第25話 帰り道には出会いがある
やっぱり見送りなんてしないヴァルトを残し、千歳はユージィンと彼の部屋を後にした。
いつも誰もいない廊下を歩き出してすぐに、いつもと違うことに気づいて思わず足を止めた。
「あ」
「おや?」
ひとがいた。髪も髭も真っ白で優しげな風貌のお爺さんだ。彼もこちらに気づいたようで目を丸くしている。
初めて見かけるひとだけど、ばっちり目が合ってしまっているので無視するわけにもいかないと千歳はぺこりと頭を下げておいた。
「こんばんは、お嬢さん」
会釈だけで終わると思っていた千歳に穏やかな声がかかる。再び歩き出そうと踏み出した足が半歩のところで止まった。
「こんばんは……えっと」
「ああ、儂のことは“お爺さん”とでも呼んでくれ。君はヴァルトのお友達かな?」
名乗ることなくかけられた問いに千歳は渋面を作る。ヴァルトと友達なんて常人には荷が重い。頼まれてもご免である。
「友達なんて恐れ多い。ちょっとした知り合いです」
さすがに誰とも知れない相手に本心を打ち明けるわけにはいかないし、どこでヴァルトに伝わるかわからない――隣にユージィンがいるので確実に伝わる――ものを口にするほど千歳は考えなしではなかった。それでも次に会ったときに“ちょっとした知り合い”に絡まれるのだろうと思うと今から憂鬱だ。
「はぁ、あの子はまったく……すまないねえ、ヴァルトが迷惑をかけているみたいで」
呼び捨てにしていることもそうだが、あのヴァルト相手に“あの子”とは。このお爺さんは何者なのだろうか。
(まさかヴァルトさんのお祖父さんとか……?)
使ったつもりのない能力によって考えはすぐに否定された。謎の老人の正体当ては不正解に終わったようだ。
まだ正解を見る気はないので意識して彼の正体については考えないようにしておく。千歳は演技派女優ではないので知ってしまっていると教えられたときにそれまで知らなかったという反応ができない。他の人なら何とかなってもヴァルト相手に隙を見せて隠し事まで攻め込まれたくはなかった。
黒の勝ちが決まった盤面が頭に浮かぶ。できる限り詰んでいる状態は作りたくない。なんとかなるだろうと能力を過信してやや楽観的に構えていた千歳にとって“ヴァルトに千歳への興味を失わせることはできない”という事実はかなり痛かった。
「お爺さんもヴァルトさんのお知り合いですか?」
無難に質問をしてみる。
ヴァルトを呼び捨てにしていることを考えると彼の親族でないにしろあまり気軽に声をかけていい相手に思えないけれど、見るからに話したそうにしているお年寄りを無視できるほど千歳は非情ではない。
「ああ。もう長い付き合いになる。ヴァルトは少し面倒な性格だろう?」
(少し?)
危うく声に出しかけたそれを寸前で呑み込んだ。さりとてお爺さんの言葉に頷くわけにもいかず曖昧に笑って誤魔化しておく。
「あの子は敵を作りやすい。良ければ友達になってやってくれ」
好々爺然とした彼からの言葉はまったくの善意のように思えてつい首肯してしまいそうになる。
「考えておきますね。敵にはなりませんから安心してください」
“おや”と片眉を上げるお爺さんは悪いひとではなさそうだが、まるっきり善人というわけでもなさそうだ。少なくとも千歳の味方じゃない。この神殿で絶対的な千歳の味方はソフィアとグラウクスのみ。お爺さんがどこの誰かは知らなくとも千歳はそれを知っている。
召喚された異世界人に話しかけてくるひとにはたいてい思惑があるものだ。
(そもそもヴァルトさんの知り合いって時点で信用が……)
結局はヴァルトの日頃の行いが悪いせい。お爺さんには申し訳ないが、古くからの知り合いならなんとかしてほしい。
「ユージィンさんが友達になってあげたらどうですか?」
「私はヴァルト様の従者ですから。ヘル……んんっ」
千歳の言葉に苦笑しながら答えたユージィンはその後、何か言いかけて咳払いをした。視線はお爺さんに向いている。名前でも呼びそうになったのだろうか。そのまま言ってくれて構わないのだけれど。千歳にも聞かなかったふりくらいはできるし、この場ではなくちゃんと後でしっかりオルドジフに確認する。
「このままでは彼女を――チトセさんを送るのが遅くなってしまいますので、今日のところはこれで失礼いたします」
「そうだな。ヴァルトを待たせるのはいいが、お嬢さんの帰りが遅くなるのは申し訳ない」
その言葉からお爺さんがヴァルトに会いに来ていたのだと知る。
この辺りには他にも部屋があるように見えるが、もしかしたら使われているのはヴァルトの部屋だけなのかもしれない。普段からあまり人気がないのもそのためだろうか。
「引き止めて悪かったね、お嬢さん。今度また時間があるときにでもゆっくり話せるといいんだが」
「そうですね。そのときはお名前を教えていただけるともっと色んなお話ができると思います」
「おやおや。君はどこかヴァルトに似ているな」
(嘘でしょ)
そんなに失礼なことを言っただろうか。もしかして性格の悪い返答だったとか。
「儂のことはヴァルトに聞くといい。情けないが、自分のことを話すのは得意ではなくてね。あれは言いにくいこともはっきり言う男だから、その方がわかりやすいだろう」
「素直に教えてくれるといいんですけど……」
「ははっ、君はなかなかあいつのことがわかっているみたいだね。それなら安心だ。上手く聞き出してやりなさい」
にっこり笑うお爺さんにお辞儀をして、千歳とユージィンはその場を離れた。
少し歩いてからそっと振り返って後ろを窺うとお爺さんがヴァルトの部屋に入っていくのが遠目に見える。
「ユージィンさん、あのお爺さんってどういう方なんですか?」
前に向き直ってから尋ねてみた。
「すみません。チトセさんの質問に勝手に答えてしまうとヴァルト様の機嫌が悪くなりますので、お答えできかねます。次の機会にヴァルト様にお尋ねください」
申し訳なさそうに断られる。
答えてくれるとも思っていなかったのでそれはいいのだが、ヴァルトの機嫌が悪くなるとかそいう情報はいらなかった。これから訊きにくくなるじゃないか。
「機嫌の悪いヴァルトさんは怖いですけど……ユージィンさんでも怖いんですか?」
「確かにヴァルト様は怖い方ですが、私が従う理由は怖いからではありません。私はあの方に忠誠を誓っておりますので」
(忠誠か……よくわからないなあ)
ぼんやりとそんなことを考えながら部屋へと戻る道を歩く。
ユージィンとの帰り道での雑談はそれなりに話が弾んだ。……忠誠を誓っていても愚痴は出るらしい。主があれなら仕方ないか。
◇◇◇
部屋に戻ってしばらく経つとオルドジフが訪ねてきた。千歳の帰りを彼に知らせに行ったダナも一緒だ。
ヴァルトの部屋に訪問した後にオルドジフが様子を見に来るのはいつものことなので、とくに不思議に思うこともなく部屋へと招き入れる。といっても、もともとは彼が用意した部屋なのだろうけど。
千歳はここでは居候みたいなものだ。叔母夫婦の家に暮らしていたから、元の世界でもあまり変わりはないかもしれない。
「どうぞ」
オルドジフは居候の部屋でも好き勝手に振る舞ったりしないので千歳が椅子を勧めるまで座ってくれない。“ありがとうございます”と礼を言って席に着く彼のお腹が実は黒いだなんて知りたくなかった。これに関してはヴァルトを恨むしかない。
ベッドのある自室に男のひとを入れるのは何となく緊張する。オルドジフは父親のような年齢だが、父親を知らない千歳にとっては同年代の男の子といる方がまだ緊張しないだろう。
「ほら、茶が入ったよ」
ダナの声と彼女が淹れてくれた温かいお茶にホッとして緊張が解けた。このお婆さん神官は女子力ではなく母力とか祖母力が高いに違いない。無愛想で偏屈なところもあるひとだが、千歳はすっかり懐いてしまっている。
「それで、エルヴァスティ殿はお元気そうでしたか?」
「はい、今日も元気そうでしたよ。……まあ、あのひとが弱っているところなんて想像もできませんけど」
「そうでしょうねえ」
オルドジフはのんびりとした口調で頷く。
「嫌なことを言われたりはしませんでしたか?」
「いつもと一緒です。からかわれはしますけど、嫌ってほどでは。ちょっとムカッとはしますけどね」
「チトセ様は大物ですね」
オルドジフはヴァルトが怖いらしい。自己申告だが、たぶん本当のことだろう。
千歳は彼がヴァルトに対して苦手意識を持っていると知っている。ヴァルトの方は彼には何の興味もないようだが。羨ましい話だ。
「今日はどんな話をしたんですか?」
何気なく尋ねてくるこれが本題。今回はどう言えば躱せるかと思考を巡らせつつ口を開く。
オルドジフは年齢も人生経験も千歳より遥かに上で、決して表面通りのひとではないと知っているが、ヴァルトを相手にするよりは気が楽だ。彼のいつも困っているような八の字眉を見ると油断してはいけないのに気が抜ける。
「借りた本の話とか……この間のお茶会の話も出ましたね」
当たり障りないことを話していると時間が来たようで、“いつまで女の部屋にいるつもりだい”とダナが追い出しにかかった。オルドジフが申し訳なさそうに謝るとフンと鼻を鳴らして茶器を片付け始める。どちらの方が立場が上なのかわからない光景だ。
いつもオルドジフはダナの存在に困っている様子で、それなのに彼女を遠ざけないのはミランにでも言われているからだろう。ダナは“エスパンタリオ神官長に頼まれた”とはっきり明言している。彼女に千歳の世話を頼んでくれたのはオルドジフのようだが、彼の訪問の際に傍にいるように指示を出しているのはミランで間違いない。
(ミランさんも何考えてるんだかよくわからないんだよね)
話す機会の少ない神官長は時折なぜか千歳への気遣いを覗かせる。召喚した側の責任というやつだろうか。オルドジフはミラン付きの副神官長で、その邪魔をする理由がそれだけとも思えないのだけれど。
「では、そろそろお暇しますね。この歳で年上の女性に叱られたくないですし」
オルドジフが苦笑気味に席を立つ。
尋ねたいことがあるのを思い出し、千歳は慌てて彼が部屋を出る前に呼び止めた。
「どうしました?」
「あの、今日の帰りに……ヴァルトさんの部屋から戻ってくるときにお爺さんに会って――」
振り返って訝しげな目を向けるオルドジフになんと訊けばいいかと考えて、とりあえず謎のお爺さんに会ったことから話す。
「ふむ、袖は見ましたか?」
(あ、袖の縁取りの確認し忘れた)
神官の階級はそこに示されていると覚えてはいたが、確認自体は忘れていた。初めて会うひと相手には習慣づけた方がいいかもしれない。
そんなうっかりは心のうちに隠して、さも見てきたかのように言う。
「白でした」
便利な能力だなと母に怒られそうなことを思いながらしれっと答えた。
「白? 白なんて……いや、ああ、そういうことですか」
「え、もしかして見間違えてました?」
「いえいえ、そういうわけでは」
本来は白の縁取りというのは存在しないらしい。神官服が白なので目立たないから白は使わないのだろう。
では、千歳の頭に浮かんだ“正解”はなんだったのか。この場ではそう答えることが正しかったのだと経験上わかっているが、間違ったかもしれないとちょっと焦ってしまった。心臓に悪い。
「まあ、誰だか予想くらいはつきますし教えてあげたいところなんですけど……すみませんね、チトセ様。勝手に答えるとエルヴァスティ殿から苦情が来るので話せないんですよ」
どこかで聞いたような台詞だ。もしかして彼らは千歳に対して共同戦線でも張っているのか。それともマニュアル対応なのか。
「ヴァルトさん、怖いですもんね」
「ええ、それはもう。小心者の私にはあまり逆らいたくない相手です」
(ズルい大人って感じ)
オルドジフは嘘を吐かず本心を話す。彼の言葉がもっと虚構に塗れたものだったら千歳も不信の目で見れたのだが、ちょっと黒いところはあっても彼はいいひとで、それが彼のズルいところだと思う。
部屋を出ていく背を見送ると、どっと疲労が押し寄せてきて千歳は思わず溜め息を吐いた。疲労といっても肉体的なものではなく精神的なものだ。
――――多少のことは能力でカバーできても、千歳に腹の探り合いは向いていない。
サブタイトルの道縛りがきつい今日この頃。




