7 厩舎
グリュックスブルグ王国ファーナムの町外れ。
グランフェルト侯爵の館が、小高い丘の上にあった。
馬屋番のパウリが厩舎のそばで、這いつくばる古高 柊生を見て、心底驚いていた。
「な、何をなさっておられるんで?」
がば! と柊生は身を起こした。
「あ、ああ! すまない! ちょっとここの下草が気になって」
パウリは、薄汚れた自身の頬を掻きながら、まん丸の目で柊生を見た。
「ああ、あんたが噂の稀人さんかね。どうにもおかしなことばかりなさるっていう」
はて? と柊生は首を傾げた。
「そんなに、おかしなことはしていないと思うけれど」
「いやいや、今みたいになされてるんじゃ、大抵の人は、驚きますって。それでなくとも、ここら辺は馬が歩きまさ。万一、馬に踏まれても事ですし、なにより、馬糞も落ちてますぜ?」
一瞬、柊生は言葉の意味が分からず、落ちてるということで下方を見た。
次の瞬間、あんぐりと口を開けた。
先ほどまで這いつくばっていたすぐそば。
立派な馬糞が、落ちていた。
「あ!」
「今、わっし、これを片付けに来たんですぜ」
パウリは持っていた道具で、その馬糞をすぐに片づけた。
「ああ、恩に着るよ。気づかなかったら、馬糞まみれになるところだったよ」
そういって、頭を下げる柊生にパウリは極端に恐縮してみせる。
「いやいや、頭を上げてくだせえ。わしらなんぞに、簡単に頭を下げてはダメです」
「え、なんで。俺だって平民だし」
パウリが大げさに首を振った。
「いやいやいや、あなた様はエンゲルブレクト様の御客人でいらっしゃると聞き及んでるですよ。そんな方に頭なんぞ下げられたら、わっしらには立つ瀬がありませんぜ」
柊生は得たりとばかりに手を打った。
「なるほどなあ、そういう考えもあるのか……」
「こうして、気軽に話してくださるのは、正直ありがたいことです。が、やはり、ここには身分というものがありますから」
「そうか……。教えてくれて、感謝するよ」
と、つい癖でまた頭を下げてしまう柊生。
「ああ! もう、勘弁して下せえ」
柊生はパウリと顔を見合わせて笑った。
「もう! いないと思ったら、こんなところにいたんですか!」
柊生が振り返ると怒りに顔を染めているカレヴァ=レコラであった。
「なにしてるんですか、書き取りが終わったら昼前に素振り百回って言ったじゃないですか!」
年齢が自分のはるか上だとわかったカレヴァは、柊生に対しての口調を敬語にいつの間にか改めている。
「語学も歴史もそれなりに熱心なのに、なんで剣術だけはそんなに嫌いなんですか!」
先ほどまである程度堂々としていた柊生が、所在無げに肩を落とす。
「いや、俺には、向かないからさぁ」
それには、いつものように烈火のごとくカレヴァは、怒る。
「誰のためだって思ってるんですか! シュウさん、自分のためなんですよ! 自覚持ってください!」
二人のやり取りに、目を丸くして見ていたパウリは、ついに噴き出した。
「本当に、面白い御仁ですな」
柊生とカレヴァが、顔を見合わせたあと、視線をそらした。
その時、数頭の馬のいななきがした。
「ああ、これはいけない」
パウリが驚いた顔で、馬の放牧場へ急ぐ。
「どうしたんですか?」
「野兎かなんかでしょうな! 詳しくはわかりませんが、ちょっと様子を見に行かなければなりますまい」
パウリは重そうな体で、急ぎ足で馬たちのもとに行った。
「気になりますか?」
「うーん。でも、野次馬根性はダメだよなあ」
と言いつつ、二人はパウリの走り去った方向へ何ともなしに歩いていく。
放牧場の中、パウリが焦った顔で一頭の馬の足元にいた。
弁えた賢い馬なのか、そんな足元に人間がいるようであれば普通の馬なら、蹴っ飛ばしたり前足で叩いたりするだろう。
だが、そんな危険性はないように見える。
「パウリさん。どうしたんですか?」
柊生が声をかけた。
「ああ、稀人さん。奴さん、相当暴れまわったようで、見てくだせえ。かわいそうに右足がこんなに腫れてしまって」
蹄の上、関節のところが素人目に見てわかるほどに、腫れていた。
「これは? 骨折?」
カレヴァが柵を越えて放牧場の中に入る。
旅の多いカレヴァは馬の扱いにも慣れているようだ。
大人しいその馬の右前脚を気軽に持ち上げて、蹄をゆっくりと曲げ伸ばししている。
「よかった。どうやら骨折まではしていない様だ」
「そうでごぜえますか……。だが、お医者に来てもらわなきゃなりませんな……」
パウリの歯切れがどうにも悪い。
「何かあるんですか?」
困ったようなパウリは、頭を掻きながらこう言った。
「先月、老先生が亡くなりましてね。若先生が戻ってくることになってるんですが、それが来月なんですわ」
「ああ、今はヤイニッセにいらっしゃるんでしたっけ」
「そうなんでさ。今から早馬を飛ばしても行くだけで二日、戻ってくるのが遅くなると一週間かかりまさ」
柊生は首を傾げた。
「他の町からは呼んでこれないの?」
「確かに、その方法はあると思うけど」
「アスクトゥスから呼んでこれるんですが、あまり、いい獣医じゃねえんで」
「そうなんだ……、じゃあ、待つしかないのかな……」
「へえ……」
意気消沈するパウリの下がった頭の向こう側。
とある植物が目に入った。
「ちょっと失礼」
柊生は、その植物のそばに行ってまじまじと見る。
黄色味の強いつぼみには赤い小花がついている。
緑のギザギザの葉のついた蔓が四方八方に伸び、草地の他の植物に絡みつき覆いかぶさるように生えている。
柊生は、その葉と蔓を一つ摘み取ってみる。
「うん。これならいけるかな?」
そばに寄ってきたカレヴァは、興味津々といった風情で面白そうに柊生の行動を見ている。
「何か、掘れるものはないかな?」
パウリも少し時間はかかったが、そばに寄ってきた。
「掘れるものですかい?」
「ああ、この植物の根が必要なんだ」
「ちょっと待ってくださいよ」
そう言ったパウリが行こうとしたとき、厩舎から若者二人が急ぎ足でやってきた。
そうすると、柵の向こう側。山際に立つ三人の姿が見えて、声をかけてくる。
「パウリさん! 何をやってるんすか」
「あ! オーヴェが怪我してるぞ!」
「おう! ラウノにアートス! 悪いが、この御仁にシャベルを渡してやってくれや」
二人は一瞬きょとんとした顔をしたが、厩舎に急いで戻った。
「今、持ってくると思いますが、これ、この草に何か?」
「あまり、自信はないんだけど、確かこの草、薬効があると思うんだよね。気休めにしかならないと思う。でも……」
カレヴァとパウリは何のことかと、顔を見合わせた。
やがて、ラウノとアートスがシャベルを持ってきた。
受け取った柊生が地面を掘り始め、柔らかなひも状の根茎を取り出した。
「それ、何の役に立つんです?」
カレヴァは、信用できないとでもいうように、柊生を見た。
「これ、すりおろせるところはあるかな?」
四人はお互いに顔を見合わせた。
「ああ、それなら、厨房ですかね。たぶん」
カレヴァが答えた。
「案内してくれるか?」
柊生とカレヴァは急ぎ足で、母屋の厨房に向かっていった。
「あれ、何なんっすか」ラウノのつぶやきにパウリが答える。
「稀人だと、でも、さすがに変わったお人だなあ」
三人は、負傷したオーヴェと呼ばれた馬を、ゆっくりと厩舎に運んでいった。
*
「すみません! これをすりおろしたいんだけど!」
応対したのは、料理番のラウラだ。四十代くらいといったところか。
「おい、あんた。勝手に厨房に入ってくるなよ!」
勝気な男言葉を使っているが、ふくよかな女性だ。
「本当にすみません! でも、急ぎなんです!」
「ラウラさん。すみません。でも、何かすりおろせるものってないですかね」
その横から、口を出したのはカレヴァだ。
「あれ、カレヴァじゃないか。何か急ぎなのかい?」
ラウラは首をかしげる。
「忙しいのに悪いね。この御仁の手助けをしてやってほしいんだよ」
どうやら、カレヴァとラウラには面識があるようだ。
柊生が、不思議に思っていると、ラウラはすり鉢のような器を出してきてくれた。
「ありがとうございます!」
柊生はさっそくそのすり鉢で採ってきたばかりの植物の根を擂りだした。
「なあ、カレヴァ。あれは、何なんだい?」
「ラウラは初対面だったのか。あれ、シュウっていって、エンゲルブレクト様の客人で稀人なんだ」
きらりとラウラの瞳が光った。
「へえ、あの優男がね」
「うーん。うまく摩れないなあ」
手こずっている柊生にラウラが手を出した。
「なんだい、これを摩ればいいのかい」
「ええ」
根茎はラウラの手によって、すぐに摩り下ろされた。
「よかったら、酢と小麦粉を分けてもらえませんか」
「なんだい、何かの料理かい?」
「いいや、馬が怪我してさ。それに使うようなんだけど」
得たりとばかりにラウラが手を打った。
「酢ってビネガーでいいのかい?」
「ええ!」
包帯とガーゼも受け取った柊生とカレヴァは、馬屋に戻った。
厩舎の前には、困ったような顔をしたパウリが待っていた。
「お待たせ、パウリ!」
柊生が持ってきた器からはどこか酸っぱい香りが立っていた。
「稀人さん。なんですか、これ」
「ヤブカラシの根だよ。薬効があると言われている」
「ダメですよ! そんなものは、信用できねえ!」
アートスが吠える。
「だが、オーヴェがかわいそうじゃないか」
ラウノは、まだ若干訝しげだが、成り行きに任せようという意思が見えた。
パウリは、慎重な顔で柊生から、それを受け取った。




