第九話 side. ロディ
こうして騎士団で働き始めたロディだったが、ベアトリーチェがロディに対してだけではなく、全ての物事に対して極めて真面目で誠実で、貴族的な偏見を持たない人だということにすぐ気がついた。
流されるように生きてきたロディにとって、強い意志と目標を持って、女性騎士という困難な道を自ら切り拓いていくベアトリーチェは、とても強く眩しく映る。
ヴァレンタイン公爵の弟アランが、彼女をロディの教育係に指定した理由も、よく理解できた。
彼女は、良い意味でも悪い意味でも貴族令嬢らしくない女性だった。
もちろん、その所作や気の使い方などを見ていると、貴族令嬢としての教育もきちんと受けてきたことが伺える。
他の騎士たちに囲まれて浮かないようにだろう、普段は言葉遣いやきびきびとした歩き方など男性的に振る舞っていることが多いが、食事の際などふとした時に、美しい所作や柔らかい仕草を見せることがあるのだ。
普段の振る舞いとのギャップに、どきりとさせられることも多い。
これまでロディが出会ってきたどんな女性とも違うベアトリーチェに、ロディはどんどん惹かれていった。
しかし、ロディがどれだけベアトリーチェに惹かれたとしても、彼女と一緒になれる未来は存在しない。
ロディの出生に関する秘密、自分の本当の身分と彼女の家との身分差、年齢差、そしてベアトリーチェが恐らく真に望んでいるであろう騎士としての道……全てを無視してまで、自分の想いを通そうとは思えなかった。
そんなある日のこと。
ロディはベアトリーチェと共に、初めて商業街の巡回業務に出ることとなった。
そこで見たのは、街の人たちに慕われる、ベアトリーチェの姿。
中には明らかにベアトリーチェに話しかけるためだけに道を尋ねてきた人もいたが、彼女は気にする様子もなく、誠実に丁寧に、すべての市民に対応していた。
感謝の言葉はいくらでももらっているのに、「ありがとう」と言われる度に毎回嬉しそうに微笑むのが、とても美しくて可愛らしくて、彼女が市民に慕われている理由がロディにもよく理解できた。
まばゆい騎士服をまとったベアトリーチェが歩くと、まるでそこだけスポットライトが当たっているように、輝いて見えた。
そのためだろうか、これだけ多くの人間が集まっているのに、怪しげな行動を取る者も全くいない。
ベアトリーチェが存在するだけで、空気が浄化されるような――そんな不思議な感覚に陥った。
結局、その日の業務では、ロディは何の役にも立つことができなかった。
ロディが詰め所で落ち込んでいると、ベアトリーチェから、まさかの休日のお誘いを受ける。
そこでロディは、ベアトリーチェが最近婚約破棄されたことを知った。
ベアトリーチェの話を聞いたロディは、思わず、彼女に好きだと口走っていた。
彼女がただ驚き困惑している様子に、ロディは一瞬言葉を取り下げようかと考えたが、やはりまっすぐに伝えることに決めた。――ただし、彼女が受け入れやすいように、別の方向に舵を切って。
ロディが『騎士としての』ベアトリーチェを褒めると、彼女の緊張がふわりと緩む。
ベアトリーチェがロディにだけ見せてくれた今日一番の笑顔に、ロディは彼女への想いがもう抑えられないほど膨らんできていることを実感した。
ベアトリーチェと出かける約束をした日。
ロディは待ちきれなくて、待ち合わせの三十分も前に騎士団の詰め所前に到着してしまった。
手持ち無沙汰にキョロキョロしながら待っていると、騎士団長のアランが通りがかる。
「おう、ロディ。待ち合わせか?」
「あっ、団長、おはようございます」
「水くせえな。非番の日ぐらい、いつもみたいに名前で呼んでくれてもいいんだぞ」
アランはそう言って呵々と笑う。ロディもつられてにこりと微笑み、「アラン叔父様」と呼び直した。
「ところで、待ち合わせの相手はやっぱベアか?」
「はい」
「あいつは少し手強いと思うが、お前さんが本気なんだったら、俺は応援するぞ。……ただ……」
「――何かあるのですか?」
アランの雰囲気が、そこで変化したのをロディは敏感に察知した。アランは頷き、声を低く小さくして、話し始める。
「――ラッセル子爵家」
突然出てきた名前に、ロディは首を傾げる。
ロディが数ヶ月前まで通っていた貴族学園、たしか昨年卒業した二つ上の先輩に、ラッセル家の子息がいたような気がするが、実際に話したことは一度もない。
「ベアの元婚約者の家だ。ここ数年、取り立てて目立つ功績もないにもかかわらず、羽振りが良くなっていてな。一方、クルス子爵家の経済状況は、少しずつ削り取られるように悪くなっている」
「……それって」
ロディが眉をひそめて呟くと、アランは重々しく頷いた。
「あまり時間がないかもしれない。ベアは……あいつは、一度思い詰めたら、自分のことは何もかも犠牲にしてでもやり遂げようとする性質だ。お前さんが本気なんだったら、早めに動いた方がいいぞ」
ロディが頷くと、アランはふっと表情を和らげた。
彼は後ろを振り返り、にやりと笑ってロディの肩に手を置く。
「まあ、ひとまず今日のところは楽しんでこいよ」
アランはそのまま騎士団の詰め所に入っていく。
ロディはこちらの方をうかがうベアトリーチェの姿に気がつき、いつも通りに微笑んで挨拶をしたのだった。
ロディは、王都に来てからずっと寮暮らしだったことや人目を避けていたこともあって、商業街を歩くのは、ほぼ初めての経験だった。
初めての街歩きが、気になる女性と二人きり。しかも、彼女が思っていたより自分と年齢が近かったことも判明して、嬉しい誤算に頬が緩んだ。
――問題は、自分の抱えている大きな秘密だ。
近頃、瞳の金色が少しずつ強く発現し始めていた。
目にゴミが入ったりして、涙が出そうになるときなどにそれは顕著に表れる。
自分がアゼリア姓を名乗れなくなるのも、時間の問題だと感じていた。
もしも自分が王の子だと知れたら。
ヴァレンタイン公爵子息だと知れたら。
それでもベアトリーチェは、今まで通りに接してくれるだろうか。
どうしても、伝えることをためらってしまう。
結局ロディは、彼女に自分のことを話すことも、はっきりと愛を告白することも、できなかった。
その後ロディたちはレストランを出て、男性がひったくりの被害に遭っている場面に遭遇する。
男性の顔を見てロディは一瞬驚いたものの、ひったくり犯を捕まえる方が優先だ。
ベアトリーチェの機転もあって、ロディは無事犯人を確保することができた。
そして、その帰り道。
「今日は本当に助かったわい。まさかひったくりに遭うとはのう」
「驚いたのは僕の方ですよ。どうしてお一人で出てこられたんですか、おじい様」
「ほっほ。男の秘密じゃ」
悪びれもせず笑う小柄な老人は、ぱちりと茶目っ気たっぷりにウインクをした。
その振動で分厚い眼鏡がずれて、隠されていた金色の瞳が露わになる。
ロディが助けた老人は、彼の義祖父――前ヴァレンタイン公爵だった。
「さて、窮屈な城に帰るかのう。ああ、ついでにアルバートの坊主に会っていくといい。きっと喜ぶじゃろ」
「いえ、それは……」
ロディはやんわりと断ろうと思ったが、今朝アランに言われた言葉が脳裏をよぎった。
――本気なら、早めに動け。
今日半日をベアトリーチェと一緒に過ごして、彼女への想いはますます募っていた。だから、ロディは、行動に移すことに決めた。
「……やはり、そうすることにします」
「うむ。それが良い」
思えば、ロディが自ら望んで何かをしようと決意したのは、初めてのことだった。
貴族学園への入学も、騎士団への入団も、他者に望まれてしたことだ。
誰かをいいなと思ったことはあっても、すぐに自分の中で一線を引き、そのまま気持ちが冷めてしまっていたロディにとって、ここまで強く惹かれたのも初めてのこと。
ベアトリーチェが望まぬ縁談に苦しむことになるならば――その前に自分が攫って、この手で思い切り幸せにしてあげたい。
けれど、高潔で誠実な彼女のこと。どれだけ気持ちが伴っていようとも、家のためにならない縁談であったら受けてはくれないだろう。
「まずは……力をつけないと」
クルス子爵家の益となる条件、もしくはベアトリーチェの抱える問題自体を解決する力を自分自身で得て、彼女の不安をすべて取り除く。
彼女が望むなら、ずっと騎士を続けてくれてもいい。
彼女が幸せになるためにこの身分が役に立つのなら、公爵家に迷惑がかからない範囲で、めいっぱい利用してしまえばいい。
身分差がありすぎて周りが許してくれないのなら、逆に公爵令息の身分は捨てて男爵家に戻ってもいいし、ただの一騎士になったっていい。
ただ、彼女が心のままに生き、彼女らしく輝いて、そして時折ふっと柔らかく笑う姿を、ずっと隣で見ていたい。
それが叶うなら、自分は何者になったって構わない。
ベアトリーチェの幸福。
それこそが、今ロディが望むただ一つのことであり、全てなのだ――。




