第24話 暗い道には罠がある
お茶会という名の女子会から数日後、千歳はいつか一度はぎゃふんと言わせたい男の部屋を訪れていた。
「よく来たな」
そう言うわりに男は座って本を読む姿勢のまま顔も上げやしない。出迎えろとまでは言わないが呼び出しておいてこれは酷いと思う。
「用事があるって聞いて来たんですけど……ヴァルトさんもお忙しいようなので帰りますね」
「待て」
精一杯の嫌味をぶつけて踵を返すと、後ろから短い制止の声がかかった。まるで飼い犬に命令するような口調に少しだけイラッとしたが、千歳は優しいのでちゃんと足を止めて振り返ってあげる。
本から顔を上げていたヴァルトと目が合った。千歳の心の広さに感動する様子はない。いつ見ても太々しい面構えだ。
「俺が忙しいのは事実だが、お前は暇だろう。俺がこれを読み終わるまでいい子で待っていろ」
向かいの椅子を指差して、ヴァルトはまた読書に戻ろうとする。なんだこいつ。
千歳が彼の部屋を訪ねるのももう五回目。
もちろん千歳が喜び勇んで来ているわけもなく、オルドジフに頼まれて渋々――とまではいかないが、仕方なくこの自分本意な男の招待を受けている。千歳の都合なんかお構いなしに呼びつけるのは勘弁してほしい。言っても効かないのは今日の呼び出しで証明されているけれど。
「私も暇じゃないので帰ります。ユージィンさん、送ってもらっていいですか。駄目なら一人でも戻れるので気にしないでください」
素気なく返して入り口へと足を向けた。
閉じた扉の横には苦笑を浮かべるユージィンが立っているが、送ってくれる気はなさそうだ。彼はヴァルトに小言は言うくせに命令には絶対従うタイプなので、基本的に味方をしてくれることは少ない。いい人そうだとか、彼の主よりマシだろうとか思っていた過去の千歳に言ってやりたい。あの主人にしてこの従者あり。つまり、どっちもどっちだと。
二回目の訪問から――といっても、一回目のあれを訪問と言っていいのかわからないが――千歳の部屋からヴァルトの部屋への送り迎えはユージィンが務めてくれている。一応護衛のつもりらしいが、普段は一人で歩き回っている神殿内で危険な目に遭うとは思えないし、ユージィンによる送迎が例の噂に拍車をかけている気がしないでもない。千歳としては身の安全よりも精神の安寧を優先してもらいたいところだ。
「ちょっと! ドアが開かないんですけど!?」
「騒ぐな。待っていろと言っただろう」
魔法でもかけられたみたいにびくともしないドアノブとしばらく格闘してみたが、まったく成果がなく、そうこうしている間に本を読み終えたらしいヴァルトに引き戻されて椅子に座らされる。
傍目には優雅に椅子までエスコートされたように見えただろう。でも千歳は知っている。ヴァルトが魔法で強引に千歳を動かしたことを。本当に身勝手で最低なひとだ。こんな大人にはなりたくない。
(ソフィアさん、このひと魔法を悪用してますよ! いけないと思います!)
“魔法はひとを幸せにするもの”が信条のソフィアに脳内で言いつけてみたけれど、気弱な彼女には無駄に威圧感のあるヴァルトの相手は荷が重かったのか青い顔で逃げて行った。千歳も一緒に逃げたい。でもこの部屋の扉は魔法で閉じられているし、どうにかして開けられたとしても目の前で不敵に笑っている男から逃げられる気がしない。
――逃亡不可。
駄目押しのように“答え”が頭に浮かんだ。
「夜に部屋に呼んだ女を閉じ込めるなんていい趣味ですね。変な噂が立っても知りませんよ」
「……女?」
上から下まで見た後に鼻で嗤われる。
千歳は女のうちに入らないとでも言う気か。よし、その喧嘩買った。
(ぶん殴りたい……!)
腹を立ててもあまり暴力的な衝動に結びつかない千歳にここまで思わせるなんてヴァルトはある意味すごいかもしれない。だから一発殴らせてほしい。
「まあ、噂ならもうあるがな」
“教えてやっただろう”と偉そうに宣う彼のおかげで、千歳は“異世界人と神殿騎士の怪しい関係”なんて三流ゴシップ記事みたいな噂と実はオルドジフがなかなかに黒い大人だということを知ってしまっている。
オルドジフは千歳に知られていることを知らない――自分とヴァルトの密約を彼が話したなんて思ってもいない。今日も元気に優しい大人をしている。……まあ、オルドジフが千歳を利用していたからといって彼のこれまでそしてこれからの気遣いや優しさがすべて失くなってしまうわけではないけれど。あの穏やかさも嘘ではないし、黒い部分があってもヴァルトなんかよりよほど優しい。
「オルドさんへの誹謗中傷なんて楽しいですか? おかげさまで誰も信用できなくなりそうです」
「誹謗中傷をしたつもりはない。利用されている哀れな子どもに事実を話してやっただけだ。むしろ親切だと感謝されてもいいくらいだがな」
「ご親切にどうもありがとうございました。でも、もう私にその親切心を発揮しないでくれるととっても助かります」
自分でも結構失礼な態度を取っていると思うのだが、相手はひどく楽しげだ。千歳の自尊心は低くはないので嗤われるのは嬉しくない。しかし、不機嫌なヴァルトは正直怖いので上機嫌なヴァルトで我慢しよう。ひとを馬鹿にしないと機嫌が上向かない男の相手は疲れると、これまた失礼なことを思った。
彼の言い草に腹の立つことは多々あれど、実は千歳もこういうやり取りが嫌いではない。ヴァルト以外とはこんな嫌味の応酬のようなことをしたことがないので新鮮でもあった。
勘のいいヴァルトの相手をするのは怖くもある。言動には気をつけて顔には出さないようにしているけれど、いつ隠し事がバレるかと内心ではヒヤヒヤしっぱなしだ。
それでも、彼から千歳への興味を失わせることは不可能らしいから誤魔化しながら付き合っていくしかない。能力を使えば難しいことではないと経験上わかっていたが、油断できない相手なのに会話自体が結構楽しいのは誤算だった。
「遅くなりましたが、お招きくださりありがとうございます。それで、ご用事は?」
「予定が潰れて時間が空いた。退屈だから相手をしろ」
ああ本当に、いつか必ずぎゃふんと言わせてやる。
◇◇◇
ヴァルトが忙しいというのは事実らしく招かれるのはいつも夜だ。実際に働いているところを見るまではちょっと疑っていたけれど、日中に訓練をしたり何か指示を出したりしているところを何度か目撃しているので忙しいというのも嘘ではないとわかっている。
彼の部屋を訪ねるのは千歳にとって損ばかりではない。ここに来るとヴァルトはこの世界や神殿についての話を聞かせてくれる。質問に答えてくれたりはぐらかされたりと気分だか機嫌だかに左右されるが、わからないところは噛み砕いて教えてくれたりもする。もちろん教えてくれないことも多い。ヴァルトはそういう男だ。
前回の訪問では暇だとぼやいた千歳に本を貸してくれた。おすすめだと告げたときのヴァルトの表情には不安を覚えたが、読んでみると普通に面白い本だった。
まだ全部読み切っていないので返却は次の訪問のときになりそうだと伝えると、貸し主は了承の意を示すように一つ頷いてから口を開く。
「どれくらい進んだんだ?」
「えっと、三分の二くらいまで読みました。読んだところまでだとカレンシラとターシェッタの逸話が面白かったです」
本によれば、カレンシラは食用花でターシェッタはそれによく似た観賞用の花だという。千歳は花に詳しいわけではないが、生態が結構なファンタジーだったので元の世界にはたぶんない。
そんな魔法の世界産の花二つには面白い逸話があった。
花と同じ名前をした二人の姉妹がいて、仲の良い彼女たちは同じ日に結婚することにした。花嫁衣装とともにそれぞれの名前と同じ花で髪を飾って結婚式を迎えた。しかし、そこでハプニングが起こってしまう。観賞用の花を髪に挿したターシェッタは何事もなく式を終えるが、食用花で髪を飾ったカレンシラは鳥に突かれて夫が式から逃げ出してしまうのだ。
(元の世界にもこういう童話ありそう)
そう思うと、あの逸話にはどこか教訓めいたものも感じる。
「知らなかったのか」
「ええ、まあ。元の世界にはありませんでしたし。カレンシラもターシェッタも見たことないですから」
少し意外そうな声音を不思議に思いながら千歳は言葉を返した。
異世界の花の逸話なんて知らないに決まっているのに、意外に思うようなことだろうか。それとも意外そうだと感じたのは千歳の勘違いか。
「花を見たことがないというのは嘘だろう」
嘘吐き呼ばわりにムッする。
そんな千歳の様子に気づいたのか、ヴァルトは言葉を重ねた。
「少なくとも片方の花は見ているはずだが。――花瓶を動かすのが趣味なんだろう?」
“花瓶”という単語で頭に浮かぶ情景がある。
思い出した。嫌味な神官の頭に鳥糞事件だ。言われてみれば、確かにあのときひと仕事して帰った鳥は花を食べていた。あそこに花を生けたひとはきっと食用と観賞用を間違えたのだろう。
つまり、あの花こそ。
「そっか。あれがカレンシラなんですね」
「ああ。その顔を見ると本当に知らなかったんだな」
声には驚きが混じっていた。いつも余裕ぶっている彼が目を丸くして驚いていて逆にこちらが驚かされる。珍しいこともあったものだ。
「驚くようなことですか?」
直球で尋ねてみた。
「いや、当然といえば当然だが……少し予想と違った」
「予想?」
――疑われている。
――かなり核心に近いところまできている。
その答えが何を意味するかなんて誰に聞かずとも千歳が一番よく知っている。
誤魔化さないといけないと反射的に思った。緊張しそうになる自分を叱って、頭に浮かんでは消えていく“正解”を拾って繋ぎ合わせる。望んだ道を見つければ、あとは進むだけ。
「なかなか思い通りにはならないな、お前は」
「それは良かったですね。なんでも思い通りになる人生なんてつまらないですよ」
これは本心。すべて思い通りになるなんてぞっとする。
「そうだな」
向かいでくつくつと笑う神殿騎士は千歳と同じ能力を持っているわけではない。でも、たいていのことは思い通りにする力があって、それは千歳が同じ力を持っているのではないかと疑うほど。
道を知っているのに道に迷ってばかりの千歳は、道を知らないはずなのに道を見つけ出してしまうひとにほんの少し憧れを抱いてしまっている。
(ヴァルトさんって見るからに我が道を行くタイプだし)
傍若無人と傲岸不遜が服を着て歩いているような男だ。多少の憧憬があろうとこうなりたいとは思わない。
「そういえば、数日前にお茶会に参加してきました」
「ああ、報告に上がってきていたな。何か面白いものでも見られたか?」
「私は楽しかったですけど、ヴァルトさんが面白がるようなことはなかったような……」
「なんだ、つまらん」
「女子会だったんですけどヴァルトさんも誘ってあげれば良かったですかね。お望み通りきっと面白いことになりましたよ」
ぶふっと吹き出すような音が聞こえて、そちらに視線を向けるとユージィンが必死で笑いを堪えているのが見えた。吹き出してしまっているので堪えきれていないわけだが。
千歳と目が合ったユージィンは咳払いを一つして頭を下げる。
「お話の邪魔をしてしまってすみません」
しかし、真面目な顔で謝罪をするその口の端がぴくぴくしていた。彼を襲った笑いの波はまだ過ぎ去っていないらしい。
「ヴァルトさんが女子会に参加したらユージィンさんの腹筋が崩壊しちゃいますね」
視界の端でユージィンがくるりと背を向けた。肩が震えているところを見るに笑っているのだろう。耐え切れなかったみたいだ。
「すでに崩壊しているようだが」
しれっとしたヴァルトの一言に、今度は千歳が笑う番だった。
◇◇◇
暇なときはちっとも進まない時計の針も、暇じゃないときは気づけば一周している。
近況報告のような世間話や元の世界のことを話したり、逆にヴァルトからこの世界のことについて聞いたりしているうちに思ったより時間が経っていたようだ。
「部屋まで送りますので少しお待ちを」
そう言って、ユージィンはヴァルト曰く“ゴミがいないかの確認”のために部屋を出ていった。賢明な千歳はゴミってなんなんだろうとは考えないようにしている。
扉から視線を外すと、部屋の主が客を放って何か書き物をしているのが目に映った。
(別にお見送りしてほしいわけじゃないけど……)
そんなものヴァルトには期待していない。
ただ、毎回千歳の帰り際に書き留めているものが異世界人の生態記録とか観察日記だったら嫌だなとは思っている。本当にありそうで嫌だ。ヴァルトはそういうものを本人の目の前で書きそうなひとだし、気になるように仕向けられている気がして手元を覗き込みたくない。
(あ、そうだ。今日はどうなんだろう?)
ヴァルトの目を盗み――といっても、こちらに注意を向けていないのは見てわかるが、テーブルの上に置かれた駒遊びの盤に目を向けた。
盤上では黒と赤の戦いが止まったまま。ルールを知らない千歳には見ただけで勝敗はわからないが、黒の方が駒が多く相手の陣地に侵入している。駒の配置は違えどいつもと同じ状況だ。これもいつもと同じなら黒がヴァルトで赤が対戦相手のはず。
――黒はヴァルト。この一戦は黒の勝利で終了している。
残念なことに千歳が応援している相手はまた負けてしまったらしい。同情しつつ、心のなかでもう五回目くらいになるエールを送る。ぜひともヴァルトを負かしてほしい。
(これって、詰んでるのかな?)
そう考えて、即座に答えが出る。詰んではいないらしい。
身に余る力を持つ千歳もすでに勝ち筋がなくなっているものはどうしようもないが、そうでないなら手助けできる。前回は詰んでいたので手の出しようがなかった。
黒が勝っている盤面。ここからどうすれば赤が勝てるかを千歳は知っている。
――赤の魔法使いの駒を右に三マス動かす。
杖を高く掲げた魔法使いの駒をそっと摘んで“正解”の場所に置いた。
次にヴァルトの対戦相手が来たときに見てまだ勝てると気づいてくれたらいいと思う。今まで動かしたことにも気づかれていない可能性があるけれど。
いつの間にか紙にペンを走らせる音が止まっている。
――――秘密を守り通したいならば余計なことはすべきではないと千歳こそまだ気がついていない。




