第三話
それからしばらくして。
「どうだ、ロディ。騎士団には慣れたか」
「はい! ベアトリーチェさんが親身にして下さるおかげです」
「ふふ。ロディの飲み込みが早いから、こちらも教え甲斐があるよ」
アランに教育を命じられてから、ベアトリーチェはロディと一緒に行動することが多くなった。
ベアトリーチェを慕い、雛鳥のように後ろをついてくるロディは、素直でなんだか可愛らしい。弟がいたらこんな感じなのだろうか。
「ロディは内勤業務もすぐに覚えてしまったものな。君は本当に優秀だな」
「ふふ、ベアトリーチェさんにそう言われると照れちゃいます」
そう言ってロディは優美に、しかし朗らかに微笑む。
最近は、貴族らしい仮面をかぶった微笑みだけではなく、こうして親しみのこもったあたたかい笑顔を向けてくれることも増えてきた。
ベアトリーチェは、ロディが素直に信頼を向けてくれていることを嬉しく思い、口元をわずかに緩めて微笑み返す。
ロディは、備品管理や武器防具の手入れ、調整など、本部の内勤業務を、既にほぼ完璧にこなせるようになっていた。
管理簿に記された文字や数字は美しく整っていて、ベアトリーチェや他の騎士が書いたものより余程読みやすい。
元々頭が良いのもあるだろうし、彼自身は語らないが、管理業務に関する知識や経験も並々ならずありそうだ。少し難しい仕事も、どんどん要領良く進めてしまう。
そして、内勤業務と並行して、新人騎士のつく重要な任務が、街の巡回業務である。
王都は市街地こそ治安が良いが、貧民街や裏路地では犯罪が横行している。人も物も金もたくさん集まるため、犯罪組織も暗躍していた。
犯罪をゼロにすることは不可能だが、騎士の巡回はある程度の抑止力となる。せめて何の罪もない一般人が安心して暮らせるようにするためにも、巡回業務は重要な仕事だ。
巡回業務の合間に、実際にスリや傷害などの犯罪に遭遇することもある。そのため、巡回業務は二人一組で行う決まりだ。
もちろん今後は他の騎士と組むことも増えていくだろうが、騎士団長から直々に新人教育を命じられていることもあり、ベアトリーチェは最近ずっとロディとペアで行動していた。
ちなみに、先日までベアトリーチェが主に担当していた、要人警護や式典の警備などの職務につけるようになるのは、もっと先。注意力や瞬発力が育ち、不審者不審物を見抜く目が養われてからだ。
同じ騎士や、騎士に警護を依頼する立場の者たちは、警護業務の難しさをよく理解していた。だが、カルロスのような傲慢で無知な人間からしたら、警護の騎士など、ただ彫像のように立っているだけの木偶と思われていたのかもしれない。
「ベアトリーチェさん、今日の巡回も貴族街ですか?」
「いや、今日からは商業街へ行く」
これまでは比較的危険の少ない、貴族のタウンハウスが建ち並ぶエリアを担当させてもらっていたが、そろそろ次の段階に移っても良いだろう。
「商業街は人が多い。スリが多発するほか、店と客、または買い物客同士のトラブルにも遭遇する場合がある。気を引き締めろ」
ベアトリーチェがそう告げると、ロディはきゅっと口元を引き結んで頷いた。上々である。
*
「うわあ……話に聞いてはいましたが、すごく賑わっていますね」
「ああ、そうだな」
繁華街の手前で馬を降りると、ベアトリーチェとロディは幾何学模様の描かれた石畳を並んで歩く。
近くの広場に出店している屋台からだろう、焼けた羊肉と香辛料の良い香りが、風に乗って漂ってきた。
目抜き通りには二階建ての建物が綺麗に整列しているが、そこを離れると少しずつ平屋建ての家屋も見え始め、でこぼことした並びになっている。
冬の祭礼が近いため、建物の窓や入り口、道に並ぶ街灯など、あちらこちらにリースや花が飾られていて彩り鮮やかだ。
「ロディは、王都の商業街は初めてか?」
「はい。王都に来てから、ずっと忙しかったもので」
「そうか。だが、今は職務に集中しろ」
ロディは賑わう街並みを見て、きらきらと目を輝かせていた。その輝きようといったら、琥珀色の瞳に時折金色が散っているのではないかと錯覚するほどである。
だが、観光気分で仕事をされても困る。ベアトリーチェが釘をさすと、ロディは表情を引き締め、「勿論です」と頷いた。
「それにしても、本当に人が多いですね。この辺りはいつもこうなのですか?」
「いや、今日は休日だから特にだな。平日はここまで――」
「あのぉ、すみませーん」
ロディと話しながら歩いていると、若い女性がとてとてと近寄ってきた。
「どうかされましたか?」
「シャルル洋菓子店に行きたいんですけど、道が分からなくなってしまって」
「ああ、それなら、もう一本隣の道ですね。あちらから右に曲がって、次の通りに出たら左です」
「わかりました、ベアトリーチェ様、ありがとうございます!」
「いえ。お気を付けて」
口頭で道案内をすれば、女性は頬を上気させて頭を下げ、目的地の方へ向かっていった。
途中で何度も振り返り軽く頭を下げるので、ベアトリーチェは微笑んで小さく手を振る。
女性は目を潤ませて口元に手を当て、大きく頭を下げると、小走りで去っていった。
「ええと、今の女性……」
「言い忘れていた。商業街では先ほどのように、頻繁に道を尋ねられる。このあたりの有名店や観光名所は把握しておいた方が無難だ」
「なるほど……?」
「すみません、騎士様。サイレン珈琲店はどちらでしょう」
ロディと話していると、息をつく間もなく、別の女性が話しかけてきた。
「それなら、二つ先の角を左に――」
「ありがとうございます!」
女性は、最初に案内した女性と同じような反応をしつつ、礼を言って去って行く。
そして。
「あの、王立歌劇場へはどうやって行けば……」
「カーソン診療所へ行くにはどの道が近いですか?」
「すみません、ベアトリーチェ様。噴水公園は……」
地獄の道案内ラッシュはまだ始まったばかりである――。
*
その後も頻繁に道を尋ねられたが、日が暮れる前に、なんとか商業街の巡回をざっと終えることができた。
「ふぅ。やはり商業街の巡回は疲れるな……」
「……お疲れ様です……」
騎士団本部に戻って、ようやく息をつく。
どうやら、ロディも疲れてしまったようだ。ずうんと肩を落としているし、声に張りがない。微笑みも、何だかいつもよりふにゃふにゃしている。
「流石にロディも疲れたか」
「……いえ。僕、何のお役にも立てなかったなあと……」
「いや、そんなことはないさ。私が道案内をしている間、周囲に気を配ってくれていただろう」
「でも、結局不審者も不審物も見つけられませんでした。道案内も出来ませんでしたし……」
「何もなかったのは、平和な証拠。良いことじゃないか。道案内については、バディを組む騎士に任せてしまっても良いと思うが……そうだな……」
とはいえ、ベアトリーチェ以外の騎士は住民に話しかけられることなど早々ないのだと言うが、それに関しては半信半疑だ。実際、ベアトリーチェ自身がこれだけ道を尋ねられるのだから。
まあ、どちらにせよ、王都を守る騎士として職務に就く以上、道もロケーションも覚えておくに越したことはない。
「ロディ。不躾なことを聞くが、君には恋人や婚約者はいるのか?」
「……っ、ええっ!? きゅ、急に何ですか!?」
「いや、すまない、変な意味ではないんだ。商業街について、君はもう少し知っておく必要があると思ってな。特定の相手がいないのなら、今度の休みに、私が商業街を案内してやろうかと」
「――っ。では、ぜひお願いしますっ」
「ふふ。任せろ」
真っ赤になっていたと思えば、今度はきらきらと目を輝かせて返答をするロディに、ベアトリーチェの口元は自然と緩んだ。
「でも、ベアトリーチェさんはいいんですか? 恋人や婚約者の方は……」
「恋人も婚約者もいないし、次の予定もないよ。先日、婚約破棄されたばかりだからな」
「え……婚約破棄?」
ベアトリーチェが表情も変えずにさらりと告げると、ロディは目を見開いて固まった。
「ああ。女だてらに騎士をやっていることが気に食わないんだそうだ。熊女と罵られたよ」
「――そんな、酷い」
「いいんだ。これで心置きなく騎士道に生きることができるからな。騎士として犯罪を減らし、一人でも多くの人を救うのが、私のただ一つの願いなんだ」
ベアトリーチェは、ロディに微笑みかけながら、はっきりと告げる。
珍しく口数が多くなっているのを、ベアトリーチェは自覚していた。普段なら自分の話などしないのだが、何故だか、彼には話したいと思ったのだ。
「……僕は……、好きです」
ぽつり、と。
こぼれ落ちてしまったかのように、ロディは呟いた。
「――え?」
ベアトリーチェは、淡く微笑んだまま、固まった。
胸の奥が、小さく軋む。浮かべていた微笑みが、少しずつ抜け落ちるように消えていく。
騎士としての性質のせいか、ロディの呟いた小さな声を、ベアトリーチェの耳はしっかりと拾っていた。
気のせいでなければ、聞こえてきたのは、家族を除いて――婚約者だったカルロスにも、一度も言われたことのなかった言葉だ。
「ロディ、今……」
「ベアトリーチェさん。前の男に何と言われようと、僕は好きです」
「……っ」
やはり聞き間違いではなかったらしい。
今度ははっきりと、真っ直ぐに目を見ながらロディは言った。
「ええと……」
ベアトリーチェは戸惑い、眉尻を下げて視線をさまよわせる。こういう時、どう反応して良いのか、武芸一筋だったベアトリーチェには全く分からなかった。
「本当ですよ。僕、とても好きです。ベアトリーチェさんが騎士として働く姿が」
「あ……」
ロディは琥珀色の瞳を柔らかく細めて、優美に微笑みながらそう言った。
その言葉に、ベアトリーチェの肩の力がふっと抜ける。
「真摯に街の人たちに向き合う姿も、信念を持って真っ直ぐに立つ姿も。通報を受けて颯爽と街を駆ける姿も、誰かのために剣を振るう姿も、全部。今日道を尋ねてきた街の人たちも、皆、同じように思っているんじゃないでしょうか」
「……ふふ」
なんだ、そういうことか。だが――何とも嬉しい言葉ではないか。
騎士としての自分こそが本当の自分だと、ベアトリーチェは認識している。
騎士であるベアトリーチェを認めてくれているというのは、この上なく喜ばしいことだ。
ベアトリーチェは、ふわりと花開くように笑みをこぼした。
「ありがとう、ロディ。嬉しいよ」
目を細めて笑いかけると、寒かったせいか元々赤みを帯びていたロディの耳が、さらに赤みを増す。
ベアトリーチェはロディと相談しつつ、休日の待ち合わせ場所と時間を決めると、冬空の下、帰路についた。
いつもなら刺すように感じる冷たい風が、火照った頬を心地よく撫でていった。




