第五話
それから街歩きをすることしばし。
ベアトリーチェとロディは、老舗のレストランに腰を落ち着けていた。
「雰囲気のあるお店ですね」
「そうだな」
老舗だけあってシックで落ち着いた内装だ。店の奥側にはグランドピアノが置かれていて、夜には生演奏が行われるらしい。
今は客もバーテンダーもいないが、ピアノがよく見える位置にはバーカウンターも併設されている。
「僕、こういうお店は初めて来ました」
「ふふ。実を言うと私もだ」
家に帰れば食事は用意されているし、昼は騎士団の中にある食堂で済ませることが多い。
道案内のために場所だけは知っていたものの、その中で実際に入ったことのある飲食店はほとんどなかった。
「夜になるとまた印象が変わりそうだな。酒が飲める年齢になったら、兄にでも頼んで改めて連れてきてもらおうかな」
「えっ? ビーチェさんっておいくつなんですか?」
「十九だ」
「そうだったんですか!?」
ロディは驚いた表情で、ベアトリーチェの顔をまじまじと見ている。その中になぜか喜びの色が含まれているような気がして、ベアトリーチェは小首を傾げた。
「そっかあ……もっと年上かと思ってたなあ……」
「なんだ、老けていると言いたいのか?」
「違いますよ! 落ち着いていて、大人っぽくて、素敵だなあって憧れていたので」
ベアトリーチェがからかうように詰め寄ると、ロディは顔を赤くして両手を胸の前で振り大袈裟に否定した。
ロディが「本当ですよ!」と慌てている様子がなんだかおかしくて、ベアトリーチェはくすりと笑いをこぼす。
「ふふ、いいんだ。いつも大抵、四、五歳は上に見られる。騎士としての歴も、他の者より長いしな」
普通、騎士を目指す者は十八歳まで騎士学校に通い、卒業後に正式な騎士として叙任されることが多い。
しかしベアトリーチェは、十五歳の時に剣術大会で好成績をおさめ、それが王妃殿下と王女殿下の目に留まったことで、学校の卒業前にもかかわらず騎士としてスカウトされたのだ。
そもそも騎士学校に通っている女性はほとんどいなかったのだが、その中から正式に騎士として――それも確かな実力を伴う女性騎士として――認められるというのは、前例のないことだった。
騎士となった経緯が経緯だったため、最初の頃は同じ騎士からのやっかみも多かった。
だがそれも、公爵の弟である騎士団長アランが、自ら「ベア」と親しみを込めた呼び名をつけ、目を掛けてくれるようになったことで、徐々に減っていったのである。
「でも、そっか。僕の二つ上かあ……それなら……」
ロディは、そう呟いて、テーブルの上のグラスを指でなぞりはじめた。
最後の方はもごもごとしていて、ベアトリーチェには、聞き取ることができなかった。
「ふむ、ロディは十七なんだな。騎士学校には通っていないのか?」
「ああ、えっと……別の学び舎に通っていたもので」
「別の学び舎というと、貴族学園か?」
「ええ、はい」
一瞬だが、ロディが気まずそうに顔をしかめたのを、ベアトリーチェは見逃さなかった。
かつて、自分が騎士団で肩身の狭い思いをしていた時と、今のロディの姿が、何となく重なったのである。
「――そうか」
ベアトリーチェは、ロディの返答に対し、頷くにとどめた。
貴族学園も騎士学校と同じく、十八歳までのカリキュラムだったはずだ。
十七歳のロディが、それもこんな中途半端な時期に、騎士団に入団した理由――それを直球で尋ねるのは、少々憚られた。
「お待たせいたしました。本日のランチでございます」
何か別の話題をと思ったところで、タイミングよく食事が運ばれてきて、ベアトリーチェは内心ほっとしたのだった。
*
食事を堪能し、レストランを出たところで。
突如、緊迫した悲鳴がベアトリーチェの耳に届く。
「誰かー! ひったくりじゃあ、捕まえてくれえ!」
声のした方を急ぎ振り返ると、年老いた男性が、尻餅をついて叫んでいるのが見えた。
前方には、全身真っ黒な衣服を身にまとった、みすぼらしい男。被害者の男性の物らしい鞄を両腕で抱えて、走り去っていく。
「――っ!」
ベアトリーチェが「行くぞ」と声をかけるよりも早く、ロディは疾風の如く走りだしていた。
「どなたか、男性の救護と、通報を頼みます!」
ベアトリーチェは帽子を脱ぎ捨てると、凜とした声で周囲にいた人たちにそう言い残し、ロディの後を追う。
ロディは、騎士団の中でも足が速い方だ。そのまま追いかければ追いつくとは思うが、地の利はひったくり犯の方にある。
「ロディ、そのまま追え!」
ベアトリーチェは、彼の背中に向かって一言叫ぶと、犯人が通るであろう道を先読みして、裏道の方へ入っていった。
裏道をしばらく駆けていったところで、隣の道へと繋がっている低い塀が見えてきた。
ベアトリーチェは木樽を足場に、身軽な動きで塀の上へと登る。
そのまま塀の上に立ったところで、丁度、ひったくり犯が路地に入ってきた。
「そこまでだ!」
ベアトリーチェは、革のベルトで太腿に結びつけていた隠しナイフを抜き放ちつつ、くるりと空中で一回転して、ひったくり犯の目の前に降り立った。
「なっ、女!? どこから!?」
ひったくりの男は、後ろから追いかけてくるロディにばかり気を取られていて、前方にあまり注意を払っていなかったらしい。
ベアトリーチェは冷たい目で男を睨み据え、ナイフを男の眼前に素早く突き出す。
男がたじろいで体勢を崩したところに、ロディが追いついてきた。ロディが男の腕を取ったかと思うと、男の身体は軽々と宙に舞い、あっという間に背中から地面に吸い寄せられていった。
男が手放した鞄は、綺麗な放物線を描いて、ベアトリーチェが伸ばした腕の中にすっぽりと収まる。
「はぁ、はぁ……犯人、確保ですっ!」
「ああ。お手柄だったな、ロディ」
「ふふっ……それより、はぁ、ビーチェさん、どこから出てきたんですか? 滅茶苦茶格好良かったんですけど」
「私は何もしていないさ。ちょっと先回りして、犯人を驚かせただけだ。全部、ロディの俊足と体術のおかげだよ」
「隙を作ってくれたのは、ビーチェさんですよ。……僕、何となく分かりました。やっぱりこういうことがあるから、王都の地理、ちゃんと把握しておいた方がいいみたいですね」
ベアトリーチェは、微笑んで頷いた。
「ロディは、やはり頭が良いな。それに――言葉を返すようだが、さっきの君、すごく格好良かったぞ」
「え、本当ですか!? やったあ、嬉しいです!」
ロディは気を失っている男の手首をネクタイできつく縛り上げながら、ぴょこぴょこと跳ねるように喜びを露わにする。
それが何だか可愛らしくておかしくて、自然と笑いが込み上げてきた。
「ふふ。前言撤回。ロディは素直で可愛いな」
「ええっ? 褒め言葉はいくらもらっても嬉しいんですから、撤回とかしなくていいんですよ?」
「ふふふ。じゃあ撤回の撤回だ」
「ふふふ、あははは」
ベアトリーチェとロディは、声を上げて笑い合う。
薄暗い路地だし、すぐそこでひったくり犯の男が気を失って伸びているのがどうにも締まらないが。
「あはは、あー、楽しい。僕、楽しくてちょっと涙出てきた」
「楽しくて? 埃っぽいからじゃないのか?」
「あはは、そうかも」
路地が薄暗いからだろうか、本当に涙で濡れているのだろうか。
ロディの琥珀色の瞳が輝きを帯びて、夜空に浮かぶ星のように、金色に瞬いて見えたのだった。
しばらくして、ようやく到着した騎士団員たちが、ひったくり犯を連行していく。
被害者の男性も無事に保護され、騎士団の詰め所で治療を受けながら待機していた。
被害者の男性は、分厚い眼鏡をかけた小柄な老人だった。
服も小物も一見地味だが、質の良い物を身につけている。そのせいで、ひったくり犯に狙われたのだろう。
「あなた方がひったくりを捕まえてくれたのじゃな。ありがとう……本当にありがとう」
「いえ、とんでもない。お怪我は平気でしたか? 突然のことで、恐ろしかったでしょう?」
「平気じゃよ。細やかな心遣いをありがとう。あの鞄には……金品は大して入っておらなんだが、今は亡き妻が刺繍してくれたハンカチーフが入っていてのう。あなた方には、本当に感謝しておるよ。ありがとう」
男性は、眼鏡をかけていても分かるぐらい、目尻にくしゃっと皺を寄せ、何度も礼を言いながら頭を下げた。
「大切な品が無事で、良かったです。ところで、ご帰宅は……どなたかが迎えに来られますか?」
「ああ、いや、怪我も大したことないし、一人で帰れますわい。内緒で抜け出して来たものでのう、ほっほ」
「そうはいきませんよ。よろしければ、私たちがご自宅の近くまで送ります」
そう言ってロディの方へ目配せをすると、彼は優美に微笑んで、しっかりと頷いた。
ベアトリーチェも微笑み、ひとつ頷いてみせる。
「重ね重ねありがとう、クルス嬢。それから――そちらは、アゼリア家の」
「ええ。ご無沙汰しております」
「そうか……王都に来ていたのじゃったな。元気そうで、何よりじゃ」
男性はさらに目尻に皺を寄せて、柔らかな笑みを浮かべた。
「ん? ロディ、知り合いだったのか?」
「ええ、僕と母がとてもお世話になった方です。あの、ビーチェさん……やっぱり、僕が彼をお送りしてきます」
「一人で平気か?」
「もちろんです。任せてください!」
「そうか。分かった」
以前からの知り合いのようだし、色々と積もる話もあるのだろう。ベアトリーチェは、素直にロディに任せることにした。
「では、お気をつけて」
「うむ。今日は本当にありがとう。この礼は改めて」
「お礼など、気にしないでください。職務ですから」
「しかし、仕事中ではなかったのじゃろう? デートの邪魔をしてしまって――」
「で、デート!?」
ベアトリーチェは、男性の言葉に目を白黒させた。
今日の街歩きは、ロディを案内するためであって、決してデートなどではない。断じてない。
「ふふふ。じゃあ、そろそろ行きましょうか」
ロディは楽しそうに笑って、男性と共に出入り口の方へと足を向ける。
かと思うと、わざとらしくベアトリーチェの方を振り返って、悪戯っぽくウインクをした。
「ビーチェさん、また僕とデートしてくださいね!」
「だからデートじゃ――」
「約束ですよ! では、失礼します!」
ベアトリーチェの抗議もむなしく、キラキラ全開の笑顔を残して、ロディは詰め所を出て行ってしまったのだった。
「約束、って……」
ベアトリーチェは、思わず両頬に手を当てる。
外は寒いし出入り口に面した部屋だというのに、頬は驚くほど熱くなっていた。




