第26話 塞がれたなら道を変えろ
その日の夕食の席は千歳とグラウクスの二人だけだった。
ソフィアは魔法関連の講義が長引いているらしい。先日、各地を放浪していてなかなか掴まらない高名な魔法使いと連絡が取れたと聞いたから、おそらくその魔法使いと話し込んでいるのだろう。明日になったらまた嬉しそうなソフィアの魔法談義が聞けるはずだ。
「グラウクスさんは神殿から出たことがあるんですよね? 外って……この世界の街ってどんな感じなんですか?」
話の流れで、訊きたかったことを訊いてみる。
「実は街には出ていないんですよ」
「え? でも、騎士団の訓練に参加するためにお城に通ってるんじゃ……?」
「ええ、それはそうですが。チトセさんはこの国の地図を見たことがありますか?」
ここひと月足らずのことを思い返して、千歳は首を横に振った。
この国の地図はおろかこの世界の地図も見たことがない。千歳が知っていることと言えば、ここがエテルニタ大陸にあるハイディングスフェルト王国という国で、他の国にはあまり魔法使いがいないということくらいだ。以前アレシュがこの国の“魔界”なんて異名を口にしていたが、魔物はいるもののこの国の国民が人間じゃないとかそういうことはない。
「王城はこの神殿の裏にあるんですよ」
「え……ええ? 裏、ですか?」
思ってもみなかった一言に目を瞬かせる。
グラウクスは千歳の反応にひとつ頷いてみせてから話を続けた。
「そう、裏です。隣と言ってもいいかもしれませんが」
「めっちゃ近いってことです?」
「はい、めっちゃ近いですね。神殿から歩いてすぐのところにあります」
駅近の物件みたいな言い方だ。
しかし、そうか。神殿と王城は隣接しているのか。千歳は宗教にも政治にも詳しくないけれど、そういうこともあるのかもしれない。第一、ここは異世界だ。何があっても変ではない。魔法がある時点でファンタジー極まりないし、野菜はおかしな色をしているし。
(魔物もいるし)
神官が飼っている――使い魔というらしい――魔物を見せてもらったことを思い出す。一緒にいたソフィアは魔法のある世界の出身だからか気にした様子はなかったが、千歳には結構な衝撃だった。アニメやゲームに出てきそうな生き物が目の前にいたら心構えをしていてもさすがに驚く。危険な魔物ではないらしくその神官によく懐いていたので触らせてもらうこともできたが、喜々として撫でていたソフィアとは逆に千歳は怖々としか触れなかった。なかなかのモフモフだったので次の機会があれば勇気を出して撫で回したいと思う。
「じゃあ、グラウクスさんも街には行ったことないんですね」
「ええ。親しくなった騎士から街の様子を聞くことはありますけどね」
「私も宿舎暮らしじゃない神官のひとから話だけは聞きますけど、実際はどうなのか気になっちゃいますね。この世界に来てからずっと神殿にいますし」
この神殿はかなり広く、暇に飽かせて歩き回っている千歳も敷地すべては把握していない。行ってはいけない場所もある。神殿の外も行ってはいけない場所の一つで、中庭などもあるためまったく屋外に出れないわけではないが、この神殿というものの外には興味があった。
グラウクスは千歳の意見に同意を示すように何度も頷く。千歳やソフィアほど神殿に引き籠もっているわけではない彼も今の状況に思うところはあったらしい。
「いつ故郷に帰れるかわからない、ずっとこの世界で生きていかなければならない可能性がある以上、自分たちがいる国のことくらいは知っておきたいですね。街を知らないというのは不安でもあります」
「……私、街に出てみたいなあ」
「そうですね。それは僕も何度か考えました」
思わず口から漏れた呟きはグラウクスの耳に届いてしまったようだ。
しかし、彼は千歳の言葉に共感を示しながらも溜め息混じりに首を横に振った。その表情には諦めが滲んでいる。
「ここにいると実感が湧きませんが……さすがに疫病が蔓延しているという国の街を観光するのは賢明とは言えませんね」
(そういえば、病気が流行ってるんだっけ)
グラウクスの言葉通り、神殿にいると今もそんな病が国を脅かしているなどとは思えない。
ただ、もっとも深刻な時期は過ぎたということはヴァルトから聞いて知っていた。ダナやオルドジフからも似たようなことは聞いているが、一番詳しく教えてくれたのはヴァルトだ。彼がどういうつもりで話したかはわからないが、今は有り難いと思っておこう。
「疫病を治す薬はあるからそこまで危ない状態じゃないとは聞きましたけど」
「そうなのですか?」
グラウクスは知らなかったのか、驚いたように目を見開いている。誰も彼に教えなかったのだろうか。
そういえば、彼は自分を召喚した神官長とは犬猿の仲だ。他の神官たちとも積極的に仲良くなろうとしている様子はないし、知らなくても仕方ない。初日以来、千歳はカミロには会っていないが、両者に歩み寄ろうという姿勢がないことは知っていた。……グラウクスの愚痴の八割はカミロが占めている。
「治療薬の素材があまりないらしくて、まだ病に苦しむひとは少なくないそうですけど……治療薬とは別に病気の進行を止める薬があって、それは結構出回ってるって聞きました。だから、以前とは違って街も活気を取り戻しつつあるって」
初耳だというグラウクスを相手に聞きかじりの知識を披露する。
千歳よりも年上で政治や社会について詳しいだろう彼からの質問には答えられる気がしないので“あんまり突っ込んでほしくないなあ”と思っていると願いが通じたのか、とくに何かを訊かれることはなかった。
「もし街に行けるならソフィアさんも入れて、三人でお出掛けしたいですよね」
ここに来てから大神官位争いとか疫病とか気の重い話が多い。だからこそあえて気楽に、まるで遊びに行きたいとでもいうような口調で千歳が言うと、グラウクスは少しだけ笑ってくれた。
「そうですね。年下の友人たちと王都散策というのも楽しそうです」
「神官長さんたちに許可を取ったら……って、ミランさんとアビゲイルさんは許してくれそうですけど、イリクリニス神官長は反対しそうですよね……うーん」
「………………」
どうしたものかと空を見て考え込むが、不自然な沈黙に気づいて視線を正面に戻す。
(……わあ)
さっきまで優しく微笑んでいた瞳が眼鏡の奥で怒りに燃えていた。どうやら、カミロに反対されるところを想像して怒っているらしい。
千歳もグラウクスもまだ神官長たちには何も言っていないし、彼はまだ起こってもいないことに対して腹を立てているわけだが、カミロが反対することは確定事項な気がする。
「あの横柄な男には辟易しますが、交渉次第では許可を出すでしょう。僕にも取引材料がないわけでもない。なんとか説得してみせますよ」
“説得”が“言い負かせる”に聞こえた。すでに喧嘩腰なので説得は無理だろう。どうにか言い負かせたとしても、カミロの気分を害していては意味がない。交渉決裂は目に見えている。
(――私なら)
千歳なら説得できる。誰とも敵対せずに、誰の思惑をも妨げずに、まるで千歳の提案が素晴らしいものように思わせることができる。誰よりも確実に結果を手にできる。
ふと、駒遊びの盤面が頭に浮かんだ。交渉事にどこか似ているからだろうか。
能力を使えば、ルールも知らないそれにきっと千歳は勝つことができる。自らの意見を通すのも同じようなものだ。
違うとすれば、相手が王を取られたと気づかないこと。いや、戦っていることにすら気づかれない。相手の考えもどうすれば頷くかも知っている千歳にとって交渉とはそういうものだ。
(胃薬って頼んだらもらえるのかな……)
ただ、精神的な負担だけはどうしようもないけれど。
「とりあえず、先に私がミランさんに頼んでみますね。イリクリニス神官長に言うのは後回しにしましょう」
「しかし……」
「ミランさんがイリクリニス神官長へ口添えしてくれるかもしれませんし」
不服そうなグラウクスだったが、千歳が言葉を重ねると最終的には納得してくれた。
権力に阿ることが嫌いな彼は決して愚かではない。責任感が強く頑固な部分はあるが、冷静になれば自分の考えを見直して修正できる柔軟さも持っている。
「年下の女性に任せっぱなしというのも情けないものですね」
「適材適所ですよ」
その言葉に、神官長を筆頭に派閥の神官たちと良好な関係を築けていない自覚のあるグラウクスは苦笑を返した。
◇◇◇
街に出てみたいと告げると、千歳が思ったよりもあっさりとミランは許可を出してくれた。
オルドジフだとなんだかんだとやんわり止められそうだからとわざわざ機会を作って頼みに来たのは千歳だが、こうも簡単に了承されると拍子抜けする。
「しかし、私の女神」
二人きりになるとたまに変な呼び方をするこのひとは、本当に何を考えているのだろう。他にひとがいるときは名前で呼んでくれるけれど、いつか人前でも言い出しそうで千歳は戦々恐々としている。……まあ、彼の派閥のひとたちから“女神様”呼びされているので今更な気もするが。
「異世界人三人で一緒に、というのは難しいでしょう」
ミランの表情が憂いを帯びる。
相変わらず見惚れてしまいそうなほど美しいひとだが、中身を知っているので“綺麗だなー”くらいの感想しか持てない。といっても、彼が奇行に走るのは他の神官たちがいるときだけで、オルドジフがいるときでも結構大人しい。前にオルドジフと意見が食い違ったときの奇行なんて煙に巻くためのものにしか見えなかった。あれはうやむやにしようという意思のある嘘泣きだったと千歳は思う。
(……わざとなんだろうなあ)
周りをドン引きさせる大泣きも被害妄想過多な言葉も全部、わざと。目的があって、彼が故意にしていること。本心なんて一欠片もないに違いない。
そう思うと、目の前のどこか神秘的な美貌も胡散臭いものに見えてくる。
「互いの立場の違いから警護の問題で揉めるでしょうし、そもそもカミロが許可しないと思いますよ。――どうしてそんな目で見るのですか、チトセ?」
「あ、いえ、何でもないです」
胡散臭いものを見る目を向けていたことがバレてしまった。慌てて首を振る千歳を不思議そうに眺めてからミランは話を戻す。
「あなたはアビゲイルに気に入られているようですし、彼女なら了承してくれるでしょうからソフィア・ストレーガと二人で行っては?」
それは、知っている提案だった。千歳が返す言葉もすでに決まっている。
「グラウクスさんを除け者にするのは嫌です」
はっきりとした口調で告げた。
千歳個人はもっと柔らかい言い回しを好むが、この場合は仕方ない。これが“正解”なのだから。
「三人の神官長それぞれからそれなりに信頼されていてどの派閥でもないひとが護衛に手を回してくれたら、ソフィアさんやグラウクスさんと一緒に街に行けるでしょうか?」
千歳の問いかけにミランは目を瞬かせ、それからゆっくりと笑みを浮かべた。
「そのような人物がいてその方が了承するのであれば、きっとあなたの望む通りになるでしょう」
まるで心当たりがないような言い様だが、ミランの表情はそれを裏切っている。千歳の言う人物に見当がついているに違いない。
「私の女神」
「それ、止めてください。私は女神じゃありません」
「あなたに祈りを捧げてもよろしいでしょうか」
なんて話を聞かない男だ。ひと睨みして断固拒否する。
「よろしくないです」
千歳の返答はミランの耳に届かなかったらしい。何を思ったか彼は跪いてお祈りのポーズを始める。それが千歳に向いていなければ、ただの奇行として流せたかもしれない。しかし、悲しいことに彼のうっとりとした顔は間違いなく千歳に向けられていた。
頬を上気させ熱っぽい瞳でこちらを見上げる神官長。女神呼びは我慢するから、跪いて祈ってくるのだけは本気で止めてほしい。
(よろしくないって言ったのに……)
返事を聞かないならなんで尋ねたのか。
「導きの君。すべてあなたの望むままに」
意味のわからないことを言って微笑んでいるひと。周りに奇行を見せているときより今の姿の方がよほど狂人に思える。彼を狂信者と評していたのはいったい誰だったか。
『“導きの君”って何のことか知ってる?』
『ああ、それは聖エスカルラータのことですよ』
イーディスとのやり取りを思い出した。女神も聖エスカルラータも千歳とは関係のないものだ。……そのはずだ。
千歳を“導きの君”と呼ぶのはミランだけ。このひとは何を考えて――何を知っているのだろうか。それを知ることこそが千歳は怖かった。いつか知る日が来るのか、来ないのかもわからない。知ってしまったら知らなかった頃には戻れないということだけは、答えを聞かなくても知っている。
千歳にはミラン・エスパンタリオという人間がよくわからない。彼の前では目を閉じて耳を塞いで頭を空っぽにする。それでようやく何も知らない自分のままでいられる。
ミランは千歳をただの知寿千歳でいさせてくれない。なんの能力も持たない異世界人であることを許容しつつ、彼の“導きの君”であることを強要してくる。
――――だから、千歳はミランが苦手だ。未知に対する恐怖を彼に抱いている。




