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第19章:暗殺未遂

 夜のヴァロリアは、息を呑むほど美しかった。


 私は銀騎士団東塔の私用客室にある高いアーチ窓の傍らに立ち、片手を冷たいガラスに軽く置いていた。眼下に広がる王都は、まるで星の海のようだった。無数の魔力灯が暖かな金色と柔らかな青色に輝き、大理石の通りや浮遊橋を幻想的な光で染め上げている。貴族街からは遠い音楽が漂ってきた——深夜の宴会で奏でられる弦楽四重奏。さらに東の方では、ノクターン・エンクラーベが深紅の灯りをちらつかせ、私の血を静かに呼び覚ますようだった。


 美しい。そして、どこか平和でさえある。


 こんな世界で、かつて巨豚一匹にすら怯え、弱々しい白髪ロリ吸血鬼として目覚めた自分が信じられなかった。


 ふっと、唇から豊かで優雅な笑みが零れた。上位吸血鬼としての重みを持った、自然な笑い声だった。


「自分の髪に足を引っかけて転ぶのもやっとだった弱い少女から……ここまで来たか」


 私はガラスに映る自分の姿を眺めながら呟いた。長身で優雅な体躯、腰まで届く雪のような白髪、古代の力を宿して淡く輝く深紅の瞳。鎖骨のあたりで銀の三日月ペンダントが温かく脈打っている。


「もう十分に年を重ね、強くなった。この世界で生き延びられるだけの力を手に入れた」


 しかし、強さとは相対的なものだ。


 永遠主権賢者が完全に覚醒し、吸血鬼種族の頂点に立った今でも、私は無敵ではない。火山の山奥で眠る古龍、遠き魔界で策を巡らす魔王、たった一言で都市を消し去る大聖者——まだまだこの世界には恐るべき存在が潜んでいる。


 進化を遂げた直後の私の計画はシンプルだった。

 静かに生き延び、密かに力を蓄え、どこか安全な場所で穏やかな生活を送る。必要に応じて狩りをし、本を読み、人間のおいしい料理を味わい、余計なトラブルは避ける。


 平和な第二の人生。


 その考えに、私は小さく微笑んだ。


「その計画は、まだ実現可能かもしれない……世界が許してくれれば、の話だけど」


 開いた窓から夜風が吹き込み、下の庭園で咲く夜咲きジャスミンの甘い香りを運んできた。


 その瞬間——


 本能が警告を発した。


 **何か**が闇の中から飛来した。三本の黒刃投げナイフ。音もなく飛ぶ魔法と致死性の毒が付与されている。


 考えるより先に体が動いた。


 二本の指で一本目を空中で捉え、ぴたりと止める。続けて二本目、三本目も玩具のように指の間に挟んだ。


 ドンッ!


 三本のナイフが一斉に爆発し、暗黒魔力と腐食性の毒が吹き荒れた。


 普通の人間なら血の霧と化す爆発だった。


 しかし私は無傷のままそこに立っていた。長い白髪が衝撃波でわずかに揺れただけ。主権竜の鎧が毒を無効化し、戦闘ドレスにすら皺一つついていない。


 三百メートル先の屋根の上にいた暗殺者が、信じられないという顔で凍りついた。黒い革鎧に半面マスク、細身の女だ。手に持ったクロスボウが震えている。マスクの奥で目が大きく見開かれた——標的が無傷であることに気づいた瞬間だった。


「ふうん」

 私は静かに、しかし容易くその距離を越えて声を届かせた。威厳とわずかな愉悦を帯びた声で。


「そんなもので私を止められると、本気で思っていたの?」


 私は窓から一歩外へ踏み出し、虚空に立った。背中から巨大な深紅と黒の蝙蝠の翼が広がり、優雅に浮かび上がる。月光が白髪を幻想的に照らし、私は夜の王者のように暗殺者の頭上に浮かんだ。


 暗殺者の瞳に、純粋な恐怖が宿った。


 彼女は屋根に煙玉を叩きつけ、濃い黒煙を発生させた。ブーツの音が屋根から屋根へと素早く跳ね、訓練された逃走ルートを取る。


 私は優雅にため息をついた。


「逃げても無駄よ」


 指先から『支配の糸』が夜闇に溶け込むように放たれた。煙の中を蛇のように這い、空中で彼女の四肢に絡みつく。糸は瞬時に締まり、腕も脚も胴体も動けなくした。彼女は斜めの屋根に激しく叩きつけられ、身動き一つ取れなくなった。


 私はゆっくり降下し、翼を畳んで彼女の前に軽やかに着地した。深紅の瞳が闇の中で柔らかく輝く。


 暗殺者は激しく暴れたが、暴れるほどに『支配の糸』は締まるだけだった。マスクがずれ、二十代前半の鋭い顔立ちと短い黒髪、はっきりとした hazel の瞳が露わになった。そこには反抗と恐怖が混じっていた。


 私は気軽に彼女の周りを歩き、ヒールの音を響かせながら『夜の嘆き』の柄に手を置いた。長い白髪が生き物のように背後で揺れる。


「さて」

 上位吸血鬼特有の威厳と命令を帯びた、滑らかな声で言った。


「あなたが誰で、なぜこの数日私を監視していたのか。今夜なぜ私を殺めようとしたのか。そして最も重要な……誰に雇われたのか。素直に答えなさい。情報次第では命を助けてあげてもいいわ」


 暗殺者は荒い息を吐きながら睨み上げ、額に汗を浮かべていたが、歯を食いしばったままだった。


「……本当に化け物ね。あんたみたいな上位吸血鬼が街を我が物顔で歩いているなんて。噂以上だわ」


 私はわずかに首を傾げ、小さく微笑んだ。


「お世辞は無駄よ。話しなさい」


 彼女は苦々しく笑い、糸に抗いながら言った。


「私がそんなに馬鹿だと思う? 雇い主を裏切ったら、あんたなんかより酷い目に遭うわ。あんたに殺される方がまだマシよ」


 私は優雅にその場にしゃがみ込み、深紅の瞳を彼女の目に合わせた。『絶対生命支配』を微かに発動——命を吸うのではなく、圧倒的な力の差を肌で感じさせるだけだ。彼女の息が詰まった。


「同じことを繰り返す趣味はないの」

 私は静かに告げた。「一度だけ機会をあげる。誰が送り込んだの? 魔導塔? 嫉妬深い貴族家? 新しい主権者を恐れる地下の吸血鬼派閥? それともヴァロリアの外から?」


 暗殺者の目に葛藤が浮かんだ。訓練されたプロだったが、上位吸血鬼の前で生き物が感じる本能的な恐怖が、彼女の意志を蝕んでいた。


「……本当の雇い主の名前は知らない」

 彼女はようやく吐き出した。「『影のヴェールギルド』経由で連絡が来た。通常の三倍の報酬。命令はシンプル——三日間観察した後、国王との謁見前に排除しろ。あんたを王家と同盟させるのは危険すぎる、って。それだけよ。本当にそれだけ」


 私は彼女の顔を慎重に見つめた。永遠主権賢者がリアルタイムで魂の揺らぎを解析する。


『部分的に真実を述べています、主よ。影のヴェールギルドは実在します——首都の裏社会で活動する中堅暗殺組織です。しかし、真の依頼主の正体は隠しています。誓約魔法か報復の恐怖によるものでしょう』


 私はゆっくり立ち上がり、表情は冷静で冷たかった。


「部分的な真実では不十分ね。でも努力は認めてあげる」


 暗殺者の目が大きく見開かれた。私は手を上げ、『支配の糸』をさらに締めた。


「待っ——! 本当にこれ以上は知らないの! 声を変えるアーティファクトを使っていて——お願い——!」


 私は動きを止め、考えた。


 殺すのは簡単だ。一度の『魂喰い』で彼女は存在ごと消える。しかし今は情報の方が価値がある。平和な生活を送るためには、無闇に殺戮者になる必要もない。


「よろしい」

 私は最後に言った。「今夜は命を助けてあげる。ただし、あなたのギルドに伝言を届けて。『リリス・ノクターンには監視も狩りも気に入らない』と。もしまた誰かを送り込めば、私は直接本部に赴き、構成員全員を干からびた抜け殻に変えるわ。わかった?」


 暗殺者は必死に頷き、顔中汗だらけだった。


「わ、わかった……!」


 私は指を軽く弾いて糸を解いた。彼女は崩れ落ち、喘ぎながら後ずさった。


 逃げようとする直前、私は最後の警告を加えた。


「大事な部分で嘘をついていたら……どこに隠れても見つけ出すわ」


 彼女は影のように夜の闇へ溶け込み、屋根を必死に跳び越えて消えていった。


 私は屋根の上に一人、しばらく立ち尽くし、美しくも欺瞞に満ちた街を見下ろした。


「平和な生活、ね……」

 私は自嘲気味に微笑みながら呟いた。「どうやら世界は私に別の計画を用意しているみたい」


 永遠の賢者が月の光の下で銀髪を輝かせ、私の傍らに現れた。


『主よ、これは最初の試みに過ぎません。これからも来るでしょう。派閥たちはあなたを試しています』


 私は頷き、翼を畳んで優雅に窓へと降り立った。


「試すなら試せばいい。私は弱いロリの頃に生き延びた。上位吸血鬼として、なおさら繁栄して見せるわ」


 部屋に戻ると、夜風が街の笑い声、音楽、そして隠された陰謀の気配を運んできた。


 平和な第二の人生は、もう少し待たなければならないようだ。


 でも、それでいい。


 私は時間を持っている。


 力も持っている。


 そして今……リリス・ノクターンとは何者なのか、思い知らされるべき人々のリストが、着実に増えつつあった。



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