過去
「え!?ま、まどか!?」
思わず下の名前で呼んでしまった。
ちょっと待って。
何が起きてるんだ。
「……狩場くん?」
「は、はひっ!!」
まどかは抱きついたまま、離れない。
「私の過去、知ってるんだよね?」
「……え?」
「知っていたら、答えて下さい」
もちろん知っている。でも……。
「本当に、答えていいの?」
「……はい」
「……わかった」
抱き付かれていて思考がまとまらないが、なるべく落ち着いて話を始める。
「……宇月さんが産まれてすぐ」
「まどかでいいよ?」
「あ……」
なんで。
落ち着くにも、落ち着けないじゃないか。
「……まどかが、産まれてすぐ。
ご両親が、離婚して、シングルマザーの家庭で育った。
だから、いつも、まどかは愛情に飢えていて、誰かと一緒にいないと、不安になる」
「……うん」
「家に帰っても、独りぼっち。
お母さんは夜に働いて、朝帰ってくる。
だから、最近は、ほとんど顔を見ていない」
「……」
「帰ってくる事もあれば、連絡も無しに、帰ってこない事が、しょっちゅうあって、だから……寂しい夜は……手首を……」
ダメだ。キツすぎる。
本人を前にして、全てを言えるはずがない。
「……よかった」
僕の胸にうずくまったまま、まどかは小さく呟いた。
「やっぱり狩場くんは、嘘つきじゃなかった」
小さな呟きでもわかる、はっきりとした喜びの声。
「ほんとはね、ちょっと疑ってたんだ。
天音ちゃんの後を付けて、家まで付いていったんじゃないか、って。
そんなこと、狩場くんがするはずないのにね。
疑ってしまって、ごめんなさい」
少しだけ、抱きしめる力が強くなる。
弱い僕でも、簡単に受け止められる力。
だけど、まどかの境遇を考えると、簡単に受け止めていいのか不安になる。
「……ねぇ、お願いしてもいい?」
「……どうぞ」
胸の鼓動が早くなる。
こんな経験、産まれてきて初めてだ。
「この先、私のこと裏切らないって、約束してくれる……?」
抱きしめる力が、さらに強くなる。
「知ってると思うんだけど、私ね。
信じられる人が、誰もいないんだ。
私の秘密……はちょっと大袈裟かな?
全部知ってるの、この世界で、狩場くんだけだからさ。
狩場くんに裏切られたら、私……」
まどかの声が、震えている。
「本当に、独りぼっちになっちゃう……」
そのまま、まどかは顔を上げない。
こんな時、なんて言えばいいんだろう。
気の利いた言葉をかける事も、キザなセリフを言う事も出来ない。
無音の時間が、僕らを支配する。
ブレザーにかからない胸のワイシャツ部分が熱く濡れていて、
全身でまどかの温もりを感じているようだった。
短くも長い数十秒が経ち、まどかは僕の身体を離れて、両手を優しく握った。
「……重い女でごめん。迷惑だよね、気にしないで」
「いや、絶対にそんなこと……」
「私は先輩の味方だし、これからも天音ちゃんと付き合えるように応援するから。
だからせめて、先輩も私の味方でいて下さい」
「まどか……」
当たり前だよ。
その一言が、言えない。
裏切らない自信はあるけれど、裏切らない保証なんて無い。
まだ僕は、自分自身を信用できない。
まどかは涙を溜めたまま、ニッコリと微笑んだ。
「それじゃあ狩場先輩、また明日。
300ポイントは私が一番最初に取るからね!」
「あ、まどか……」
そのまま後ろを向いて、まどかは走った。
その姿を無意識に追いかけるが、校門を出た所で足が止まってしまった。
赤みがかった茶髪の髪がヒラヒラと舞って、夕焼けの色が漂う街の中へと消えていく。
風が木の葉を揺らし、嘲笑うかのようにカサカサと音を立てた。
「……また明日、学校で」
独り言になってしまった無意味な別れの挨拶は、風と共に空へと消えた。
何もできなかった。
あの場で唯一、僕を庇ってくれたのに。
まどかに対して、何の役にも立てなかった。
守るって、なんだろう。
愛するって、なんだろう。
経験も知識も無い僕には、何もわからない。
放心状態で家へと帰る。
肩がけのカバンがいつもより重く感じて、学校へ来た時よりも遅いんじゃないかと思うぐらいに足が前へと進まない。
歩道橋まで辿り着き、階段を登ろうとした時だった。
「おや、少年。この前より元気が無さそうだな」
不意に横から声がした。こんな喋り方をするのは……。
「目が真っ赤になっているではないか。
何かあったのなら、話くらいは聞いてやろう」
しゅり先輩。
このタイミングで声を掛けて頂き、本当にありがとうございます。




