第十七話
◇◆◇
ロディからプロポーズされたのは、ラッセル子爵邸に王国騎士団が到着し、クルス領へと戻っている時――馬車の中でのことだった。
「ベアトリーチェ・クルスさん。僕は、あなたを愛しています。結婚して下さい!」
馬車に乗り込んだ途端にそわそわし始めたロディに、「どうしたんだ」とベアトリーチェが尋ねたら、返ってきた言葉がこれだ。
ロマンチックな雰囲気でもないし、景色が良い場所でもないし、花束も指輪も何もない。
あまりにも唐突でストレートな告白の言葉に、ベアトリーチェは目を見開いて固まった。
「……あれ? も、もしかして、だめですか……?」
固まったまま動かないベアトリーチェに、ロディの眉尻がだんだん下がっていく。
「……僕のこと、やっぱり何とも思ってくれてないかあ……そっかあ……」
あからさまに落ち込むロディを見て、ベアトリーチェの思考がようやく動き出す。
頭が動き出した途端に、顔に熱が集まってゆき、ベアトリーチェはあわあわと慌て始めた。
「っ、ロディ、そうじゃないんだ。その……プロポーズはとても嬉しい。だが、君はヴァレンタイン公爵家の子息で、私は没落寸前の子爵家の出身で……」
「そんなの、問題ありません」
「いや、問題しかないだろう。それに、ロディも気がついているかもしれないが、私はこれからも騎士を続けたい。結婚しても騎士を続けたら、君に迷惑がかかるだろう。だから、いくら相思相愛だと言っても――」
「え、ちょっと待って! ビーチェさん、今、相思相愛って言いました? 言いましたよね!?」
ベアトリーチェは理由を重ねてやんわりと断ったつもりだったのだが、ロディは都合の良い部分だけ拾って、大いに喜んでいる。ベアトリーチェは呆気にとられて口をぽかんと開けた。
「やったぁ! 相思相愛ってことは、ビーチェさんも僕のこと好きってことですよね! わあ、夢みたいだ、嬉しいなあ」
「そ、その、ロディ、ちゃんと私の話を聞いていたか? 君は高位貴族なんだぞ。惚れたはれたで自由に結婚できる身分ではないんだ」
「ねえ、ビーチェさん、僕のこと好きなんですよね? そういうしがらみが一切合切、全部なくなったら、僕と結婚したいって思ってくれますか?」
「……それは……」
ベアトリーチェは、少しだけ声を詰まらせた。そんなもの、悩むまでもなく決まっている。
「そうだな。結婚するなら、ロディがいい」
「っ、ありがとうございます。……ふふ、直接はっきり言ってもらえると、こう、ぐっときますね。なら――僕を信じてください。ビーチェさんのお悩みは、必ず全部解決しますから」
そう言ってロディは優美に笑い、向かいの席から手を伸ばしてベアトリーチェの指先をすくい取る。
ロディは手袋越しに、唇で手の甲にそっと触れた。
琥珀色の混じった金瞳は、ベアトリーチェだけを真っ直ぐに映していた。
その後、クルス邸に帰り着いたロディは、そのままレオンの執務室に突撃してベアトリーチェに求婚したことを伝えた。
問題は山積しているが、ロディに解決の目処があること、そして何よりベアトリーチェの気持ちもロディに向いていることを知ったレオンは、「ビーチェを必ず幸せにすると約束してくれるなら」と許可を出してくれた。
王都に戻ってからは、あれよあれよと状況が整っていった。
ロディから「僕の母は領地にいるので後ほどになりますが、父は王都にいるので、挨拶をしてもらえませんか」と言われて向かった先が何故かヴァレンタイン公爵家ではなく王宮で、通された部屋が何故か王族謁見用のひときわ豪華な応接室で、ロディの父だと言って入ってきたのが何故か国王陛下で、ベアトリーチェは陛下の御前だというのに思わず自分の頬をつねってしまった。
「驚かせてすみません。僕、陛下の庶子なんです。母は公式記録では亡くなったとされているんですけど、実は生きていて、今もアゼリア男爵領で大好きな水棲生物の研究に精を出してます」
「そ、そうだったのですか。そうとは知らず、これまでご無礼を……」
「やだなあ、やめてくださいよ。僕の生まれがどうであれ、僕にとってビーチェさんは、憧れの先輩で唯一無二の大好きな人で、これから奥さんになる人なんですから。そんな話し方をされたら、距離感じちゃいます」
「……なら、せめてロディも敬語をやめてくれないか」
「うーん、僕、このしゃべり方が平常運転なんですよね。でも、そうですね……おいおい、敬語を取っていけるように頑張り……頑張るよ」
ラッセル子爵の前で騎士団長の振りをしていたときは堂々としていたのに、ベアトリーチェに対してはちょっと恥ずかしそうにはにかむロディが何だか可愛らしい。ベアトリーチェは思わずキュンとしてしまい、自分も少々恥ずかしくなって、熱くなった頬に手を当てた。
この男はこれを狙っているわけではなく天然でやっているのだから、始末が悪い。
「あああ、尊い……」
部屋のクローゼットの隙間から、何故か王妃殿下の悶えるような声が聞こえてきたような気がして、ベアトリーチェはぎょっとした。
国王陛下は苦笑いしながらクローゼットを閉め、「婚約おめでとう。王家一同、君たち二人を祝福する」と言ってくれたのだった。
そして、その後。
ベアトリーチェたちクルス隊が、国賊であるラッセル元子爵の逮捕に大きく貢献したとして、その功績を讃えて姫騎士隊が設立されることになった。
現地で協力した者や応援で駆けつけた者の中には男性もいたものの、この事件の初動捜査のために王都から派遣された騎士が女性騎士だけだったということは、世間を大いに驚かせた。
加えて、そのクルス隊を率いていたベアトリーチェには、女性として初めて騎士爵を授与されることとなった。
ベアトリーチェは、ロディも王国騎士団の別働隊として派遣されていたのではと思ったが、どうやらロディはあのときすでに、騎士団を退団していたらしい。
ロディはベアトリーチェと婚約するための許可をもらいにクルス子爵家に出向いていたところ、彼らの窮状を知り、婚約者として認めてもらうためにもクルス家の状況を見過ごせず、自発的にレオンたちに協力したということになっている。
ちなみに、ロディ隊の面々は、王国騎士ではなく王家直属の近衛騎士――王族の護衛任務や諜報任務を行う騎士たちだったようだ。
だからこそ、ロディを間に挟むことでことでベアトリーチェの命令にも従ってくれたし、戦力としても申し分なかったというわけである。
姫騎士隊創設の発表を行ったとき、民の反応は、王家や騎士団長たちが想像していたよりも、ずっと良いものだった。
化粧室へ行く際や、下着類を購入する際など、男性騎士を伴うのが憚られる場面での警護。
女性だけで会話を楽しみたい際の、会場警備。
着替えが必要な際や化粧が崩れてしまった場合に、夜会などの会場から連れ出してもらいたいとき。
男性ではなく女性騎士だったら、という場面は、少し考えただけでもこれほどたくさんある。
さらには、ベアトリーチェが想像以上に人気だったことも、話題性に拍車を掛けた。
こうして、稼働前にもかかわらず、姫騎士隊歓迎の声が至るところで聞かれるようになった。
それに伴い、平民だけでなく貴族の中でも、貴族家の女性が外に出て働くことに対しての理解が、急速に進み始めている。
貴族には貴族の決まりがあるため、騎士の中でも女性、さらにはその中でも貴族女性が警護についてくれるということは、依頼主からしても非常に安心感がある――そういった声が聞かれるようになったためだ。
この流れなら、ベアトリーチェが結婚した後も騎士を続けることに対して問題視する者は、表だってはいなくなるだろう。
さらに。
ロディ・アゼリア男爵令息と名乗って学園を飛び級卒業し、仮入団した騎士団で、時の人であるベアトリーチェ・クルスの心を射止めた青年――ロードリック・アゼリア・ヴァレンタイン。
彼の実母が長年携わっていた淡水魚の養殖に関する研究と、彼自身が研究していたという水の浄化を行う二枚貝に関するレポートが認められ、王国の食糧事情と環境問題を大きく改善したとして、アゼリア男爵は子爵に昇爵されることが決定した。
さらには、彼が実はヴァレンタイン公爵家の養子で、国王陛下の庶子だったこと、そして、彼の実母サラ・アゼリアが今も存命であり、変わらず王族と懇意にしていること――そんなとんでもない発表に、社交界には大きな激震が走った。
かつて、サラが現国王アルバートとも現王妃ソフィアとも仲が良かったことに見て見ぬ振りをし、サラを虐げ追い落とそうとしていた者。
少し前まで、学園でロディを悪名高い「成金男爵」の縁者と馬鹿にしていた者。
彼らは皆、青い顔をして謝罪やら火消しやらに追われることとなった。
そして、ロディ自身はというと――。
◇◆◇
コンコンコン。
部屋の扉が、控えめにノックされる。
「失礼いたします。王女殿下のお支度は整いましたでしょうか」
今日デビュタントを迎える王女殿下と目を合わせると、彼女は細く微笑んで頷いた。
それを見て、ベアトリーチェが扉を開く。
「問題ありません、宰相補佐官殿」
「承知しました、姫騎士隊隊長殿」
ベアトリーチェが微笑んでそう告げると、目の前に佇む宰相補佐官も、金色の瞳を細めて優美に微笑み返す。
一瞬だけ甘く視線を絡めて、二人は室内で佇む王女殿下に向き直った。
「さあ、参りましょうか、王女殿下」
「ええ。よろしくお願いしますね、ベア様。……それにしても、お二人とも折角同じ職場でいらっしゃるんだから、もっと甘々でも良いのに」
「公私混同はしないと、二人で決めておりますので」
「――僕としては、ちょっとぐらいはいいんじゃないかって思いますけどね」
形良い唇を少しばかり尖らせて、宰相補佐官――ロディはベアトリーチェの髪を一筋すくい取り、口づけをする。
「な、ちょ、何をする! 殿下の御前ぞ!」
ベアトリーチェが頬を染めて抗議をすると、ロディは満足そうに笑いをこぼした。
「グッジョブ、お兄様! ベア様の照れる姿かーわいいっ」
「ふふ、そうでしょうそうでしょう?」
どうやら気にしているのはベアトリーチェばかりだったらしい。王女殿下もロディも、目をきらきらさせてこちらを見ている。
「じょ、冗談はさておき、これから皆様の前に出るんだから、今度こそ真面目に仕事をしろ! 他の人の前でそれをやったら、一週間口をきかないからな!」
「ええ、それは嫌だ! 僕、ちゃんと真面目にやる!」
ロディは慌ててぴしりと姿勢を正して、護衛兼会場までのエスコート役のベアトリーチェと共に、王女殿下を舞踏会場へと先導した。
「それにしても、お兄様ってば、あれだけお父様のことを避けていたのに。王宮勤めをお決めになるなんて、どういう風の吹き回しですの?」
「そんなの、決まっているではないですか。――また、一緒に働きたかったんですよ」
――舞踏会や夜会の会場になるのは、王宮が圧倒的に多いですからね。ロディはそう言って、ベアトリーチェの方へと優しい視線を向けた。
「……根底から公私混同ではありませんの」
王女殿下がすかさずツッコミを入れたが、ロディの表情を見たら「仕方がないな」と思ってしまうのだから、困ったものだ。
「さて、会場に到着いたしますよ。もう、他のご令嬢方もお集まりのようですね」
舞踏会場から、入場の合図が届く。
ベアトリーチェとロディは頷き合って、両開きの扉を二人で開けた。
王女殿下が堂々と入場してゆくところを見送って、二人は会場の入り口を閉めると、会場をぐるりと回って王族席の近くに並んで控える。
ベアトリーチェとロディは、示し合わせたように一度だけ視線を絡め合わせると、すぐに会場の方へと視線を戻した。
凜とした立ち姿の麗しき女性騎士隊長と、優美に微笑む秀才宰相補佐官。
身分も性別の壁も越え、自らの手で地位を掴み取ったベアトリーチェ・クルスと、真と偽りの狭間に揺られながらも、一切歪むことなく努力を続けたロードリック・アゼリア・ヴァレンタイン――二人の並び立つ姿は、今日の主役でも何でもないはずなのに、会場の目を惹き輝いていた。
宮廷音楽家たちが奏でるゆったりとした円舞曲と、喜びに満ちた華やかな表情のデビュタントたちを眺めながら、ベアトリーチェの口元は綻ぶ。
ロディはめざとくそれに気がついたらしい。
「ビーチェさん、今、幸せですか?」
顔の角度を、そう問いかけてきたロディの方へとほんの少しだけ動かして、ベアトリーチェは目元を細める。
優美な微笑みの奥に、ベアトリーチェにしか見せない甘い熱が隠れていた。きっと、ベアトリーチェも似たような表情をしていることだろう。
「――誰よりも、幸せだよ」
愛しい人と、少しだけ見つめ合って。
ベアトリーチェは、再び前を向く。
その口元には、しばしの間、柔らかな弧が描かれていた――。
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