愛情
「桜小路先輩、ありがとうございます」
僕は座ったまま、しゅり先輩に頭を下げた。
「ん?礼を言われるような事は話していないぞ?」
そんな事を言われても、僕にはしゅり先輩に感謝を述べる義務がある。
不思議そうに首を傾げるしゅり先輩の目を、真っ直ぐ見つめた。
「僕がプレイしていたゲームの世界では、桜小路先輩とまどかが交わる事は、ほとんどありませんでした。
あるとしても、輝樹と桜小路先輩が話している姿を見たまどかが
『私より年上の女の子が好きなんですね』って嫉妬しちゃって、友好度が下がるイベントです。
基本的にミラプリって、メインキャラ同士はライバルみたいな関係なので……」
もっと言うと、表面上は友達でも裏ではギスギスしているような、そんな雰囲気。
メインキャラが本気で主人公にアタックするから、プレイ側も本物の恋愛と錯覚してしまう。
だからミラプリファンは恋愛に一途な人間が多いし、いわゆる『推し変』するファンは浮気者と同等に見られる。
「そんなギスギスした世界で、桜小路先輩は……まどかを、救ってくれたんです」
「まどか君を救った?私が?」
しゅり先輩は、ますます意味が分からないという表情を浮かべた。
「ご存知の通り、まどかは病んでいます。
ゲームの世界では、輝樹以外にまどかを愛してくれている人は誰もいません」
「なんだと……!?」
しゅり先輩の表情が一変する。眉間にシワを寄せた表情は、紛れもない怒りの感情だ。
「母親でさえ、まどかを救ってはくれない。
だけど先輩は、孤独の淵に呑み込まれようとしていた、まどかの手を引いた。
それが異性ではなく同性の手によって救われる事が、まどかにとってどれだけ嬉しいことなのか、僕には想像もできません」
だって、まどかは人を愛することが苦手だから。
愛された記憶を失っているから、愛することを忘れてしまっている。
だから、誰かに好かれる為の表現方法がわからない。
男女関係なく抱きつき回った結果、クラスの女子から『男に媚びるあざとい女子』という認識が定着してしまう。
そうやって友達はできず、クラスで孤立していくのだ。
「そして……」
僕は下を向いて小さく息を吐き、改めて真剣な眼差しでしゅり先輩を見つめた。
「まどかと同様に、先輩は僕を救ってくれました」
「ふむ……」
自らの感情の起伏に付いていけずに混乱しているのだろう。しゅり先輩は少し目を伏せて、無言になった。
その何とも言えない表情は、見ていて少し不安になる。それでも、僕は言葉を続ける。
「本来、僕はこの世界に居てはいけない存在です。
実際、居たところで何も変わらないし、むしろ問題を引っ掻き回すだけだと思っていました。
だけど、まどかは僕を通じて知り合った桜小路先輩と、親友になった。
これは僕の勝手な推測ですが、まどかにとっては初めての出来事だと思います」
「……」
「桜小路先輩のお陰で、僕はこの世界で生きていけるんです。
まどかだけじゃなく、僕まで救ってくれるなんて……。何とお礼を言ったらいいのか、わかりません」
しゅり先輩は目を伏せたまま、黙って聞いていた。
ふと顔を上げると、しゅり先輩の目はウサギのように真っ赤になっていた。
「……ずるいなぁ、君は」
「え?」
「ずるい。ずる過ぎるよ。
いきなり二人も人を救ったなんて言っちゃってさ。
素直に受け入れられると思うのかい?」
「いや、その、ごめんなさい……」
「違う違う、謝らなくていいよ」
しゅり先輩の頬を伝う涙が美しくて、不思議な事に僕は安心して見ていられた。
自らの人差し指で涙を拭い、笑顔で話を続ける。
「私はね、誰かのために役に立つような人間じゃない、って思っていたんだ。
確かに、母がいなくなった事には慣れた。
だけど、母が亡くなった原因が私にある事は、永遠に変わりないから」
「いや、それは違う……」
「ううん。私がいなければ母は死なずに済んだと、今でも思っている。
私がいる事で、誰かが不幸になる。少なくとも、心のどこかではそう思っていたよ。
そんな私が、誰かを救えるなんてね」
悲しみではなく、喜びの涙。
だけど、その理由はあまりにも哀しい。
「ありがとう、少年。いや……幸太郎くん」
「え……?」
「私を呼ぶ時はしゅり先輩でいい。まどか君に言われて慣れてしまったからね。
その、言っておくが……い、いきなりだと、少し恥ずかしいから、徐々に……な」
「わ、わかりました……しゅり先輩」
「っ……!う、うん。ありがと」
わかりやすく赤面する。自分から言ってきたのに。
「きょ、今日はもう、帰るよ。ま、また明日、がが、学校で、な」
「しゅり先輩、慣れたんじゃないんですか……?」
「う、うるさい!君が、男だから……もうっ!」
勢いよく立ち上がり、先輩は外へ出ていった。
「あ、ちょ、ちょっと!?」
僕はトレイを返却コーナーに急いで戻し、しゅり先輩の後を追うため喫茶店のドアを開けた。
すると、すぐ横にしゅり先輩がいて、喫茶店の壁にもたれかかっていた。
「……幸太郎くん?」
「は、はい!」
下の名前で呼ばれると僕も緊張する。なんだろう、前言撤回とか言い出すのかな。
「これから私を、あまり困らせないでくれよ?」
「え……?」
そう言うと、しゅり先輩はその場を後にした。
もしかして、怒ってた?
それとも、何か別の意味がある?
なんでいきなり、あんなこと言い出したの?
謎が謎を呼んで訳が分からなくなり、一旦考える事をやめた。
そして、言いたい事を全部言えたのに何故かスッキリしないまま、僕は帰路へと着いた。




