2 稀人とのディナー
グリュックスブルク王国王都ヤイニッセからおよそ120ディグル。
広大な平野の果て。山がせり出した盆地の縁にファーナムという町があった。
そのファーナムの北東。本当の山の際にその屋敷がある。
屋敷の主、エンゲルブレクト=グランフェルト侯爵は、風呂上がりで火照った体を、冷たい牛乳で渇きを癒やした。
「エンゲルブレクト様。ご入浴お疲れ様でございました」
家令ミカル=グルブランドソンは、遠乗りからの帰宅後ようやく入浴を終えた主人に恭しく声をかけた。
「うん。いい風呂だったぞ」
窓の外を眺めていたつややかな金の髪が振り向く。
風呂上がりで男っぷりが倍々に向上したエンゲルブレクトの美しさは、長年付き合いのあるミカルにとっても、胸が跳ね上がるほどだった。
ミカルは、多少動揺した心を落ち着かせて優しく年若の主人に微笑んだ。
「それは、よろしゅうございました。多少、気遣わしげなところはございましたが」
「うむ。それよ。あの稀人は、私の重要な客人だ。くれぐれも失礼のないように接するよう、使用人達に通達しておいてくれ」
「ですが、海のものとも山のものとも知れない、言葉も通じない者をこの屋敷に置くとは……」
「ああ、お前たちは稀人という噂話も知らないんだったな。うーん。あれは誰のところで聞いたんだったか……。オフレ伯爵夫人のところだったか、はたまた、プリュデルマシェ男爵夫人との閨だったか……」
話が逸れていきそうな主人に対し、咳払いをしてみせるミカル。
「すまないね。私の悪い癖だ。ええと、何の話だったかな」
「稀人の話でございます」
「そうだったね。私はこんな風に聞いたんだよ。先ほども言ったとおりに、この私たちの住まう時間と彼らの住まう時間が、しっかり合ってしまったとき、何かの……。そうだなあ、神々の力なのかな。そういうのが働いて、彼のように見ず知らずの場所に。ああ、そうだね。彼は、本当の意味で落ちてきたようだけど」
「にわかには、信じられませんな」
「まあ、本来であれば、私もだよ。だけど、夢があるじゃないか。この私たちの世界だけじゃなく。様々な世界が、ほかにもあるのだとしたら」
ミカルは、にこやかな主人に反して震え上がった。
「いえいえ、そんなことを考えては空恐ろしくなりますし、もとより、最高神ディアグ様が我らにお付きになっております。その教義に反することになりはしないでしょうか」
エンゲルブレクトは、目を丸くし、はたと手を打った。
「ふむ。確かにな。とはいえ、稀人を手厚く保護したものには、その見返りが降り注ぐという話だぞ。まあ、この私は現状に何の文句もないし、何かの褒章もいらないのだが。そんなことは、ともかくだ。困っている人を助ける、それをしたところでディアグ様が罰を当てるなど狭量なことはされないだろう」
顎に手を当てて、首をかしげるミカルを楽し気にエンゲルブレクトが見ている。
「まあ、こういっては、彼に申し訳ないけれど、多少の厄介者がこの家にいてもつぶれるような家ではないよ」
「それは、おっしゃる通り、なのですが」
執務机に座り手元にあった書類束を眺めるエンゲルブレクト。
「まあ、ミカルの言いたいこともわからないでもない。だけどね。彼は結構教養のある人物だとみているんだ。もし、何か問題があるとしたら、その時はそれなりの対応をすればいいだけのこと。そのほかの問題は、何かあるのかな」
そっとミカルの眉が寄せられたが、恭しく一礼をする。
「いいえ。ございません」
「あ、そうだ。夕食は彼も招待しよう」
「夕食に、でございますか」
笑顔でエンゲルブレクトは返した。
「食事の仕方でその人となりは一番よくわかるからね」
「かしこまりました。おっしゃる通りにいたします」
*
古高 柊生の滞在することになった客間に、ノックの音が響いた。
顔を覗かせたのは、メイドのビルギッタ=テグネールとエイネ=グルブランドソンだ。
それぞれ高級そうな衣装を手に持っている。
ビルギッタに関しては、浴室での邂逅の件がある。
多少、柊生に対しての恐怖心がないわけではない。
どう見てもその笑顔はひきつっている。
『それは? 何ですか?』
柊生の言葉は、やはり、依然として通じていないようだ。
彼女たちは、首をかしげてお互いに顔を見合わせた。
ビルギッタが、ひきつった顔のまま柊生に衣装を差し出した。
「恐れ入ります。エンゲルブレクト様が、あなた様をお食事にご招待なさいました。どうぞ、お着替えになり、お越しくださいませ」
柊生にも、彼女たちの言葉は全く通じていない。
にこやかに首をかしげるだけだ。
「ああ、言葉が通じないのね」
ビルギッタは、柊生に向かって、衣服を脱いで着替えるジェスチャーをしてくれた。
柊生は、そんなビルギッタに向けて大げさにうなずいてみせた。
どうやら、首の振りだけで通じるイエス・ノーは、日本語と同じようだ。
『えっと、着替えたいんだけど……』
服を脱ごうとした柊生だったが、彼女たちが席を外さないため困ってしまった。
このままでは、彼女たちにあらぬものを披露してしまうことになる。
すると、まだ新人メイドのエイネが柊生の意図を察した。
「ビルギッタさん、もしかしたら、この方、メイドの前ではお着替えをしないのかもしれません」
目を丸くして、柊生を見るビルギッタ。
「そっか、そんなに身分のある人ではないのね」
「平民、ということでしょうか」
エイネもそういって首を傾げた。
「まあ、いいわ。しょうがないから、部屋の隅にでも控えましょうか」
入り口付近まで、彼女たちが下がったのを確認して、柊生はのろのろと着替えを始めた。
依然として、下着のようなものはない様だ。
何かの布はあったけれど、どのように使うのかはわからない。
ディナージャケット、ウェストコート、シャツにネクタイ、スラックスに革の靴だ。
着こなし云々はどうあれ、なんとか着られたように思う。
『あの、すみません。これで、いいですか?』
壁の方を向き、私語もせずに待っている二人に柊生が声をかける。
振り向いた二人は、顔を見合わせて笑った。
『え、どこか変!?』
ビルギッタとエイネは、柊生に近づくとその衣服の着こなしを手直ししてくれた。
そして、椅子に座るように促されると、髪を少し粘る何かで髪型を直してくれる。
そして、ありがたいことにひげをあたってもくれた。
『ありがとう、さっぱりしたよ』
柊生が笑顔を浮かべると、メイドたち二人も笑顔を返してくれる。
「では、そろそろお時間になります。ダイニングまでご案内いたします」
『え? あ? なんだ?』
その言葉の意図が分からず、戸惑っていると。
「行きますよ?」
エイネがそっと柊生の手を引いた。
柊生は見るからに十代の二人に手を引かれ、かなり困惑する。
やがて三人は、ダイニングの前に着いた。
ただの廊下とは言え、質の良い高価そうな調度品がセンス良く置かれている。
柊生にとっては、その程度の知識しかないため、どうしてもそんな感想しか浮かんではこない。
が、見る人が見れば腰を抜かすほどの調度品なのだろう。
柊生にとっては、ただの像であったり、ただの絵だ。
「エンゲルブレクト様。彼をお連れいたしました」
ダイニングの入り口でメイドたち二人は一礼し、下がった。
跡を継いだのは、これまた十代ほどの男性二人だ。彼らも柊生と同じような衣装を着ている。
「さ、中へ。お入りください」
「さあ、エンゲルブレクト様がお待ちでいらっしゃいます」
柊生がダイニングの中に入ると、まず初めに目についたのは、豪華なシャンデリアだ。
電化はしていないだろうから、ろうそくで点けるのだろうか。
おどろくほど高い天井から、きらめきながらぶら下がっている。
その次に目についたのは、十人以上が座れる幅と縦幅の長いテーブルだ。どんなふうに作っているのか全くわからない。
「さあ、君。そんなところで口を開けていないで、こちらに来給え」
(手招きの方法は、日本と逆か)
柊生は、一礼し、超絶美形のそばに行った。
テーブルの上には、数種類のカトラリーと空皿が載っている。
(これは、フランス料理形式なんだろうか。マナー……。マナーってどうやるんだっけ)
柊生は、ため息を思わずついてしまう。
それを見たエンゲルブレクトだったが、咎めだてもせず、席についた柊生に笑顔を見せた。
「よかった。子供のころに着ていた服を捨てないでとっておくものだね。何の役に立つか、本当にわからないねえ」
柊生は、わからないながらも真剣にその言葉を聞いていた。
(イタリア語? スペイン語? それとも、やっぱりフランス語、なのか。くそ。語学は本当にさっぱりだ)
笑顔の下で自身の学の無さを歯噛みする柊生。
さきほどの若い従者とでもいうのだろうか、彼らが料理を運んできた。
まずは湯気の立つスープから始まった。
柊生は全力でもって、自身の中の薄い知識を総動員して、なんとかスープスプーンを使い、上手にそれをのむことに成功した。
一口含むと、驚くほどの味わいだった。
『うまい』
思わずそう呟いてしまった。
はっとして、超絶美形を見たところ、毒気のまったくない笑顔をこちらに向けている。
柊生は、思わず目を逸らせないままなんとか視線をそらした。
(うう。心臓に悪いぜ)
腹を空かせていたところではあったので、まずは、味を堪能することにした柊生だった。




