理性
「えっ……?」
まどかはこちらを向かない。
抱き締める腕が時折り動いて、僕の心まで鷲掴みにしていく。
「ま、まどか……」
僕の我慢は、限界を超えたかもしれない。
あまり自由のきかない右腕を震わせ、まどかの背中に手を掛ける。
「うあぁっ!?」
「へ?」
手の平が背中に触れた瞬間、急にまどかが後ろへ飛び跳ねた。
「ダメ!ダメダメ!ダメだよ!!」
身体を上げると、まどかは自身の胸を両手で抑えるようにして、瞳を潤わせながら女の子座りで戸惑っていた。
「ハー、ハー……」
「ご、ごめん!変なことするつもりじゃなくて……」
両手を必死に振って誤魔化してるけど、実際のところ危なかったです。はい。
相変わらず目を逸らしながら、顔を真っ赤にしてまどかが言う。
「……が、学校、いく?」
声、若干高いな。
「そ、そうだね。準備する……よね?」
「も、もう、できてるから、平気……」
「そっか……。じゃ、じゃあ、行こっか……」
「はい……」
僕は立ち上がって乱れた制服を軽く整え、傘を持って先に玄関の外へ出た。
身体が震えているのは、先程の余韻が残っているせいで間違いない。
宣言通りすぐにまどかが出てきて、玄関の鍵を掛けた。
そしてそのまま、僕達は傘を差しながら無言で学校へ向かった。
まどかは、僕の斜め後ろを歩き続けている。
頭の中で、先ほどの出来事がループされる。
身体に感じたまどかの温もり、感触、匂い……。
あぁ、頭がおかしくなりそうだ。
必死に理性を抑えないと、まどかに抱き付いてしまいそうな衝動に駆られる。
雨が降っていて本当に良かった。今なら傘を持っているし濡れてぐちゃぐちゃになるし、襲うようなことは一切出来ない。
結局、何も話さぬまま教室へ辿り着いた。
自身の席に座ると、自然と放心状態に陥った。
あれは、夢だったのだろうか。
今までに感じた事のない、あの高揚。
もし今日が休日だったら、あのまま僕達は……。
「……場氏!狩場氏!大丈夫か!?」
「あっ、加藤氏。それにみんな……」
気が付くと、僕の席を囲うようにして親衛隊のみんなが僕を見ていた。
「宇月氏の様子がおかしいのだ」
「教室に来てからずっと無言なのだ」
田中氏と渡辺氏が心配そうな顔をして言う。そりゃそうだよね。
「……久々に会ったから、今朝まどかの家に迎えに行ったの。それだけだよ」
詳細なんて言える訳がない。
「では、宇月氏とこれまで通り仲良くするのですな!?」
加藤氏が嬉しそうに言う。
「うん。仲良くしながら、ことにゃんも守る。
だけど、まどかの事を好きになりすぎちゃったから、集中できるかどうか……」
自分で言って恥ずかしい。こんな相談ができるのは親衛隊のみんなくらいだ。
「狩場氏、青春ですぞ!」
「え?」
どうした加藤氏。目がキラキラしてる。
「狩場氏はいま、青春を満喫しておられるのだ!」
「ことにゃん様なら我々に任せろ!」
「狩場氏は気にせず、宇月氏と仲良くなれば良い!」
「でも、ことにゃんを守る僕の姿が好きだ、っていうまどかの気持ちが……」
「安心しろ。本心は普通に付き合いたいという気持ちの方が強いはずだ」
「西園寺が宇月氏をそそのかしただけなのだ」
「付き合ってもないのに浮気なんて変な話なのだ」
「そうだけど……」
別にウジウジしたい訳じゃなく、本当に迷っているのだ。
『自分の気持ちに素直になれ』とはよく言うが、ことにゃんとまどかの重要性の比率が一緒なのである。
素直になったら、それこそダブルで浮気するようなものだ。
「とにかく。今は宇月氏の様子を見るとして、午前休憩の時にでも改めて話をすると良い」
「宇月氏はずっと狩場氏を気にしていたからな」
「いつもどこか寂しそうな表情をしていて、我々も辛かったのだ」
「……うん、わかった。ありがとう、みんな」
それからチャイムが鳴り、僕はいつも通り授業を受けた。が、あんな事があった手前、いつも通りの気分とはいかない。
頭の中がまどか一色で、授業なんて集中できない。
いつも抱き締められていたはずなのに、あの時だけは何かが違った。
抱き締められた、その先。
それを妄想するなというのは、ある種の拷問に近いと思う。
授業中、無意識にまどかの方を横目でチラ見する。
何度も何度も、右後方を確認してしまう。
その度にことにゃんが視界に入って、うつつを抜かす罪悪感に苛まれる。
僕は、なんて気持ち悪い人間なんだろう。
生まれて初めて、自分が嫌いになりそうだ。
ようやく午前休憩になり、まどかの席へ直行した。
机に両腕を乗せ、まどかの視線に合わせるようにしゃがむ。
だけど、まどかは俯いたまま、こちらを見ようとはしない。
「……ねぇ。色々と話したい事があるんだけど、ダメ?」
「……」
まどかは口を開かない。代わりに自身の制服を抱き締めるように掴み、机へ突っ伏した。
「……痛い」
絞り出すような声で、まどかが呟く。
「心臓、痛い……」
「だ、大丈夫?」
「ダメ、かも……」
本当に苦しそうだ。ヤバイのか、これ。
「保健室、行く?」
「うん。お願い……連れてって……」
まどかがゆっくり立ち上がる。
少し迷ったが、僕はまどかを支えるように身体に触れた。
一瞬ビクッとなったが、本当に苦しいらしく拒否はしない。そのまま、まどかを連れて保健室へと向かった。
「少し休んだ方がいいねぇ。ベッド空いてるから寝てな?」
保健室へ到着すると、光盛先生はすぐにまどかに薬を飲ませ、そのままベットへ寝かせた。熱は無いらしい。
まどかは仰向けの態勢でチラリと僕を見ると、自身の顔を隠すように布団を被せた。
「大丈夫?」
「……うん」
「授業始まっちゃうから、もう行くね?
先生には休んでるって伝えとくから。お昼になったら、また来るよ」
立ち上がろうとして、布団の中から腕が伸びて僕の手を掴んだ。
「……もうちょっとだけ」
「……はぁ……」
しょうがないなぁ。
まぁ、ちょっとぐらいサボっても、別にいっか。




