4 寸法
廊下には、大きめの花瓶があり、その花瓶には花々が活けられている。
植物学者である古高 柊生が、その花々を見るたび、いちいち立ち止まるのを困ったように先導する執事のヨエル=ハタッカは見ている。
最初は、花が好きなのかと納得しかけていたのだが、花瓶に活けられた花を見るたびに立ち止まられては、いつまでも先に進めない。
ヨエルは、仕方なしにそのたびに咳払いをした。
『あ、本当に、何度もすみません』
つい反射として日本式に謝ってしまう柊生だったが、それも数m歩くたびに続くと、さしものヨエルもにこやかな顔から離れていく。
とはいえ、致し方のないところではある。
すぐ手に取れるところに、現代日本とは差異のある植生が、そのサンプルがあるのだ。
ある意味、職業病である。
だが、柊生は身一つでこの世界に来たようだ。
衣服しか身に帯びていなかったのだ。
採取セットがあれば、もっと、しっかりと調べられるのにとただ単純に悔しがった。
とはいえ、廊下に飾られている花々を例えばピンセットなどで急に採取などしたら、今見られている感じよりも、より本格的に奇異の目で見られるに違いなかった。
「シュウ様、そろそろ、よろしいでしょうか」
もちろん言葉は通じてはいない。
だが、そのイントネーションで、だいぶ呆れられているのは肌感覚で分かった。
『ああ、ほんとに申し訳ない』
柊生は、焦ってヨエルのそばに寄った。
ため息をつくと柊生を引き連れて、ヨエルは階段を降りる。
階段からは玄関につながる吹き抜けのホールになっており、その広さに柊生は舌を巻いた。
『なんだよ。ここ。映画の世界かよ』
階段の手すりにも一本一本に彫刻での装飾が施されており、その緻密さにも柊生は目を剥いた。
ふと、下を向くと階段の上から階下までつながるほどの上質な織物でできたカーペットが敷き詰められている。
そして、一段一段に金属でできたカーペット用の重しが備え付けられている。
『もう、あれだ。これは、富豪ってことだよな』
一階に降りた柊生は、応接間まで来た。
「遅くなりました。シュウ様です」
応接間には、少しふっくらとした五十絡みのメイド服を身に着けたおばさんと二人のメイド服の女性たちがいた。
「へー。これが、稀人さん?」と感想を漏らしたのは、アウネ=ペンナネン。
「普通の子供みたいでしょ」と答えたのは、昨日の浴室にも駆けつけたマンナニーナ=ミンッキネンだ。
「これ、あなたたち。エンゲルブレクト様は、貴人として扱えとご命令を出しているはずですよ」
そう、たしなめたのはメイド長のヴァウラ=ハンットウだった。
ヴァウラは柊生に向き直ると深々と一礼した。
「エンゲルブレクト様から、あなた様の衣服を整えるようにと申しつかりました。これから寸法をお測りして衣服を整えさせていただきます」
きょとんとしたまま笑顔でいる柊生の様子に、ヴァウラがハタと手を打った。
「ああ、この方は、本当に言葉が通じないのですね」
「そうらしいんですよ、メイド長!」
「耳が聞こえてないわけじゃないのかしら」とアウネが首をかしげる。
「いいえ、この反応は耳が聞こえていないという反応ではないですね」
ヴァウラは自分の衣服をまず引っ張り、傍らにあった裁縫道具からメジャーのような物を取り出し、自身の衣服の長さを測り、切って縫い上げるようなジェスチャーをしてみせてくれた。
『ああ、俺の服を作ってくれるってこと?』と、柊生も自分の服?というジェスチャーで返した。
ヴァウラは、とても嬉しそうな顔で思わず拍手をしている。
やはり、意思の疎通ができるというのは、何物にも代えがたい。
「ヨエルさん。この方、とても賢い方ですね」
「やはり、メイド長もそう思われますか?」
褒められているなど思ってもいない柊生は、ニコニコとしながら首をかしげる。
「さ、脱ぎますよー」
おもむろにマンナニーナとアウネが、柊生の衣服を脱がせにかかる。
『! 何をするの!』
驚いた柊生だったが、抵抗虚しくというか、怪我をさせてしまいそうで、何の抵抗もできずに裸に剥かれたうえ、透けてしまいそうなほど薄い生地のネグリジェのような衣服を着せられた。
『うー。すーすーする』
昨日から、下穿きらしい下着は身に着けていない。
ここには、トランクスやブリーフのようなパンツというものは、どうやらないのかもしれない……。
それに思い当たった柊生は、思わず顔をひきつらせた。
「ああ、申し訳ありません。すぐに済ませますからね」
ヴァウラはその柊生の表情の変化を、寸法をとるこの作業がめんどくさいものだと考えたと捉えたのだ。
なんとなく、勘違いさせたかもしれないと焦ったが、とはいえ、早く終わってくれるに越したことはない。
ヴァウラたちの指示に、しっかりと柊生は従っている。
身丈、袖丈、胴回り……。
彼女たちはメジャーのようなもので、しっかりと柊生のあちこちの寸法を測っていく。
あちこちを測られながら柊生は、そのメジャーのような物の目盛りを見てその大きさを目測していた。
その結果。
(おそらくは、ここのサイズ感はメートル法だ)
メートル法といういい方は、絶対にしないだろう。
たぶん、だけれど。
だが、どう注視していても、見た感じ子供のころから柊生自身が慣れ親しんできたメートル法のサイズ感なのだ。
(共通点があるだけで、こんなにうれしいとは)
思わず感涙が流れそうになって、天井を仰いだ柊生だった。
「さ、これで、すべて測り終えましたよ」
意味は依然としてつかめないが、彼らの言葉のイントネーションで何を言っているのか、少しずつ測れるようになってきた柊生がいた。
『ありがとうございます』
柊生はそっと頭を下げるが、それには、執事ヨエルを加えた4人が一斉に首を傾げた。
「ああ、もしかして、お礼を話しているんじゃないかしら」
「え、私たちにお礼?」アウネが、困惑した表情を浮かべる。
「すごく、丁寧な方なのね」
優しい笑顔を浮かべたのは、ヴァウラだ。
「そんな、かしこまらなくていいですよ。私たちは使用人ですから」
柊生は、そっと笑って、もう一度。
『ありがとう』と言った。
*
着替えのない柊生にあてがわれたのは、依然としてエンゲルブレクトの幼い時の衣服であった。
「仕立て終わりましたら、シュウ様のクローゼットに運ばせていただきますね」
そうヴァウラは、すべては伝わらないながらも丁寧に話してくれた。
深々と一礼の後、柊生はヨエルに連れられて客間に戻った。
寸法を測られているときというのは、実質身動きのできない時間である。
その時間、文字通り拘束されているようなものだ。
なんとなく、気疲れした柊生はぐったりとソファに横たわった。
そよと窓から吹く風が、若干の眠気を誘ってくる。
「シュウ? いるかな?」
エンゲルブレクト=グランフェルト侯爵が、顔を覗かせるも、ソファの上の柊生はしばしの夢の中だ。
静かにエンゲルブレクトが、踵を返した。
「お戻りでいらっしゃいますか」
書斎には家令のミカル=グルブランドソンが、副机で書類整理をしていた。
「ああ、寸法をとられて疲れてしまったらしい。確かに、あの作業は測る方も大変だけど、測られる方も本当に大変だものね」
「たしかに。私などは未だに慣れません」
「エンゲルブレクト様、協会からご連絡をいただきました」
「ああ、チューターの件だね」
「ええ。明日から、来ていただけるようになっておりますが、よろしいでしょうか」
「ああ、かまわないよ」
「カレヴァ=レコラという者を、派遣してくださるようでございます」
「ふーん。レコラっていうとここより北のアスクトゥスに子爵家があった気がしたけど、そこのご子息かな」
「さすが、エンゲルブレクト様でいらっしゃる。ご名答でございます。レコラ子爵家の三男でいらっしゃるようです」
「ふうむ。大変だね。まあ、うちのように嫡男のみの家も大変ではあるけれど。しかも、私、結婚願望ないんだよなあ」
(それは、火遊びが過ぎたからでは……)と瞬間ミカルは考えてしまうものの、おくびにも出さなかった。
「ミカル。君、今、失礼なこと考えなかったかい?」
驚いたミカルだったが、表情一つ変えなかった。
「滅相もございません」
「そう? それならいいけれど」
「ああ、料理番に伝えておいてくれ。今日も飛び切りのディナーを頼むと」
ミカルは、つい目を瞬かせた。
「えと、それは、シュウ……、彼のためでしょうか」
世にも魅惑的な笑顔を浮かべたエンゲルブレクト。
「当然だろう? ここは、これほど、豊かでおいしいものが食べられると知らないと、がっかりさせてしまうだろう? せっかく、この私たちの世界で出会えたんだ。この世界を好きになってもらった方がいいだろ?」
どこまで……と年若の主人に少し呆れたような顔をしたものの、瞬間顔を戻し、ミカルが恭しく一礼をした。
*
黒のコートに丸いシルエットの帽子をかぶった男が、その日、グランフェルト侯爵邸の裏の使用人入り口のドアをノックした。
「どなたですか?」
メイドのビルギッタ=テグネールが、裏口の対応をする。
「家庭教師協会から、派遣されてまいりました。カレヴァ=レコラと申します。本日から、この館でお世話になることになります。よろしくお願いいたします」
「ああ! 伺っております」
ビルギッタは、彼を屋敷の中に通した。




