表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
88/91

第88話 超えろ

 瓦礫の中から体を起こし、激しく咳き込んだ。口から吐き出された血が、眼前の砕けた石に飛び散る。全身が山に轢かれたように痛み、頭がひどくふらついて、どちらが上なのかすら判然としない。


 ……何が、起きた?


 ついさっきまで、暗く静かな場所にいた。不思議と安心できる、穏やかな空間に浮かんでいたはずだ。次に気づいた時には、見知らぬ光る剣を握り、巨大な悪魔と竜が融合したような怪物の顔を真正面から見つめ、そしてその怪物に思い切り平手打ちを食らって、都市の半分を突き抜けて飛ばされていた。


 胸に手を当て、呼吸を整えようとする。


「リリス!」


 見慣れた金色の光が、隣に降り立った。セラフィエルが膝をつき、六枚の翼をきつく畳みながら私の肩を掴む。その顔は心配で青ざめていた。


「大丈夫? 聞こえてる?」


「セラフィエル……?」声が掠れて出た。「何が……何が起きてるの? 今のあいつは誰? なんで空がミキサーにかけられたみたいになってるの? それに、私、人生で一番長い悪夢から覚めたみたいな感じがするんだけど」


 セラフィエルの表情が強張る。彼女は息を整え、できる限り簡潔に、すべてを説明し始めた。


 魂の収穫。

 ヴィクターの裏切り。

 ニコラス・フリーマン。

 アルゾラを蘇らせるための儀式。

 私の魂が器として使われたこと。

 ソフィアの誕生。

 初代魔王の完全な吸収。

 忘れられし竜の血を飲み、ミラを吸収して、あの多次元的な異端へと変貌したヴィクターの最終形態。


 彼女が話し終える頃には、私の拳が強く握りしめられ、爪が掌に食い込んでいた。


「……そう、か」私は呟いた。「みんなが命をかけて戦ってる間、私は眠ってたんだ」


 無理やり体を起こす。最初は足が震えたが、膝を固定して、二度と倒れないと決めた。ゆっくりと、半壊した建物から外へと歩き出す。


 外の世界は、純粋な混沌だった。


 空は渦巻く色彩と砕けた次元の破片で埋め尽くされ、まるであらゆる現実の姿を映す鏡を粉々に砕いて、間違った形でくっつけ直したかのようだった。瓦礫の浮島が空中を漂い、遠方の山々は真っ二つに裂けている。空気そのものが薄く、不安定に感じられた。


 荒廃の中心で、ヴァラクとグレンダがヴィクターの異形と必死に戦っているのが見えた。全力を出しているのは明らかだが、この距離からでも、二人が押し戻されているのがわかった。


 ミラ……。


 あいつ、本当に彼女を吸収したんだ。


 重く、痛い罪悪感が胸に沈む。友たちが戦い、ミラが魔狐に変えられ、燃料として使われている間、私は休んでいた。みんなを裏切ったような気持ちだった。


 でも、罪悪感では誰も救えない。


 私はまだ、みんなを救わなければならない。収穫されたすべての魂を解放しなければならない。これを終わらせなければならない。


 足元に落ちていた奇妙な剣に視線を落とす。目を覚ました時に握っていたものと同じだ。刃は虹のすべての色と、存在するはずのない色で煌めいている。ナイトズ・ラメントとはまるで違う。


 それでも、私はそれを拾い上げた。


「これで、やるしかない」と呟く。


 頭の中に、柔らかく馴染み深い気配が動いた。


『その剣はスターダスト・レインボー。血の蝕の時代に、私が振るっていた古い刃です。まだあなたに応えてくれるはずです』


 私は固まった。


「……賢者?」


『もう賢者ではありません』声は優しかった。『今の私の名は、ソフィア・ノクターンです』


 瞬きをする。


「ソフィア・ノクターン? いつの間に私の姓を名乗るようになったの?」


 短い、どこか楽しげな間があった。


『夫婦とは、そういうものではありませんか?』


 一瞬、思考が止まった。


「夫婦……!?」


 虚空をぼんやりと見つめた後、強く首を振る。


「わかった、今はそんな話してる場合じゃない。あいつを倒すのに、あなたの力が必要よ」


『もちろんです、主』


 スターダスト・レインボーを強く握りしめ、わずかに膝を曲げてから、浮遊する瓦礫の縁から跳躍した。


「ヴィクターァァァァ!!」


 私の声が、混沌とした空気を切り裂く。


 異形のハイブリッドがこちらに顔を向けた。いつもの、歪んだ得意げなGrinが広がる。


「おやおや……やっと目を覚ましたか」エターナル・ヴィクターの声が、砕けた次元を超えて響いた。「待たせすぎだぞ、ノクターン」


 大きな浮石の上に着地し、スターダスト・レインボーを肩に担ぐ。


「ああ」視線を固定したまま答える。「これで終わりにする」


 ヴィクターが笑った。深く、嘲るような笑い声だった。


「ほう? どうやってだ? お前はまだ生まれたばかりの大吸血鬼だ。スキルのまともに使い方もわかっていないだろう。一方で私は、空間、時間、因果、運命——私の手が届く現実のすべてを支配する存在だ。お前に止められるはずがない」


 私は彼をしばらく見つめた。


 そして、笑い出した。


 小さな笑い声ではない。大きく、本物で、純粋な信じがたさに満ちた笑い声だった。


 ヴィクターのGrinがわずかに揺らいだ。


「何がおかしい」


 スターダスト・レインボーを彼に向けたまま、まだ笑っている。


「運命、時間、空間、現実……そんな力を持っておきながら、到達したのがこの程度の規模? 本気で言ってるの? 私、力の序列はわかるよ。せいぜい多元宇宙級+だよ。気前よく見積もっても複合多元宇宙級くらい。真剣に——それが精一杯なら、お前が思ってるほど強くないよ」


 空気が一瞬、死んだように静まった。


 次の瞬間、ヴィクターの全身から純粋な殺意と怒りが爆発した。


 黒と真紅のオーラが、次元全体を揺るがすほどの勢いで噴き出す。浮遊する瓦礫の島々が外側へ押しやられ、頭上の砕けた空がさらに亀裂を広げた。衝撃波が繋がるすべての領域を転がり、遠い世界にまでその震えが届いたはずだ。


「てめェェェェェェ!!」


 彼が頭を大きく後ろに反らし、純粋な憎悪と傷ついた自尊心に満ちた絶叫を上げた。


 私は構えを低くし、スターダスト・レインボーが多彩な光を放つ中、ソフィアの気配が私の隣にしっかりと定着するのを感じた。


 心臓が高鳴っている。


 体はまだ痛い。


 でも、私は笑っていた。


 これだ。


 これが、今までの人生で最大の戦いだ。


 そして、私は準備ができていた。


 次元そのものが悲鳴を上げていた。


 リリス・ノクターンは、砕けた石の浮島の上に立っていた。スターダスト・レインボーが、存在するすべての色と、存在しないいくつかの色で輝いている。向かいには、エターナル・ヴィクターの巨大な悪魔と竜の融合した姿が、周囲の空気を粘性のある黒赤い霞に変えるほどの密度のオーラを放っていた。空の亀裂は広がり続け、この戦いの圧力を感じ始めている他の世界や時間軸の、短く恐ろしい光景を覗かせている。


 ソフィアの声が、リリスの精神に穏やかで正確に響いた。


『主、彼の現在の出力は怒りトリガー以降およそ340%上昇しています。少なくとも七つの接続次元からエネルギーを積極的に引き出しています。即座に高機動接近を推奨。彼の力に正面から対抗してはいけません』


「わかった」リリスは呟いた。


 彼女の姿が消えた。


 スターダスト・レインボーがプリズムの光の軌跡を残しながら、通常の空間を無視した一歩で距離を詰める。最初の斬撃は下から、ヴィクターの翼の付け根を断ち切る狙いだった。


 エターナル・ヴィクターは、印象すら受けなかった。


 彼はエバーラスター・ブラッドキラーを、何気ない裏拳のように振った。


 衝撃がリリスを流星のように吹き飛ばす。彼女は三つの浮島を突き破り、空中で体をひねってより大きな瓦礫の塊に着地し、ブーツで砕けた石を滑らせた。口の端から血が伝う。


『警告:直接衝突により左腕に18%の構造損傷。究極再生と無敵硬化で補強します』


「ありがとう」リリスは血を吐き捨て、再び突進した。


 その後に続いたのは、決闘ではなかった。


 戦いの形をした、一方的な暴行だった。


 リリスが隙を見つけても、ヴィクターは圧倒的な力でそれを塞いだ。彼女が【次元支配】で背後に回り込もうとしても、彼は因果の支配で経路を予測し、先制の斬撃で迎えた。距離を取ろうとすれば、空間を折り畳んで目の前に現れる。全力の【虹天】の突きを放っても、彼は竜の鱗と神の血と奪った運命で構築した多重障壁で受け止め、反撃の斬撃で彼女をほぼ両断しかけた。


『主、左!』


 リリスは身をよじったが、爪が脇腹を掠め、血飛沫が空中に散る。彼女はよろめいた。


『再生を開始。しかし、残留する竜の侵食が完全な治癒を阻害しています。即座の浄化支援を推奨します』


 傷が悪化する前に、純粋な聖なる光の金色の槍が横から飛び込み、ヴィクターに身を引かせた。セラフィエルが六枚の輝く翼をフレアのように広げて二人の間に着地し、厳しい表情を浮かべた。


「一人で戦わせないわよ!」彼女は宣言した。


 リリスが息を切らしながらGrinむ。「遅かったじゃない」


 セラフィエルは時間を無駄にしなかった。【ゴスペル・ドメイン】を展開し、二人を治癒と浄化の領域で包む。リリスの脇腹の侵食が、聖なる光の下で焼かれて消えていく。


 ヴィクターの目が細められた。


「天使か。鬱陶しい」


 彼は片手を上げ、拳を握った。


 セラフィエルのゴスペル・ドメインが、ガラスのように砕け散った。純粋な因果の重力のような力が彼女を地面に叩きつけ、浮島にクレーターを穿つ。彼女は血を吐き、翼が明滅した。


『解析:彼は、この空間で神性が存在することを許す局所ルールを書き換えることで、領域を強制終了させました。極めて高位の因果操作です』


「気づいてるよ!」リリスは叫び、すでにセラフィエルを庇うために動いていた。


 彼女は届かなかった。


 凝縮された運命の黒い槍が虚空を貫き、リリスの心臓を射抜こうとしたその瞬間、巨大な魔の拳が最後の刹那でそれを叩き落とした。


 ヴァラクが地面を揺るがす衝撃とともに着地した。完全な至高の悪魔の姿を解放し、角を燃やし、黒い炎を体に纏っている。


「お前ら、手を借りたそうな顔してるな」彼は唸った。「特に貴様だ、小僧」


 グレンダが銀の光とともに少し遅れて現れ、すでに杖を掲げていた。魂のエネルギーが生きた嵐のように彼女の周囲を渦巻く。


「エレンディールが外側の次元結界を補強しているわ」彼女は素早く言った。「この戦いがこれ以上広がれば、隣り合う領域全体が崩壊し始める。ここで終わらせる」


 エレンディール自身が最後に到着し、重力のルーンを濃密に輝かせた杖とともに浮かび降りた。開いた片眼は冷たく、集中していた。


「五対一か」古代のハイエルフは静かに言った。「それでも……分は悪いわ」


 エターナル・ヴィクターは五人を見渡し、砕かれた次元を転がる笑い声を上げた。


「五人? 可愛い。さあ来い。全員でかかってこい。それでも足りない」


 真の五対一が始まった。


 それは虐殺だった。


 ヴィクターは最初の交換から支配していた。


 ヴァラクの全力の【魔の大災厄】は、ヴィクターが「点火されたことはない」と宣言するだけの手の一振りで、空中で消去された。グレンダの最も強力な魂縛りの術は、彼が局所空間の「束縛」という概念を書き換えた瞬間に解かれた。エレンディールの重力特異点は反転され、一行に跳ね返された。セラフィエルの最強の浄化光線は純粋な破壊エネルギーに変えられ、方向を変えられた。


 そしてリリスは……。


 リリスは最初の三分で、四度死にかけた。


 一度目、ヴィクターが背後の空間を折り畳み、エバーラスター・ブラッドキラーを彼女の背中に突き立てた。ソフィアが瞬間的に【完全二重体】を発動し、致命傷を受け止める分身を創り出したことで、辛うじて免れた。


『分身を犠牲にしました。本体を左へ40メートル移動。主、彼の因果予測に対する反応速度がまだ0.3秒遅いです』


 二度目、運命を断ち切る刃の嵐が空を埋めた。リリスが細切れにされるところを、グレンダが身を挺して前に出て、急造の【魂の要塞】で嵐の大部分を受け止めた。


 三度目、ヴィクターが突進するリリスの顔を掴み、頭蓋を砕きながら竜の侵食を直接精神に流し込んだ。ヴァラクが山を割るほどの力で横から叩き込み、彼に解放を強いた。リリスは地面に激突し、視界が揺れ、鼻血と耳血が流れ落ちた。


『精神経路に重大損傷。緊急の魂のオペラ安定化を開始します。持ちこたえて、主』


 四度目が、最悪だった。


 ヴィクターが遊びをやめた。


 彼はエバーラスター・ブラッドキラーを高く掲げ、次元全体を沈黙させる技を発動した。


【究極技 すべての道は死に通ず】


 リリスが次の三秒を生き残るすべての可能な未来が、断ち切られた。刃は、彼女が死ぬ唯一残された時間軸に沿って下ろされる。


 リリスは避けられなかった。

 防げなかった。

 動くことすらできなかった。


 必殺の一撃は絶対だった。


 最後の瞬間、エレンディール、ヴァラク、グレンダ、セラフィエルが同時に攻撃の軌道に身を投げ出した。四つの異なる絶対防御が、一拍にも満たない時間だけ重なり合う。


 結合した障壁は、正確に0.08秒耐えた。


 それで十分だった。


 リリスは弾き飛ばされ、血を吐きながら、全身が抗議の悲鳴を上げた。彼女を救った四人はそれぞれ異なる方向へ飛ばされ、全員が重傷を負っていた。


 ヴィクターは荒廃の中心に立ち、ほとんど傷一つなく、微笑んだ。


「わかるか?」彼はほとんど優しく言った。「五人揃っても、嵐を止めようとする虫けらに過ぎない。私は空間を支配する。時間を支配する。因果と運命を支配する。お前たちの動きはすべて、すでに見えている。お前たちの計画はすべて、すでに否定されている。これが、生まれたばかりの大吸血鬼と、神々を超えた存在の差だ」


 リリスは片膝をつき、スターダスト・レインボーを支えにして体を起こした。顎から血が絶え間なく砕けた石に滴る。


 ソフィアの声が、緊迫を帯びていた。


『主、この条件で戦いを続けた場合の生存確率は11.4%で、さらに低下中です。この砕けた空間内での彼の因果支配はほぼ絶対です。新しいアプローチが必要です。計算中……』


 リリスは手の甲で口元の血を拭い、弱々しく笑った。


「へっ……こんな時でも、そういう話し方するんだな」


 彼女はエターナル・ヴィクターのそびえ立つ姿を見上げ、傷だらけで血を流す五人を見、一秒ごとにさらに亀裂を広げていく次元を見た。


「高リスク」などという言葉では、到底足りない。


 ここで負ければ、自分たちの命だけではない。数百万の魂、ミラの残された本質、そして複数の領域の安定までが、後に続くだろう。


 リリスはスターダスト・レインボーを強く握りしめた。


 ソフィアは恐ろしい速度で解析を続け、絶え間ない更新と警告、微調整を彼女に送り込んでくる。リリスが死にかけそうになるたび、友の誰かが隙間に身を投じる。友が倒れそうになるたび、リリスは壊れた体を無理やり動かして庇う。


 五対一。


 それでもエターナル・ヴィクターは、完全に戦いを支配していた。


 この戦いの真の絶望は、まだ始まったばかりだった。


 次元そのものが悲鳴を上げる中で、私は決めた。


 もし彼の言う通りだとしたら……。


 すべての次元、すべての領域、存在するすべてが彼の遊び場で、私がただの玩具だとしたら……。


 それなら、私はただ超えればいい。


 生を超えて。

 死を超えて。

 時間を超えて。

 空間を超えて。

 現実を超えて。


 **このくそったれの多元宇宙を、超えろ。**


 私はスターダスト・レインボーを、足元の砕けた地面に叩きつけた。多彩な刃が、柔らかい土であるかのように浮石に深く沈む。呼吸は荒く、先ほど負った傷から血がまだ脇腹を伝っていた。全身が、意地とソフィアの絶え間ない支えだけで繋がっているような感覚だった。


 構わない。


 私は目を閉じた。


「最大出力……【実在の神ブラフマン】」と囁く。「私は、この世界を超える」


 ソフィアの声が、今まで聞いたどの時よりも鋭く、緊急に精神に響いた。


『主! 警告です! そのレベルで【実在の神ブラフマン】を使用すれば、完全な真祖としての現在の存在すら超えます! 過程が失敗すれば、あなたの存在すべて——魂も、概念も、残留する痕跡すら——あらゆる時間軸から完全に消去されます! 再生するべき何も残りません!』


 私は目を開け、エターナル・ヴィクターのそびえ立つ姿を真正面から見据えた。


「構わない」声に出して言った。「あの化け物を倒す唯一の方法なら……この宇宙を彼に殺させるくらいなら、新しい宇宙を創った方がマシだ」


 ヴィクターの燃える瞳が細められた。何かが変わり始めているのを、彼も感じ取ったのだ。


 私は彼を見て、口の中の血をものともせず、はっきりと告げた。


「お前は強いよ、ヴィクター。今まで戦った誰よりも強い。でも、これで終わりにする」


 スターダスト・レインボーの柄を両手で握り、詠唱を始めた。


「すべての生、すべての死よ……我が生に信仰を貸せ。この開かれた魂に、すべての血を分かち与えよ」


 言葉が唇を離れた瞬間、世界が応えた。


 足元の砕けた床が輝き始める。砕けた空も同じ光で灯った。浮遊する瓦礫の島々、遠方の山々、他の次元へと続く亀裂すら——存在のあらゆる断片が、呼びかけに応えるように輝き出した。


 ヴィクターの表情が、ようやく傲慢から真の警戒へと変わった。


「何をしている!?」


 彼がエバーラスター・ブラッドキラーを高く掲げ、詠唱が終わる前に私を斬り捨てようと突進してくる。


 届かなかった。


 三つの人影が、異なる角度から彼に叩き込まれた——リラ、ニクス、セラ。ヴァラクの配下たちだ。すでに重傷を負っていたが、残されたすべてを投げ打って、わずか数秒でも彼を押し止めた。


「ご主人様!!」一人が叫ぶ。「時間を稼いで!」


 ヴィクターが咆哮し、虫けらのように彼らを払い飛ばしたが、その数秒で十分だった。


 私は声を上げながら、詠唱を続けた。


「女神の怒りが我が敵を打ち据えんことを……そしてこの器が、存在そのものの本質とその根源を超えんことを!」


 周囲の光が、目を焼くほどに強まった。


「超えろ!!!」


「ブラフマン!!!」


 純粋で絶対的な力の柱が、私の体から噴き上がった。


 それは空で止まらなかった。


 行く手にあるあらゆる次元の障壁を引き裂き、隣り合う領域を通過し、空間を超え、時間を超え、次元性そのものを超えた。これまで構築されてきたあらゆる世界、あらゆる現実、あらゆる階層、存在を定義しようとしたあらゆる意志を、超えていき続けた。


 超えるべきものが何もなくなった地点まで、それは進み続けた。


 そして、すべてが白くなった。


 ---


 再び目を開けた時、そこには虚無だけがあった。


 果てしなく、静寂な、純粋な無の虚空。光もない。闇もない。上下もない。距離や時間の概念もない。ただ……不在。


 私はそこに浮いていた。スターダスト・レインボーを握ったまま、体はどうにか無事だった。


「……ここは、どこ?」


 穏やかで、どこか楽しげな声が、無のどこかから返ってきた。


「無の虚空だよ。すべてが始まる前と、すべてが終わった後に存在する場所さ」


 私は振り返った。


 少し離れたところに——少なくとも虚空が「少し離れている」と判断した位置に——男が立っていた。長い白髪、ありとあらゆる存在の姿を見てきたような、疲れていながらも優しい顔立ち、妙に力の抜けた姿勢。地味で快適そうな服を着ていて、どう見ても「すごいところを見せよう」とすでに諦めた男のような気配をまとっていた。


 私は彼を見つめた。


「……えっと。あなたは、誰?」


 彼は微笑んだ。温かく、ほとんど祖父のような表情だった。


「まあ、いろんな呼ばれ方をするよ。神。全能者。創造主。作者。アルファにしてオメガ。ヤハウェ。でも、君はただゲルヴァースって呼べばいい」


 瞬きをする。


「ゲルヴァース? 待って……あなたは神とか、そういうの?」


 彼はchuckleして、後頭部を掻いた。


「いやあ。君が思ってるような『神』かと言われると、ちょっと違うかな。この場所は俺が創ったよ。すべてを創った。その後にすべてを創った神々も、階層とかの仕組みも……俺の娘が後に下位構造を作る神々を産んだのも、俺が創ったんだ。君たちの力の序列で言えば、無限を超えてBoundlessってやつだな。でも、そんなのひけらかすのも、しばらくすると恥ずかしくなってくるんだよ」


 私はただ彼を見つめた。


 輝く全能の、すべてを知る、威圧的な宇宙的存在を想像していた。


 代わりに現れたのは、ハワイシャツを着て家族の集まりに現れ、何も真剣に取ろうとしない、気のいい叔父さんみたいな、まったりした老人だった。


「……私の人生、なんなのよ」と呟く。


 ゲルヴァースの微笑みが、少し広がった。


「多元宇宙の先へようこそ、リリス・ノクターン。君の層からここまで来た者は、ほとんどいない。で……君は、それで何をするつもりだい?」


 虚空が、私の答えを待っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ