8 馴れ初め
グリュックスブルグ王国ファーナムの外れ。
初夏がそろそろ終わりを告げ、夏にさしかかろうというところだ。
ほんの数刻前。
グランフェルト侯爵の館の裏。厩舎周りの植生をとても興味深く観察していた植物学者の古高 柊生は、馬屋番のパウリと出会った。
パウリと気さくに話をしていた柊生たちは、馬のオーヴェがひどい打ち身を負ってしまう場面に出くわした。
「どう? うまくいきそうかな……」
心配そうな面持ちで、オーヴェの馬房を柊生がのぞき込む。
通常だったら、好奇心旺盛なオーヴェに頭をかじられてしまう状態であったが、今は相当、右前脚が痛むのかオーヴェのうるささはいつもの三割減ほどのありさまだ。
「そうですな。剤が少し緩めなので、巻きづらいですわ」
「ああっ。すまない……、そこらへんは考えていなかった。味はともかくだけど、一応は食えないものではないと思うから」
そんなことを言っている横で馬屋使用人のアートスが、まだ信じられないと憤慨している。
「おかしいですぜ。こんな得体も知れない小男の作ったものを使うなんて」
パウリを手伝い馬房の中で包帯を巻いていたラウノが、不満たらたらのアートスに向かって言った。
「仕方ないだろう。この馬たちは、すべて侯爵様のお馬だ。怪我なんてさせてはならないだろ」
言葉を引き継いだのは、柊生付きの家庭教師であるカレヴァ=レコラだ。
「確かに仕方ない。本来であれば、馬医に診せた方がいいと思うけれど。こと、足回りの怪我だ。何かあってはまずいよ」
「それを言われると、かなりまずい気がする。だけど、ヤブカラシの薬効はそれなりにあると思うんだよね。かなりの数自生しているし」
チッ。アートスは舌打ちをして、厩舎作業に戻った。
「すまねえな。稀人さん。あいつは、かなり一本気な奴だから、気にしないでくだせえ」
「いいえ、馬のことを大切に思えばこそだと思います」
*
柊生とカレヴァは、軽口をたたきながら母屋に戻ってきた。
一階の厨房周りを歩いていると、勝気な女性の声に呼び止められる。
「おう、あんたたち、そのままで行くつもりかい?」
「ラウラ。さっきはすまなかったね」
カレヴァが厨房から顔を見せているラウラの方に向き直る。
「いいんだよ。それよりも馬の怪我はどうなんだい? うまくいったのかい?」
この問いには柊生が答える。
「僕は医者ではないので、どうだということは言えないんですが、うまくいけば、腫れが引くと思います」
「まあ、おそらくは骨の方の怪我はしていなかったから、誰が手当てしても薬剤の湿布で終わるだろうね」とカレヴァがうなずいた。
まあ、カレヴァが言うならといった風情で、ラウラが頷いた。
「そうだ。あんたたち、昼飯は食べたのかい?」
それを聞いた瞬間に、柊生の腹がぐぅと鳴る。
三人は思わず噴き出した。
「あっはっは。わかりやすいねえ」
ラウラは厨房に戻り、二人に手招きした。
「簡単で悪いけど、何かつまめるもの作ってあげるよ」
ラウラは、食糧庫からライ麦パンの塊を取り出した。
辺りに少し香ばしい香りが広がる。
手際よくラウラが数枚のスライスに変えていく。
それらを皿の上に並べると、日陰に置かれた壺の中からハーブバターがこんもりと小さな山を作った。
そして、室のようなところから丸太のようなオレンジがかったチーズを切り取る。
「さあ、めしあがれ」
「うわ! すげえ。いいのかい、ラウラ」
カレヴァは飛び跳ねるように喜んで、テーブルについた。
「いいんだよ。あんたたちは、侯爵様のお馬に正しい処置をしてくれたんだろう? それのお礼をさせておくれよ」
と、その時、ラウラが遠慮したような柊生に気がついた。
「いただけませんよ。だって、厩舎にいた方たちだって、お腹空かせているだろうし」
ラウラとカレヴァは、瞬間、顔を見合わせると、もう一度噴き出すように笑った。
「あんたは、優しい子なんだね! 心配しなくても昼だったらきちんと渡しているよ」
「ああ、あいつら、昼飯食べにきた後だったらしいしな」
「あ、そうなの?」
勝気なラウラの顔がふと、優しく緩められる。
「あんたは、本当に変わっているねえ。さあ、腹を空かすのは一番悪いことだよ。さっさと食べちまいな」
「ところで。二人は、知り合いなんだねえ」
興味深そうな柊生に対し、ラウラとカレヴァが薄く苦笑いする。
「ああ、そうだね。付き合いはちょっと長い方かな」
「そうなの?」ライ麦パンをほおばりながら、ラウラを見る柊生。
「そうさ。カレヴァと会ったのは、料理修行に出かけてた五年前かな。南方料理を作ってみたくてね、南方諸地方に行った時のことだったよ」
とある集落に紛れ込んでしまった、散策中だったラウラは、その集落の長に女がふらふらと町を歩いていることをとがめられてしまう。
いくらラウラが弁明しようとしても、その町で唯一グラインディー王立言語を使う者が、細かい点まで通訳してくれず、誤解はさらに深い誤解となった。
ラウラが牢に入れられるという寸前だった。
騒ぎを聞きつけたカレヴァがやってきたのだという。
『長、彼女は料理の修行をして旅をしているようなんです』
『料理? 料理とは、修行するものなのか?』
『ええ、そうですよ。各地の味を知ることで、それを作り、人々を幸せにするんです。素晴らしい仕事ですよ』
「あの、すみません。何を話しているんですか?」
「そうだ、お姉さん。何か簡単な料理出来ないですか? 村長が、食べられそうなやつ」
ラウラは不思議な顔をしたが、数点の食材を荷物から出した。
「今、そんなに手持ちの食材がないから本当に簡単な物しかできないけれど。それでもいいかな……」
『彼女が、長にぜひともご馳走したいといっています。作らせてもよろしいでしょうか』
そこで長は『勝手にしろ』と、横になってしまった。
ラウラは、使用人の女性にかまどのある部屋に連れていかれると、荷物から愛用の鍋を取り出し、煮始めた。
たちどころに、どこかほっこりとした香りが長の家中に広まった。
お腹を鳴らした使用人たちが顔を見せ始めると、なんと、長までも顔を覗かせた。
「ちょうどよかった。今、できたばかりですよ」
ラウラは器を借りると、豆と野菜でできたそのスープを長に手渡した。
長は訝しげにそのまま器を見つめていたが、意を決してそのスープに口をつけた。
温かさと、香り、味。
そのすべてが長の脳天を刺激した。
『変わった味だ……。だが、おいしいな……』
『そうでしょ? これで、彼女が怪しい人間じゃないってわかってもらえたでしょうか』
長は、ゆっくりとうなずいた。
「よかったですね。これで無罪放免です」
*
「っていうことがあったのよ」
「うわぁ、大変だったんですね」と柊生が身につまされたようにうなずく。
「今回ね、稀人さんがきたって聞いたとき、あたしはその時のことを思い出してね。もし、稀人さんに会えたら、少しだけでも親切にしようと思ったのよ。あの時のカレヴァと同じようにね」
少しだけ、得意げな顔をカレヴァがしていた。
「あ、紅茶、冷めちゃったね。もう一杯どうだい」
「はい、いただきます」
「それにしても、稀人さん。言葉、きれいだね。稀人さんの言葉は、ここと全く違うんだろう?」
「ええ。でも、すごく丁寧に教えてくれましたから」
「うん。シュウの学ぶ態度が素晴らしかったからでもあると思う。剣術の稽古はさっぱりだけどね」
柊生は痛いところを突かれたと視線をそらした。
*
柊生が野草で馬の治療をした話は、書斎で執務中のエンゲルブレクト=グランフェルト侯爵のもとに伝わった。
「驚いたな。あのシュウがそんな治療方法を知っているなんて。そして、馬の方は無事なんだろうか」
執事のヨエル=ハタッカが、主に返答をした。
「ええ。ですが、治療を始めたばかりですから、どれほどその治療が効くかはまだわかりかねますが」
エンゲルブレクトは頷いた。
「だけど、それは、わが領地にとっても朗報だね」
家令のミカル=グルブランドソンは頷いたが、ヨエルは首を傾げたままだ。
「シュウの知識は、使いようによっては新たな収入源になるかもしれませんからな」
はた、とヨエルが手を打つ。
「なるほど、なんせ自生している木々ですからな」
「そうなんだ。ちょっとは夢のある話だろう?」
エンゲルブレクトは、厩舎のある方角を見た。
「治療、うまくいけばいいね」
ヨエルとミカルは顔を見合わせた。
*
「聞いたよ。シュウ。大変だったね」
エンゲルブレクトが、柊生たちが勉強部屋につかっている客間にやってきた。
「すまない、大切な馬なのに勝手な治療して」
「いや、逆にありがたいよ。君は、こういう植物とかに詳しいのかい?」
「ああ。ここに来る前の世界では、植物学者をしていたんだ。あまり金にはならなかったけれど」
「ふーん?」
「今回みたいなことって、そちらの世界ではあまりなかったのかい?」
「そうだね。どちらかというと植物の一本も生えていないようなところが多かったし、反対に植物にあふれているようなところには、人が誰もいなかったりしたからね」
エンゲルブレクトは、目を輝かせて柊生の言葉を聞いていた。
「そんなに面白い話でもないだろ?」
「何を言っているんだ。すごく興味深いよ! もっといろいろ教えてほしい!」
そのあと、三時間にもわたり、エンゲルブレクトの質問攻めに遭った柊生は青息吐息となるのだった。




