れすぎてしまったみたいね。さて、我々《われわれ》をおどす『筋肉きんにく』がいなくなったいまだれ主導しゅどうけんにぎるのかしら?」


 AIシステムが甲高かんだか警告けいこくおんらした。

患者かんじゃ番号ばんごう七番ななばん信号しんごうエラーを検知けんち強制きょうせいさい校正こうせい(リカバリ)を開始かいしします』


 ゆかれる。今回こんばん外科げか処置しょち投票とうひょう結果けっかたない。システムは「障害しょうがい」を検知けんちしたことで、攻撃こうげきてき行動こうどうたのだ。天井てんじょうから、銀色ぎんいろあめのように数十すうじゅうほんのセンサーはりそそぎ、無作為むさくい標的ターゲットを求め始めた。


「しおりちゃん」わたし混乱こんらんなかささやいた。「わたし厨房ちゅうぼうへようこそ。ここでは、こそが最高さいこうのスパイスなのよ」

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