第十一話
本編(ベアトリーチェ視点)に戻ります。
「ロードリック・アゼリア・ヴァレンタイン……公爵令息……?」
ヴァレンタイン公爵家の家紋が捺され、ロディの筆跡で書かれたサインを見て、ベアトリーチェはしばらく固まってしまった。
もしかしたら、まだ熱の影響で朦朧としていて、実は夢の中の出来事なのではないか。
そう思ってベアトリーチェは自分の手の甲をつねった。
「……痛い」
どうやら、夢ではなかったらしい。
「ロディは、ヴァレンタイン公爵家の子息だったのか。だから変な時期に入団してきて、ヴァレンタイン騎士団長直轄の本部に編入されたということだったんだな」
そういうことなら、これまでの全てのことに納得がいく。
貴族学園に通っているはずの年齢にもかかわらず騎士団に入団したのも、退学や休学ではなく、何か事情があっての引き抜きと考えるのが妥当かもしれない。
「団長が私に適任だと言ったのは、最初からこのつもりで……? いや、流石にそれは考えすぎか」
これ以上考えても、何一つとして想像の域を出ない。
ベアトリーチェは胸をおさえて何度か深呼吸をしてから、手紙の封を切った。
中身は釣書というよりも、ベアトリーチェが目を覆いたくなるような、熱烈な求婚状だった。
普通は釣書といったら、家のことや本人の情報が羅列された身上書なのだが、ロディからの求婚状には、ベアトリーチェを褒め称える文章と、いかに自分がベアトリーチェに惹かれているのかという文章がつらつらと記されている。
『ビーチェさんが好きです。結婚して下さい』
『これほど人を好きになったのは初めてです。お願いです、僕を選んで下さい』
『了承をもらえるまで、何度だってラブレターを送りますし、デートにも行きたいです。大好きです』
「……ふふ。ロディらしいな」
美しく流麗な筆致なのに、書いてあることは何だか少し必死な感じが滲み出る文章で、ベアトリーチェは思わず吹き出してしまった。
いつものロディの明るく優美な笑顔が、手紙を通して、ありありと思い起こされる。
「ロディと、結婚」
口に出してみると、何だか不思議な感じがしたものの、全くもって嫌な気分にはならなかった。
むしろ、これからの人生をロディと過ごせるのならば、ベアトリーチェはきっと、こうしてずっと笑っていられるのだろう。
「だが……公爵家か」
没落しかかっているクルス子爵家と、王国で最も王家に近いヴァレンタイン公爵家。
流石に家格が違いすぎて、普通なら婚約など考えられない。
いくら本人たちが望んだとしても、間違いなくヴァレンタイン公爵家に多大な迷惑がかかってしまう。
「……ちゃんと当主に許可をもらっているのか? まさか、ロディの暴走ではないだろうな?」
公爵家の封蝋が正式に捺されているから、許可はもらっているのだろうが……なにせあのロディなのだ。ロディの愛の言葉はともかく、今回釣書が送られてきた事情や、この婚約が両家にもたらすメリット、デメリット等については一切書かれていないため、ベアトリーチェは少しだけ不安に思ってしまう。
「それに、ロディの立場は? 彼は将来、どのような身の振り方をするのだ? 公爵家の現当主には、ロディよりも年上の嫡男がいるはずだが」
ヴァレンタイン公爵の嫡男は、夜会の場などで何度も見たことがある。公爵家での警護の仕事もしたことがあるから、間違いない。
一方、ロディの姿は、社交の場でこれまで一切見たことがなかった。
封蝋からして彼が公爵家の一員ということに間違いはないのだろうが、ベアトリーチェにはいまだに彼の立場が全く分からない。
「社交をしていなかったのだから、公爵家は継がないだろう。なら、考えられるとしたら……」
このまま騎士団で働き、いずれ要職に就く。
ヴァレンタイン公爵家の所有する爵位のひとつをもらって、領主になる。
もしくは、学園で培った知識を生かし、文官か研究員として、いずれかの空いているポストに就く。
考えられる選択肢はその辺りだろう。
彼が今後どうするのかによっても、ベアトリーチェの返答は変わることになる。
――ベアトリーチェは、可能であれば、このまま騎士を続けたい。
しかし。
女性が騎士として身を立てることに対して、ベアトリーチェのファンは別として、貴族の間ではいまだにあまり理解が進んでいないのだ。
公爵家の子息の妻となってしまえば、ベアトリーチェが騎士としての職務を続けることは、世間体的にはかなり難しいだろう。
「とにかく、ロディとは一度、直接会って話をするべきだな」
ベアトリーチェはそう結論づけ、一旦ロディからの手紙を丁寧に畳んで仕舞った。
そして、もう一つ。
ベアトリーチェには、急ぎ片付けなければならない問題がある。
「――クルス子爵家の窮状を、婚姻以外の方法で何とかすることができるかもしれない」
アランの言った、最善へと至るたった一つの道。
彼いわく、騎士にしかできない方法で、クルス子爵家を救う方法があるのだという。
「騎士にしかできない方法……」
戦時中であれば、武功を立てて褒賞を貰う――などといった方法も取れるだろう。
だが、今は平和な時代だ。武功を立てようにも、倒すべき外敵がいない。
「褒賞ではないとしたら」
レオンは、子爵家の窮状について何と言っていただろうか。詳しくは語ってくれなかったが、資金繰りが苦しくなった理由について、確か、苦虫を噛みつぶしたような表情で、こう呟いていた。
「確か、そう。お祖父様が弱っていたから、その隙をつくようにつけ込まれたのだと――兄様はそう言っていた」
だが、誰に?
いつから?
どういった形で?
一度疑問に思うと、次々と謎が湧き上がってくる。
レオンの言ったように、クルス子爵家が自ら転落したのではなく、他の何者かに陥れられたのだとしたら?
「――なるほど、そうか。騎士だけに許された権限……領を越えての、越境捜査か」
領主であれば領内の調査は自分の権限で行うことができるが、通常は、他領までは調査の手を回すことができない。
寄親が寄子の領を調査する場合などであれば話は別だが、同じ派閥であっても他領の内情はある程度秘匿されるものだ。
そして。
派遣を依頼する条件こそ厳しいが、領を越えて犯罪捜査を行う権限を持つのが、王国騎士団なのである。
「すなわち、クルス子爵領の窮状は、領外に原因がある。そして騎士団を派遣する条件も満たしている――団長はそう見ているのだな」
アランは、一体どこまで情報を掴んでいるのだろうか。つくづく、底が知れない人である。
「急いで兄様に連絡を取って、越境捜査の申請を出す。ロディの件も、今後の身の振り方も、兄様と騎士団からの返事を待ってから考えても、遅くはないだろう」
ベアトリーチェはそう結論づけ、領地にいる兄に宛てて急ぎの手紙をしたため始めた。
*
兄レオンから手紙の返信が届いたのは、ベアトリーチェの熱が下がり体調も完全に回復した頃だった。
中には、騎士団派遣に関する正式な依頼書が同封されている。
やはりレオンいわく、資金の流れが不自然な箇所があっても、途中でクルス子爵領外の商人や会社を経由するため、詳しく調査することができないのだそうだ。
それでなくともレオンと領内の関係者との関係構築もいまだ充分とは言えず、資金繰り悪化の原因はいまだ突き止められていないらしい。
『私が子爵家の当主に就任したのは十三歳の時。お祖父様が後見についてくれていたとはいえ、ただの若造どころか少年に過ぎなかった私のことを、皆、舐めていたのだろうな』
手紙にはそう記されていて、文章の端々から悔しさがにじみ出していた。
けれど、ベアトリーチェは知っている。
兄のレオンが、貴族学園に通いながらも、必死で領地のことを学び、腹の底が黒い成人男性ばかりの社会での立ち回りを覚え、努力を続けてきたことを。
卒業してからは王都で社交と情報収集を続けながら、こまめに領地にも帰り、立派に子爵家当主としての仕事をこなしてきたと思う。
ただ――両親の死も、祖父が病に倒れたのも、あまりにも早すぎたのだ。
「兄様、今度こそ私が力になります」
ベアトリーチェはレオンからの依頼書を携え、騎士団に出向いたのだった。




