土下座
──。
──雨の音で目が覚めた。僕にとっては久々の雨。早朝というには早すぎる時間だ。
部屋の明かりをパチリとつける。机に向かい、黒い日記をパラパラとめくる。
長々と書かれた文字に目を遣り、ゆっくりと記憶を辿っていった──。
初日。つまり火曜日。僕は目を覚まして、ベッドから転げ落ちそうになりながら机に向かった。
イスに座らずに上半身だけを机の上に乗せ、バラバラと乱暴に日記をめくる。
僕からのメッセージを読んだ無意識の僕は息を荒げ、先程までの焦りとは全く違う感情が頂点まで達していた。
立ち上がり、近くにあった太い黒マジックペンを手に取る。
僕の書いたメッセージの上から縦書きで一言、力いっぱい『バカ』と書いた。
自分でもビックリするほど怒っている。
机に両手をつき、怒りながら泣いている。
右手に持つマジックを強く握りしめ、怒りに任せて折ろうとしている。もちろん折れるはずがなく、握りすぎて手が痙攣していた。
自分が好きな人を泣かせたことが、許せない。
幸せを拒む自分に、腹が立つ。
自分勝手で我儘な考えをしている自分が、恥ずかしい。
頭を自分で殴りながら、口に出して何度も言う。
違うだろ。そうじゃないだろ。何言ってんだ。バカやろう。死ね。クソが。地獄に堕ちろ。
こんなに感情を露わにするなんて、自分でも信じられない。
基本的に僕は溜め込む人間だ。嫌な事があっても『しょうがない』とか『僕のせいだ』なんて考えて、その出来事を忘れようとする癖がある。
こんな風に怒りを放出するなんて有り得ない。それだけ僕は、自分に失望していたのだ。
そこから、信じられない行動をする。
すぐに制服へと着替えてカバンを手に取り、そのまま勢いよく家を飛び出したのだ。
まさに全力疾走。信号を無視して道路をガンガン渡って進んでいく。
高校の横を駆け抜けていき、駅の線路まで辿り着く。そこでようやく右へ曲がり、3階建の白いアパートへ到着した。
『アーバンハイツ 302号室』
ここが、まどかの住む家だ。
両手で汗を拭ってズボンで手を拭く。ハンカチくらい持っていけよ、と思うがそんな心の余裕なんてない。
息が落ち着かないうちに、無意識の僕がインターホンを押した。しかし、出てくる気配はない。
僕は、大声で叫んだ。
「まどかさんっ!僕だよっ!!」
朝からうるさっ。てかカッコわるっ。ノリが昭和じゃん台無しすぎる。僕らしくていいんだろうけど。
それを受けて数秒後、玄関がキイッと音を立ててゆっくりと開いた。
「狩場……くん……?」
まどかが、顔を半分だけ出して僕を見つめる。
「ハァ……ハァ……ま、まどかさん……」
まだ息が落ち着かない。汗を拭いたはずなのに、毛穴という毛穴から汗が吹き出してくる。
「ちょっと……中に入れてくれない……?」
は?
「え……いいけど……えっ……?」
いやいや困惑してんじゃん!入れないで追い返していいよ……。
「昨日は……僕がゴメン……とりあえず、中に……」
「あ、はい……どうぞ……」
相変わらず超失礼。なにこの空気。
玄関で靴を脱ぎ、そのまま上がり込んで6畳のフローリングの部屋へ行き、あぐらをかいて座る。
まどかは黄色のフェイスタオルと水を持ってきて、無意識の僕の横へと座った。
「とりあえず、これで顔拭いて?
ペットボトルのお水だけど、よかったらこれも」
「ありがとう……助かる……」
わしゃわしゃと顔を拭き、貰ったペットボトルのフタを開けて一気に飲んだ。
ベコベコと潰しながらあっという間に飲み干し、目を瞑りながら下を向いて息を整えることに神経を注ぐ。
「今日は違う狩場くん……だよね?」
まどかが僕の背中をさすりながら言う。ほんと優しいなぁ、まどかは。
「うん……あっ、そうだ!」
思い直したように、正座でまどかへ向き合う。
「へ!?ど、どしたのいきなり!?」
困惑するまどかを前に、僕はそのまま思いっきり頭を床に叩きつけた。
「本当に申し訳ございませんでした!!僕は最低なクソ野郎です!!
あっちの僕の代わりに、心からお詫び申し上げます!!」
「え!?え……っと……」
僕は顔を上げ、額を赤くしながら言葉を続けた。
「手首の傷を増やしてしまったでしょう!?
僕がまどかさんを切ったのも同然です!!
ならばいっそ、僕もここで手首を切らせて頂きます!!
カッターを、僕に下さい!!」
再び、頭を下げる。
「あー……。と、とりあえず、顔上げていいよ?」
「上げられません!!」
「じゃ、じゃあー……。そのまま、聞いてもらおうかな」
まどかは言葉を選ぶようにして、僕へ語り始めた。
「まず、私にとっての自傷行為は、生きている証を確認する行為……みたいな感じです。
だから、本当に死にたくて切ってる訳じゃないし、止めろって言われると、余計みじめになるだけなの。
つまり、その……。あんまり言いたくないけど、気軽に手首切るとか、言わない方が良いと思うよ?」
若干怒ってないか。思い出したくないなぁ、この先。
「むむむ、無知で、すみません!でで、でも、手首、切るの、やや、やめ」
「それ以上言ったら、怒るよ?」
「は、はひぃ!何も言いましぇん!」
やめてホントにそれ以上喋らないで。
「全く……落ち込んでた私がバカみたいじゃんか……」
ふてくされる声だけが聞こえる。
恐怖にも似た震えが止まらず、土下座の態勢で、カタカタと床を細かく叩くような音を鳴らし続けていた。
「……昨日の狩場くん、やっぱり怒ってたよね?」
「いえ……むしろ泣いてました……」
ようやく少し顔を上げ、無意識の僕が話す番になった。
「なんで逃げちゃったんだろう、って凄く後悔してました。
日記には『前の関係には戻れない』って書いてあって、その」
「えっ!?!?!?」
まどかが両手で口を抑える。
そのまま、目がプルプルと震え始める。
「やだ……やだよぉ……そんなの……やだぁ……」
そのまま、まどかは顔を塞いで泣き続けた。
無意識の僕は三度、無言で床に頭を擦り付けた。




