第一話
「ベアトリーチェ・クルス! 今日この時をもって、お前との婚約を破棄する!」
男が上げた朗々とした声に、賑やかだった夜会の会場が、一瞬で静まり返る。
会場の中央、星の如く瞬くシャンデリアの下でベアトリーチェを睨みつけているのは、カルロス・ラッセル。
クルス家と同格の子爵家の令息で、つい今し方まで婚約者だった男だ。
カルロスの腕には、最近彼と親しくしていた……ような気がする、名も知らぬ女性の指が、しっかりと絡みついていた。
「そうか。承知した」
「ふん、今更泣きついてきても――、へっ?」
カルロスはベアトリーチェが弱ったところを見せるとでも思っていたのだろうか。
ベアトリーチェがいつも通りの声色で平坦に返答したのを聞いて、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。
「おい、ちゃんと聞いていたのか? 婚約破棄だぞ?」
「あれだけ大きな声を出しておいて、何を言う。聞こえていなかったら騎士として大問題だろう」
ベアトリーチェは呆れたように半眼になり、ため息をついた。
「……っ、お前は、最後まで可愛げの欠片もないな。そういうところが気に食わなかったんだよ! 女だてらに騎士の真似事なんてしやがって――この熊女!」
カルロスは熊女と罵ったが、名前はともかく、ベアトリーチェのどこにも熊の要素などない。
騎士として鍛えてはいるが、筋肉が大きく育つタイプではないため、細身で高身長。均整の取れた体躯である。
瞳の色は夏空と同じ澄んだ青。
髪は深い藍色だ。令嬢らしくはないが有事の際に邪魔だからという理由で、肩より上の長さで整えている。
凜とした姿勢を崩さず、常に涼やかな表情のベアトリーチェは、美しく格好良いと世間から持て囃されている。
騎士として職務を任せられるようになると途端に、老若男女問わず――特に若い令嬢のファンが殺到した。
「お言葉だが。私は正式に叙任された騎士だし、外見は熊とはほど遠いと自負しているが――」
「もういい!」
ベアトリーチェがむっとして反論すると、カルロスは心底嫌そうに声を荒らげ遮った。
「ふん、お前みたいな女、これから先誰にも愛されることなんてないだろうよ! 可哀想になあ? いい男に愛されることこそ女の幸せだってのに!」
ベアトリーチェは、お言葉だが、と続けようと思ったが、これ以上の口論は時間と気力の無駄遣いだと判断して口を噤んだ。
パートナーからの愛を得ることだけが幸福ではないし、そもそもカルロスがいい男だとは毛の先ほども思わない。
それ以前に、「幸せ」の頭に「女の」とか「男の」とか付く時点で、色々と間違っているのではないだろうか。
ベアトリーチェは、ため息をもう一つ吐き出した。
「……婚約の破棄についてだが。私は勿論、家長も間違いなく承認するだろう。だが、婚約は家同士の約束だ。諸々の処理やら伝達事項が生じるはず。後ほど、こちらからラッセル家に使いの者を寄越そう。では、失礼する」
ベアトリーチェは言いたいことを伝えると、背筋を凛と伸ばしたまま、夜会の会場を後にした。
主催者への挨拶は既に済ませてあるし、もう抜けても問題ないだろう。
待機していたクルス家の使用人から外套を受け取り、それに袖を通しながら、カツカツと音を立てて廊下を歩く。
早くドレスもヒールも脱ぎ捨てて、無心に素振りでもしたい気分だ。
「……ああ、煩わしい」
夜会会場の邸宅から出て吐き出したため息は、夜のしじまに白く残って、消えていった。




