第二話
「おう、ベア。とうとう婚約者に愛想つかされたみたいだな?」
翌朝。
ベアトリーチェがいつも通り騎士団の詰め所に出勤すると、挨拶よりも先に、歯に衣着せぬ言葉が飛んできた。
「おはようございます、団長。耳がお早いことで」
「そりゃあ、俺も参加してたから。昨日の夜会。いやあ、見世物としてはちょっと趣味が悪かったけどな」
「ああ……団長もいらしていたんですね。小さな夜会でしたのに、お珍しい」
「普段なら出席しないんだが、派閥の関係で断れなくてな」
ベアトリーチェの目の前にいる美丈夫は、アラン・ヴァレンタイン。ベアトリーチェの上司も上司、王国騎士団を束ねる団長である。
燃えるような赤毛と、王家に連なる家系にだけ見られる金瞳。野性的な美貌を持つ彼は、口は悪いが、こう見えても王室の分家、ヴァレンタイン公爵家現当主の末弟である。
彼がコネで団長の座に就いていると思っている者もいるようだが、それは誤りだ。
剣術は当然、騎士団長の名に恥じぬ腕前。
さらには、優れた頭脳と俯瞰的な視点から導き出される戦略、カリスマ性、そして身分を笠に着ることのない気さくな人柄も持ち合わせている。
天は二物を与えずと言うが、それは嘘だ。実力も人徳も、折り紙付きの人物である。
「貴族の噂話は回るのが早い。お前さんは社交界ではそこまで顔が広くないんだろうが、女騎士ベアトリーチェのファンは貴族平民問わずたくさんいるからな。もう王都中に噂は広がってるだろうよ」
「はあ。皆さんどれだけ暇なのですか」
「みんな娯楽に飢えてるからな。夜会の会場で婚約破棄なんて、舞台か絵物語でしか聞いたことねえよ。話題になるのも当然ってもんだ」
「そういうものですか」
「それにしても、あのボンクラ子息、なんであんな目立つことしようと思ったんだろうな。恥をかくだけなのに」
「自分ではなく、私に恥をかかせようと考えたのでしょう。私が泣いて縋ると思ったようで」
「あり得ないな」
「あり得ませんね」
アランとベアトリーチェは、揃ってにやりと笑った。付き合いの長いアランは、元婚約者よりも余程ベアトリーチェの性格を理解している。
「とはいえ、昨日の婚約破棄劇場であんなに目立ったからには、しばらく表に出る職務は控えた方がいいだろうな。式典とか外交の警備で目立つところにお前さんを置いとくと、場が華やぐんだけどなあ」
「私は置物ではありませんので適切に役立ててください。まあ、当分は巡回業務か王宮警備にでも専念しますよ」
「いや、それもいいんだが、一つお前さんにちょうどいい仕事がある。そろそろ来るはずなんだが――」
アランがそう言って入り口の方を振り返ると、ちょうど扉が開いて一人の青年が入ってきたところだった。
ベアトリーチェとは面識のない青年だ。パリッとした騎士服は本人の身体にまだ馴染んでおらず、生地には汚れも皺もひとつもない。
「噂をすれば、だな。おーい、こっちだ」
アランが手招きをすると、青年はにこりと微笑み、小さく会釈してから近寄ってきた。
騎士としては少し長めの淡いクリーム色の髪を後ろで束ね、瞳は明るい琥珀色。アランやベアトリーチェと同じく、端正な顔立ちの青年である。
しかしその雰囲気は、涼やかなベアトリーチェとも野性的な団長とも異なり、柔和で優しげだ。
微笑み方も歩き方もどことなく優美である。もしかしたら、彼は平民でも騎士の家系でもなく、貴族家の子息なのかもしれない。
「おはようございます。本日からよろしくお願いいたします」
「ああ、よろしくな。ベア、こいつはロディだ。訳あって、今日から本部に配属されることになった」
「ロディ・アゼリアと申します。よろしくお願いいたします」
アランに紹介されると、ロディはすぐにベアトリーチェに向き合い、頭を下げた。
「ベアトリーチェ・クルスだ。よろしく頼む」
ベアトリーチェは軽く頭を下げた。それにしても、年度途中なのに新人騎士が来るなんて珍しい。
「というわけで、丁度良い機会だ。しばらくお前が面倒見てやってくれ」
「私がですか? 私は新人教育には向いていないと思うのですが」
ベアトリーチェは、新人教育に向かない。それは自分でもはっきり自覚していた。
喋るのはあまり得意ではないし、騎士団は男所帯。ベアトリーチェがいくら市井で人気があるとはいえ、女性の自分が新人騎士から舐められがちというのも事実である。
ベアトリーチェは、そういう者には教育と銘打って容赦なく鉄槌を下してきたが、最悪、下卑た目で見られることさえあった。
ただ、実際に訓練で剣を合わせたり、戦うところを見学させれば、その認識はすぐにでも改まる。騎士ベアトリーチェの実力は、本物なのだ。
「いや、適任だ。ほら、まずは施設の案内から」
「はあ……ご命令とあらば」
「よろしくお願いいたします、ベアトリーチェさん」
そう言って曇りのない瞳を真っ直ぐに向けて微笑まれれば、ベアトリーチェは首を縦に振るしかなかった。
*
ベアトリーチェはその後、新人教育という慣れない仕事をこなし、帰路についた。
ロディと半日一緒に過ごして、彼は物腰こそ柔らかいものの、注意力は人並み以上、頭もかなり切れるらしいことが判明した。演習場で少し手合わせをしてみたが、剣の腕も悪くはない。
型どおりの綺麗で素直な戦い方からして、やはりロディは貴族家出身者なのだろう。
アゼリアという家名はどこかで聞いたことがある気もするが、生憎、ベアトリーチェは社交にあまり力を入れてこなかったため、直接関わりのない貴族家についてはほとんど知らない。
とにかくロディ本人は勿論、アゼリアという家名の貴族とも、一度も会ったことがないはずだ。クルス子爵家とは派閥が異なる家なのかもしれない。
それに、騎士団は実力主義だ。身分もコネもここでは何の意味もない。
ロディもそれは承知しているらしく、家のことや個人的な話は一切持ち出さなかったし、ベアトリーチェも特に興味がなかったので、ロディに何かを尋ねたりすることはしなかった。
クルス子爵家のタウンハウスに帰宅するなり、ベアトリーチェは執務室に呼び出された。
大方カルロスとの婚約破棄についてだろう。
その予想は、大正解だった――にもかかわらず、ベアトリーチェは執務室で当主の顔を見るなり眉をひそめた。
クルス子爵家当主であるベアトリーチェの兄・レオナルドが、満面の笑みを浮かべていたのである。それも、そこはかとなく黒さがにじみ出るやつだ。
「おかえり、ビーチェ。早速だけど、昨日の件、向こうの家はきっちり仕留めておいたから安心して!」
「ふふ、仕留めましたか。流石はレオン兄様。お早いですね」
ベアトリーチェをビーチェという愛称で呼ぶ人は、もう兄のレオン以外、この世にいない。
ベアトリーチェが生まれた瞬間にカルロスとの縁談を決めてしまった両親も、ベアトリーチェが十一歳の時に旅先で亡くなっている。
「兄様、お手を煩わせてしまい申し訳ありません」
「いいんだよ。いつどうやって婚約を解消してあげようかと悩んでいたんだ。あっちから動いてくれたなら、これ以上のことはないよ。あんなクソ男、世界一可愛いビーチェには勿体ないじゃないか」
「ふふ、言い過ぎですよ」
「言い過ぎなもんか。傲慢で差別意識の塊、婚約者がいるのに女遊びをするような男だぞ。親同士が親友だったからって結ばれた婚約だったけど、父上も母上ももういないんだ。これ以上縛られる必要はないだろう」
レオンは、真剣な表情でベアトリーチェの目を覗き込む。
ベアトリーチェと同じ青色の瞳からは、本気で彼女を案じていることが伝わってきた。
「それで、次の婚約だけど……ビーチェは、どうしたい?」
「そうですね……私は……」
ベアトリーチェは少し逡巡したのち、正直に話すことに決めた。嘘をついても、妹を溺愛する兄には見抜かれてしまうだろう。
「騎士を続けたいです。次の婚約は、今は考えられません」
「うん、分かった。そう答えるだろうと思ったよ」
レオンは穏やかな笑みを浮かべて、頷く。その手が机上にある書類の山を『処分』の列にさっと動かしたのを、ベアトリーチェはめざとく見つけ、視線だけでレオンに問うた。
「ああ、大したことないよ。兄様が処理しておくからね」
「……兄様の、お家のためになる縁談でしたら、私は別に構いませんよ」
「ビーチェの気持ちが最優先。それは絶対に変わらないから」
その後、ベアトリーチェが退室するまで、釣書らしき書類の山が『検討』の列に戻ることはなかった。




