3 植生
何で作られているのかは、正直わからない。
古高 柊生は、うっすらとしかない知識を総動員して、目の前のフランス料理風の食卓についていた。
今、柊生がいる世界は、今まで慣れ親しんだ現代日本とは、全く違う世界らしい。
なぜそれがわかるかというと、全くと言っていいほど、言葉がさっぱりわからないからだ。
現代日本ならば、日本語はもちろん、他国の言葉もある程度は耳にしたことはあるが、おそらくは現存する各国の言葉のどれにも当たらない。
隣の席では長い金の髪を垂らした、生きた彫像としか言えないほどの超絶美形が、幸せそうに食事をとっている。
彼が、二言三言にこやかに従者たちと話す言葉は、テレビやインターネットから漏れ伝わる言葉とは、たぶん、言語形態が違っている。
英語ともフランス語とも、スペイン語とも全く違う言葉だ。
それならそれでいいが、問題は、柊生自身の意思をも伝えられないことだ。
これほど言語が違うのだ。漢字やひらがなも絶対的に通じたりはしないだろう。おそらくは、アルファベットだって違う。
(ジョン万次郎って、こんな気持ちだったのかな……)
思わずそんな考えに至り、暗くなってしまい食事の手が止まってしまう。
「口に合わなかったろうか?」
心配そうなのだけれども完璧としか言えないような双眸が、柊生を射貫く。
柊生は焦ったように、わざとらしいくらいの笑顔になって、ナイフとフォークを一生懸命動かして見せた。
彼は、安心したように、自分の食事を続けている。
(とはいえだ。本当にどこだろう、ここ)
電化製品がない。ということは、冷蔵技術もないだろう。
ということは、日本のようなネットワーク化した流通というのは全くないに等しい。
であれば、この食卓に乗っているのは、この付近で採れた作物。そういうことになる。
人参、玉ねぎ、各種ハーブ。パセリ、タイム、セージ、ローズマリー。チャイブ。
味については、ちょっとわからないものの。なぜならフランス料理形式の食べ物は、食べ慣れないからだ。
とはいえ、言っても柊生は植物学者だ。形がわかるものであれば、間違えようがない。
なんとか、味わいながらもマナーよく食べ終えられたと思う。
デザートが運ばれてきたときには、考えることが多すぎて若干へとへとになっていた。
運ばれてきた皿の上に、かわいらしい果実をあしらったタルトが載せられていた。
「これは、コケモモとイチゴ……。どう見ても栽培種じゃないな……」
つい目を輝かせて分析を始めてしまう。
その隣で、ぶつぶつとつぶやき始めた柊生を、面白そうにエンゲルブレクト=グランフェルト侯爵が見つめていた。
(うん。思ったとおりだ、彼にはほかの人にはないほどの深い知性がある)
そうして、柊生の動向をエンゲルブレクトは細かいところまで注視していたのだ。
だが、真剣に思考を始めた柊生を周りの従者たちは、薄気味悪いものとしか見ていない。
それに気がついたエンゲルブレクトは、そのことをも楽しんだ。
デザートも終わり、柊生はエンゲルブレクトに促され、小部屋に移動した。
深いソファに座り、出された飲み物を口にした。
(香りからして、コーヒー!)
飲めるとは思っていなかった、久しぶりの淹れたてのコーヒーだった。
嬉しいと同時に、柊生は頭を抱えた。
(本当に、ここ、どこなんだ?)
ふと振り向くと、超絶美形がまたニコニコと笑顔を向けている。
(この人も、何なんだろう。これだけの使用人を使っているのに、家族がいないみたいって、何なんだろうな。いくつなのかもわからないし……)
片や、エンゲルブレクトは、心に決めたことがあった。
(明日、ミカルに話そう)
食事を終え、客間に戻ってきた柊生は、ベッドのわきに置かれた衣服を見つけた。
おそらくは、寝間着の類だろう。
しわにならないように、借りた高級そうなジャケットなどを6畳間ほどのクローゼットにしまった。
客間といっても、柊生が今まで暮らしていた1DKよりもはるかに広い。
居間付きのベッドルームがドア一枚で仕切られている。
「もしかしたら、これが、貴族の住まい、館ってやつか?」
寝間着に着替えた柊生は、大きな窓からベランダに出た。
空に広がる星々はやはり、今まで習った星座とは全く違う輝きをしていた。
「これって、絶対に戻れないパターンじゃね?」
植物学者としてのキャリアなど、取るに足らないものだ。
そんなことよりも、やはり、研究が途中になってしまったことがその一千億倍悔やまれて仕方がない。
今夜は、眠れそうもなかった。
*
二人、顔を合わせてダイニングでの朝食後、書斎に戻ったエンゲルブレクトは、家令のミカル=グルブランドソンにこう指示を出した。
「取り急ぎ、チューターを派遣してもらうように手配してくれるかい?」
ミカルは、驚きの表情を何とか抑えた。
「家庭教師でございますか」
「ああ、そうだね。できるなら、腕利きのものがいいな」
「なぜ、あの彼のために、そこまでされるのでしょうか」
「なぜって。それは私が彼のためにできる環境と力があるからだね」
「それは、その通りだとは思うのですが……」
「うん。訝しく思うのは当然だと思う。これは、ただの私の厚意、もしくは純粋な好奇心だからね」
「好奇心でしょうか」
「そうだよ。君も見ただろう? 彼はつたないながら、マナーを意識し、それでも皿をきれいにするまで、ソースの一滴も残さないほどにしっかりと食べていた。……無学じゃないんだ。今は、彼は、言葉が通じていないだけだ。彼の手助けをするのは、僕の意思だ。なにか、不満かな」
「不満ということは、もちろんございませんが……」
「心配なのは理解しているよ。だけど、私もいろんな人を見てきた。その中でも彼は、少し違う。もう少しだけ見守っていてもらえると嬉しいな」
そういって、笑顔になられては、ミカルとしても折れるしかなかった。
ミカルは、書斎から下がると家庭教師の協会に向けて文をしたためた。
マナーにも明るいチューターをと注釈をつけることも、忘れてはいなかった。
*
「うん。暇すぎる……」
この広い屋敷だ。散歩や見学をするのもいいだろう。
だが、柊生は言葉が通じないのだ。
変な立ち入り禁止の場所に入り込んで、手打ちにされてもそれはそれでいけない。
「とはいえ、暇、なんだよな。あ……」
ベランダに心地よさそうな風が当たっている。
「ベランダくらいなら、出ても怒られたりはしないよな」
ドアほどもあるガラス戸を引き、窓を開ける。
「おお。すげー広い……」
屋敷は山の麓にあるらしい。
少し高いところから見渡せるのは、盆地のような場所だった。
遠くには、畑作や牧場のような影が見える。
「本当に、なんだ。ここ。見た感じ、当たり前だけど、本州じゃないことだけはわかる」
特有の竹林がない。
「うーん。あれは、白樺? あと、針葉樹が多いな……」
白樺、針葉樹ときて、思い当たるのは長野付近の高所だ。
だが──。
体感として、それほど海抜が高いわけではないと思う。
「んー。ないとは思うけど、北海道の植生に近いのか?」
柊生の口から、乾いた笑い声が出てきた。
「ないない。おそらくは、ここは、異世界なんだろう? なんで俺なのかわからないけど」
それにしても、あのダイセンアシボソスゲの群生は、本当にもったいないことをした。
あのまま、しっかりと調査し、下山できていたら。
返す返すも口惜しさがふつふつと湧いてくる。
と、そこへ。
数回のノックの後、あの超絶美形が顔を見せた。
「お、ベランダに出ているんだね。──いい景色だろう?」
隣に並んだエンゲルブレクトの金の髪が、風に流れた。
「そう言えば、ちゃんと名乗っていなかったね。私は、エンゲルブレクトという」
「えんげ……?」
「そうだ。エンゲルブレクトだ」
「えんげるぶれ……?」
「うーん。難しいかな? エンゲルでもいいよ」
「えんげる……」
「そうだ! そうだ、君の名前は?」
『古高 柊生』
「こたか?」
『えっと、あ、名前か。柊生だ』
「しゅう、せい?」
『まあ、言いにくいよね。しゅう、しゅうでもいい』
「わかった。シュウだね」
二人は、しっかりと握手を交わした。
「おや、こちらにいらっしゃいましたか」
執事のヨエル=ハタッカが、エンゲルブレクトを呼びに来た。
「ああ、ヨエル。彼の名前がわかったよ。長い名前は、ちょっとわからなかったが、シュウと言うらしい。これから、彼を呼ぶときはシュウと呼んでやってくれ」
エンゲルブレクトがそういうと、これにも目を丸くするヨエル。
「本当にエンゲルブレクト様は順応性が高くございますな」
「ええ? だって、名前がわからないのは、本当に不便だろう? シュウ、彼はヨエルだよ」
『かれは、ヨエル?』
「シュウ様、私のことは、ヨエルとお呼びください」
『ああ、英語でいうところのHeか。ヨエルさん、だね』
ヨエルは、柊生に向かって一礼をした。
「ふむ。エンゲルブレクト様、おっしゃる通り、彼はしっかりとした教養がおありのように見えますな」
「そうだろう?」
エンゲルブレクトは、得意気な顔をした。
「それよりも、何か用だったのかい? ヨエル」
「そうでした。メイド長が話していたのですが、彼の衣服はこの先どうするのかと。もし、このままこの屋敷に滞在するとなったら、それなりの仕立ても必要になるんじゃないのかと話しておりました」
「ふむ。確かにな。その辺は、全く頭になかった。さすがのヴァウラだな」
「そうときまったら、シュウ様をメイド長のところにお連れしてもよろしいでしょうか」
「もちろん。すまないけど頼むよ」
柊生は、促されるままにヨエルの後をついていった。




