第八話 side. ロディ
ロディの身の上には、非常に複雑な事情がある。
生まれてすぐに実父と引き離され、他家に養子に入れられたが、その家で育ったわけでもない。
王都から遠く離れた地――現在は景勝地として有名なアゼリア男爵領で育ってきたのである。
母は、アゼリア男爵家出身の才女、サラ。
父は、この王国の国王、アルバート・ヘンストリッジ。
ロディは、自分の出生について、サラや関係者から聞かされた話を思い返す――。
*
アゼリア男爵領は、かつては領内に大きな湖があることだけが特徴の、どこにでもある農村地帯だった。
山々に囲まれた起伏ある土地と、冷涼な気候。
金や鉄などの鉱山もなく、採れる作物も限られている。
農林業や漁業が、領の収入の中心だった。
しかし、ロディが生まれるよりも十年近く前のこと。
アゼリア男爵領は、領地の運営方針をがらりと変え、急速に発展しはじめた。
山から流れてきた川が集まってできた、領の中心部に位置する、大きな湖。
その周辺の景観を整え、豊富な木材でいくつものロッジを建て、街道を整備して、観光客を呼び込んだのである。
また、景観の邪魔にならないところで、淡水でしか捕れない魚介類の養殖の研究を始め、そちらも運良く成功し軌道に乗ったのだ。
観光客向けの商店や飲食店、宿泊施設なども次々と開業。アゼリア男爵は「成金男爵」の異名を取るほど、領地はあっという間に豊かになった。
そして、それを発案し主導した立役者が、ロディの実母であるサラ・アゼリア――なんと、貴族学園に入学するよりも前の年齢、十歳になろうかという若き男爵令嬢だったのである。
サラが貴族学園に入学すると真っ先に興味を持ったのが、サラの一学年上に在籍していた、当時の王太子とその一派だ。
王太子アルバートには婚約者がいたのだが、彼は朗らかで可憐なサラに恋をしてしまった。
そして、アルバートの婚約者ソフィア――ワイズマン公爵家の令嬢であり、現在の王妃――は、サラへの嫉妬を募らせていた……というのが、表の筋書きだ。
実際のところは、サラは男女問わず人当たりの良い、賢く清らかな令嬢であった。
ソフィアもサラの頭脳と才能を認めていたし、その人柄も好ましく思っていた。
サラと誰よりも親しくしていたソフィアだからこそ、アルバートがサラに惚れるのも当然だと、素直に受け入れていたのだ。
身分差はあるものの、それさえ解決すれば、いっそ彼女を妃として迎えた方が王国のためになるのではないか……二人と王国のためならば、ソフィアは、自分が身を引いても構わないとさえ考えていたのである。
だが、アルバートとサラの関係を良しとしなかったのが、ワイズマン公爵家から次期王妃が出ることで利益を享受しようと考えていた、一部の貴族たちである。
彼らは、サラを排除するために、最も過激な方法――サラの暗殺計画を練っていた。
不穏な計画に気がついたものの、証拠を掴むことが出来なかったアルバートとソフィアは、ワイズマン公爵家と同等以上の家格を誇る系譜――当時の前王弟、すなわちアルバートの祖父の弟が当主を務めていたヴァレンタイン公爵家に、内密でサラの身柄を預けた。
そして表向きには、サラはアルバートとソフィアのことを思って身を引きアゼリア男爵領に戻ったものの、病に冒され、治療の甲斐なく死亡したと発表されたのである。
こうしてサラを保護したアルバートだったが、彼はサラへの想いを断ち切れずにいた。
それはサラの方も同様であり、ソフィアにもまた別の思惑があった。
ソフィアは、賢い女性や強い女性を敬愛している。
アルバートへの愛ももちろんあったし、嫉妬や悲しみが少しもないと言ったらそれは嘘になるだろうが、それ以上に、サラの才能が失われてしまうことが嫌でたまらなかったようだ。
だからこそ、ソフィアは時間や場所を限定して二人の逢瀬を許可し、その代わりサラには王妃専属の顧問として、必要なときだけで良いので陰ながら王国を支えてほしいと頼み込んだのである。
そうして、サラはアルバートとの子を授かった。
二人の子はロードリックと名付けられ、生まれてすぐに母子共々アゼリア男爵領に送られた上で、将来の安全のためにヴァレンタイン公爵家の養子として登録された。
王家特有の瞳の色――金色の輝きは、生まれたばかりの頃はまだほとんど見られなくても、大人になってから強く発現することもあり得るからだ。
ロードリックは、表向きはアゼリア男爵の遠縁の子、ロディ・アゼリアとして育てられた。
そうしてロディは、王都から離れたアゼリア男爵領で、ヴァレンタイン公爵家の庇護のもと高度な教育を得て、文武両道、才気あふれる青年に育ったのである。
なお、サラとの間に先に子ができたとはいえ、ソフィアとアルバートの関係は、特に悪くなることはなかった。
ソフィアとの間に王女と王子を立て続けに授かったあとは、アルバートがサラと二人で会うこともなくなり、避暑という名目で毎年夫婦でアゼリア男爵領を訪れ、厳重な警備の中でロディとサラと交流してから王都へ帰っていくようになった。
*
そうして、ロディは十五歳になった。
本来ならば王都へは行かず、貴族学園で学ぶ予定もなかったのだが、ソフィアの強い勧めがあったために、高等部から編入することになったのである。
金色の瞳も、いまだ発現していなかった。であれば、ヴァレンタイン公爵家とは関係のないただのアゼリア男爵令息として学園に通える。
幸い、これまで野盗が時折出没して困らされていた領内の街道もかなり安全になったため、王都への移動と護衛の手配に関しても心配はなかった。
今までいくら対策をしても効果がなかった野盗討伐だが、どうやら王都で活躍する女性騎士からの強い訴えがあったらしい。
その騎士を気に入って取り立てているソフィアが大きな予算を組み、定期的に王国各地へ騎士団を大規模派遣してくれたため、野盗もすっかり逃げ散ったようだ。
だが――なりゆきで通い始めた貴族学園には、ロディの居場所はなかった。
サラ・アゼリア男爵令嬢の残した功罪は、国王や王妃のもとに届くことこそなくとも、いまだ社交界に色濃く残っている。
ロディは、サラの子ではなくアゼリア男爵の遠縁ということになってはいるが、社交界を乱した成金男爵アゼリアの名は、今でも強く敬遠されていた。
――夏になれば、貴族は皆、こぞってアゼリア領に避暑に来るというのに。
ロディは納得がいかなかったが、学園での自分の立場を粛々と受け入れ、目立たないよう静かに学園生活を送ることにした。
自分がヴァレンタイン公爵家の養子であることも、本当は王の庶子であることも、白日の下に晒す気は一切なかった。
幸い、公爵令息と同等の教育が与えられてきた彼にとって、学園の授業は非常に簡単なものだ。
ロディは順調にカリキュラムを熟し、十七歳のとき、飛び級で学園を卒業することができた。
その間、社交の場にはおろか、学生寮からもほとんど出ることなく、牢獄にいるかのような二年間を過ごした。
学園を卒業した後、ロディは一旦アゼリア男爵領へと帰郷し、三ヶ月ほど後に再び王都に戻ってきた。
そのままアゼリア男爵領で仕事に就いても良かったのだが、男爵の後継はすでにいる。
飛び級で卒業するほどの才能を領地のどこかに埋もれさせるのは勿体ないとして、ヴァレンタイン公爵から直々に王都へ呼び戻されたのだ。
しかし、ロディは学園において、社交も一切行ってこなかった。顔を出せる場所など、限られている。
王宮であまり表に出なくても良い仕事をすることも考えたが、王宮にはかつてサラ・アゼリアに悪意を向けた者たちが、今でも勤め続けている。
その上、王宮には自分の実の父親がいるのだ。
そんな場所で働く気には到底なれず、ヴァレンタイン公爵の弟が団長を務める騎士団に、ひとまず仮入団することを決めた。
騎士団で、ロディの教育を受け持ってくれることになったのは、ソフィアが気に入っているという女性騎士だった。
深い藍色の髪を肩より上で整えた、涼やかで凛とした女性だ。
ベアトリーチェと名乗ったその人の、夏の青空のような翳りのない澄んだ瞳。
それが真っ直ぐにロディへと向いた瞬間、ロディは久しぶりに、他者に対して自ら興味を持った。
その時には何故だか分からなかった。もしかしたら、ロディはその頃から、ベアトリーチェの揺るぎのない瞳の奥に、強くしなやかな芯のようなものを感じ取っていたのかもしれない。
揺るがぬ一本の芯――それは、学園に入るまでほとんど苦労をしたこともないロディが、持っていないもの。気高く、とても美しいものだった。
ただ、当時ベアトリーチェに興味を持った理由は、彼女の反応が新鮮だったということが一番大きいように思う。
アゼリアの家名を聞いても、一切の悪感情も覗かせない。新人教育は自分には不向きだと、戸惑う様子を見せただけだ。
それからというもの。
ロディにとって牢獄のようだった王都での生活は、打って変わって、充実感に満ちたものになっていった。
ベアトリーチェは、自分には教育係は向いていないと言いながらも、真摯に誠実にロディに向き合ってくれた。
ロディが悪名高い「成金男爵」家出身であることを明かしたにもかかわらず、決して深入りせず、家のことを話題に出すこともなく、節度ある距離感を保ってくれる。
ベアトリーチェの隣が、ロディにとって最も居心地の良い場所になるまで、そう時間はかからなかった。




