10 トランクス
グリュックスブルク王国王都ヤイニッセより北東に約120ディグル。
「おかしな服を着るんだねえ!」
ここはファーナムの地にあるグランフェルト侯爵の館。その縫い子の部屋だ。
「ええ。これは、一応下着になるので、どうか作っていただけないでしょうか」
そう発言したのは、植物学者・古高 柊生だ。
何の因果か数十日前に、このグランフェルト侯爵の屋敷に突如として現われた。
「いや、稀人さんには従うようにとは言われてるけどさ」
そう話しているのはアウネだ。
彼女はこのグランフェルト侯爵の屋敷内の衣服制作を担う一角なのだ。
今回柊生が作ってもらおうとしているのは、トランクスだ。
「サイズはどうしたらいいんだい? 肌に添わせるとか?」
「いや、そうじゃなくて、少しだぼつく感じで作ってもらったら嬉しいです」
「いやあ、本当に変わってるよね」
そういうアウネは興味津々だ。
大量の生地が仕舞われている小部屋に入り込むと、少し厚めの生地を数点運んできた。
「うーん。この辺でどうだい?」
柊生は、失礼と断ってから右手でその厚みを確かめた。
「これはちょっと厚いかなと思います。あ」と言うと。
隣にいたビルギッタ=テグネールのメイド服についているエプロンを触った。
「何をするんですか!」
ビルギッタは、驚き柊生の頬へ平手打ちを入れた。
「痛い!」柊生の頬に手形がついた。
が、それにめげない柊生は、アウネに向き合った。
「この、エプロンよりも薄い生地ってないですか?」
ぷっ。アウネは思わず吹き出した。
「あ、ああ。それなら、これだな」
アウネが笑いながら、生地部屋の在庫からおとなしめの花柄のついた生地を持ってきた。
「花柄……」柊生は少し困ったような声を出した。
「何か不満かい? あんたが言う生地の厚さだとこのくらいしかないんだわ。あとは、織ればいいけど。外出着でもないんだから、そこまでは、エンゲルブレクト様もお許しにならないだろうさ」
「うーん」
柊生は迷ったが、下着をつけられない心許なさには、もう耐えられなかった。
「そしたら、お手間をとらせますがお願いします」
「ああ! お安い御用だよ」
アウネは頼もしい笑顔を柊生に向けた。
*
「シュウ! 君、面白いものをアウネに頼んだんだってね!」
エンゲルブレクト=グランフェルト侯爵が、興味深い様子で柊生と家庭教師カレヴァ=レコラの授業中に乱入してきた。
柊生の習性に未だに興味津々なカレヴァが食いついた。
「そうなんですよ! シュウがアウネに作らせているのは本当に変わっているみたいで、出来上がりが本当に楽しみなんです!」
「楽しみったって、ただの下着だけど……」
柊生が困って頬を掻いた。
「いや、私たちは、ほら、これ自体しか穿かないからね」とひざ丈のズボン状の下着を引っ張ってみせるエンゲルブレクト。
「これも、機能的なのかもしれないですけど、ちょっと、心許なさ過ぎて」
「ふーむ。そういうものかね。私たちは、この衣服で慣れているからねぇ」
と、その時、アウネが慎ましやかにその部屋をノックした。
「シュウさん。お待たせしました。持ってきたよ! こんな感じでどう?」
アウネが、エンゲルブレクトにひざを折り一礼した後、柊生にできたものを手渡した。その数五枚。
「これはすごい。アウネさん、思ったとおりの出来ですよ!」
アウネが嬉しそうに笑った。
「へえ、どれどれ?」
エンゲルブレクトが、受け取ってひっくり返したりしながら、じっと見ている。
「ねえ、シュウ、ちょっと穿いてみてくれないか?」
「え? なにを言ってる?」
「いや、だって、実際に見てみないとさ」
「あ、私も見てみないといけないから、ぜひ穿いてみてよ」とアウネも笑う。
アウネがそう言うのは、しっかりとした職業意識だ。
だが、それを恥ずかしく思うのは、やっぱり仕方がないことだろう。
意を決した柊生が部屋の隅で衣服を脱いで、一枚のその下着を穿いてみせた。腹が出ているのは、ご愛敬だ。
「ふむ。シュウ、穿き心地はどうだい?」
エンゲルブレクトが尋ねる。
「うん。だいぶいいね」
「ぶらつき感はどうなんだい?」そういうアウネの声が笑っている。
「うん。遜色ないよ」
それを聞いたエンゲルブレクトは得たりと膝を打った。
「アウネ。私の分も作ってみてくれないだろうか」
「え? どうしたの? エンゲル?」柊生が尋ねる。
有り余るほどの美形であるエンゲルブレクトが、子供のような笑顔を見せた。
「心地よさそうなら着てみたいじゃない」
それに嬉しそうな顔をしたアウネが、慎ましやかに一礼する。
「かしこまりました」
「急がなくてもいいからね」
アウネは自身のたわわな胸を打った。
「お任せくださいな」そう言うともう一つ礼をし、自身の持ち場に下がった。
*
数日後。グランフェルト侯爵家、その周囲を走る二つの影があった。
運動不足で通してきた三十八歳の植物学者は、その場で倒れこんだ。
「も、もう、動けない……」
周囲三ディグルの広さだ。庭園も含むが、北側の丘にある放牧場と牧草畑を含むとそれ以上の広さだ。
「もう、何を言ってるんですか。シュウさん。こんなことじゃ、いつまでたっても剣術うまくならないですよ」
天才言語学者でもあるカレヴァが、頼もしい顔で笑う。
「カレヴァ、君、見た目そんなに強く見えないんだよなぁ」
高身長で、赤毛の巻き毛がキュートな青年である。どちらかというとスマートな印象のカレヴァだ。だが、相当に強いらしい。
一度、エンゲルブレクトとカレヴァが剣術を見たこともなかった柊生に、どういうものかというデモンストレーションをやってみせてくれたことがあったが。
『俺にできるとは思えないんだよなぁ』
「え? 何か言った?」
「さ、もう一周行くよ!」
「いや、もう行くのかよ」
「え? だって、十分休んだでしょ?」
そんなことを真剣な顔で伝えてくる。たまったもんではない。
「も……もう、ほんとに……動けない」
息を切らし、声すらも出せないくらいの柊生が周辺を汗で湿らせながら土の上に手足を伸ばして、仰向けに寝っ転がっている。
カレヴァは、鼻で笑うものの木陰に置いてある水入れを柊生に差し出した。
「シュウさん。情けないっすよ」
「いいんだ……俺は、この年だぜ」
「ああ!」瞬間考え込んだカレヴァ。
「確かに! 三十八歳でしたか」
カレヴァから水を受け取り、一口飲んで息を吹き返した柊生。
「本当、カレヴァ、俺、何歳だと思ってたの」
「うーん。僕より年下だと思っちゃうよね」
起き上がっていた柊生は、そこでまた地面に転がった。
「あー、立ち直れない」
「あ! いたいた! 探しましたよ!」
その時、従者のヨーン=フォールシュランドが体力づくりをしている二人を見つけた。
「どうしたの? ヨーン」
柊生とカレヴァが同時に返事をした。
「シュウさんに、あれができたから、これでいいのか確認してもらいたいって、エンゲルブレクト様が」
柊生は、少し、頭を抱えた。
誰が男の下着姿を見たいだろうか。
「さ、お二人とも、お早く!」
ヨーンは十六歳の溌溂とした様子で二人の腕を引っ張っていった。
かくして、エンゲルブレクトのトランクスのお披露目は、柊生が生活をしている客間でとなった。
「ああ、シュウ! ようやく来たか。これを見てくれ! こんな感じでいいのか?」
客間に入ると、いずれ名のある彫刻家が作成したような見事な体躯のエンゲルブレクトがそこにはいた。
少し違っているとしたら、血肉の赤みがさっと走っていることだったろう。
柊生は、どこを見て、そして、褒めたらいいのかわからないまま、微妙な表情で固まっている。
途端にエンゲルブレクトは、不安そうな顔になる。
「これでは、ダメだったろうか」
捨てられた子犬のように縋りつくような視線を柊生に向ける。
柊生は、思わずため息をついてしまう。
「いや。すごくよくできてると思うよ。俺みたいな腹もしてないし」
超絶美形のエンゲルブレクトが、かわいらしく顔を傾ける。
「シュウはシュウでいいと思うけど」
「やめろよ」柊生は思わず笑ってしまう。
「穿いてみて思うんだけれど──」
トランクスを穿いたまま、ヨーンたちに服を着せてもらっているエンゲルブレクトが、少し大きめの独り言を言う。
「これは、確かにシュウが言う気持ちもわかるね。なんていうか、位置が落ち着く気がするよ」
「ふむ。これは、少し、改良する必要があるかもしれないけど、いいね。販路をどうするか、な」
「え? 今、販路って言った? 売るつもり?」
柊生が、目を丸くする。
「うん。こういう下着は、今までなかったからね。結構、いい商品になりそうだ」
日本にいた頃、ファンタジーには程遠かった柊生にとっては、驚くような話だが、貴族家というのは領地経営のために商売に手を出すのも普通だ。
無論、グランフェルト侯爵家においても、そうなのだ。
「うん。売り方だけれど。うまいこといきそうだよ。ありがとう。シュウ!」
いつものフロックコートまでをしっかり着込んだエンゲルブレクトは、自身の書斎に急いだ。
残された柊生は、その部屋をついでに片づけているヨーンに、思わず尋ねる。
「あの、エンゲルって、いつも、あんな感じなの?」
「あんな感じとは?」
「思いついたら、即行動みたいな……」
「ああ! 安心してください。あれがエンゲルブレクト様の真骨頂ですから」
「そ、そうなんだ」
走り込みの疲れも相まった柊生は、思わずソファに倒れこむように座った。




