第九話 白い魔物の群れ
俺たちは手記の地図に従って肉壁の急斜面を登っていた。
体内で迎える『九日目』——上洞へ進むにつれて胃袋の熱気と酸の臭いが引き、代わりに薄ら寒い風がどこからか吹き抜けるようになっていた。
だが、目的の通路まであと一歩というところで、道が急激に狭まっていた。
先人の手記に書かれていた「肺へ続く垂直の割れ目」だ。
「あったわ! あそこを通れば肺に出られる……!」
アオイが指さした直後だった。
ズズズズッ……!
不気味な硬い擦れ音が、暗い通路の天井や壁一面から響き渡った。
「……な、なんだ!?」
俺たちが足を止めると、壁の肉の隙間から「それら」が一斉に這い出てきた。
大きさは犬ほど。全身がツルリとした乳白色の甲殻で覆われ、足はなく、滑るように肉壁を這う異形の生物たちだ。顔には目も口もなく、中央に小さく明滅する赤い単眼のような器官だけがついていた。
「白い……殻……? 虫の化け物か!?」
タクマが新しく手に入れた頑丈な金属棒を身構える。
だが、白い生き物たちは俺たちの姿を捉えた瞬間、いっせいに赤い光を強く発光させた。
キィィィィン……!
耳を刺すような高周波の警戒音が洞内を満たす。
「うわっ、頭が痛い……!」
「ダメよタクマ、こっちに向かってくる!」
十数匹の白い生き物が、雪崩のように俺たちに向かって突進してきた。
「迎撃するぞ!」
タクマが先頭の一匹に金属棒を全力で叩きつけた。
ガキンッ!
「痛てっ! 硬ぇ! 金属叩いてるみたいだぞ!」
タクマの打撃を受けて吹っ飛んだ一匹の甲殻に、僅かな亀裂が入る。
すると、驚くべきことが起きた。
周りにいた他の白い生き物たちが一斉に向きを変え、傷ついた一匹の元へ群がったのだ。
彼らは自身の体からトロリとした白色の粘液を分泌し、割れた甲殻の表面に塗りつけ始めた。ほんの数秒で、亀裂は綺麗に塞がり、元の滑らかな甲殻へと修復されていく。
「傷口を……塞いだ……!?」
アオイが息を呑む。
「……白血球、いや血小板か!?」
ケントが目を見開いて叫んだ。
「やっぱりあいつら、怪物の体内防御機構……いわゆる免疫システムです! 体内の傷や異物を修復・排除するための細胞みたいなものなんだ!」
「ってことは、俺たちを『病原菌』とみなして排除しに来てるのかよ!」
「正解です! しかも倒そうとして傷をつけると、修復のためにどんどん仲間が集まってきてキリがない!」
実際、警戒音を聞きつけた白い生き物の群れが、通路の奥から次々と湧き出してきていた。数十、数百……とても四人で正面から叩き潰せる数ではない。
「正面突破は無理だ! 撤退か!?」
タクマが焦りを見せる。
「待て! 手記を思い出せ!」
俺は迫る群れと周囲の地形を素早く見回した。
「手記には『防衛器官に見つかれば通路が閉ざされる』って書いてあった! 倒すんじゃなくて、あいつらの注意を逸らして通路に滑り込むんだ!」
「どうやって!? あいつら目もないのに一斉にこっち見てるわよ!怖い!」
「音と、ダメージに反応してる! さっきタクマが殻を割ったとき、全員がそっちに群がったろ!」
俺は背中の荷物から、漂着物の山で拾った異世界の壊れたランタンを取り出した。
「ケント、これを全力で向こうの壁に投げつけて壊してくれ! 一番大きい音と衝撃をあっちで作る!」
「放物運動の理論ですね! 任せてください!」
「よし、今度はツッコまん! やれ!」
ケントは眼鏡を押し上げると、通路の反対側の壁めがけてランタンを全力で遠投した。
ガッシャン!!
甲高い破壊音が響き渡り、金属の破片が散らばる。
直後、白い生き物の群れが一斉に赤い光をその壁へと向け、怒涛の勢いでランタンの破片へと押し寄せていった。
「今だ! 通路へ走れ!」
俺たちは一瞬の隙を突き、群れが群がる脇をすり抜けて、肺へと続く肉の割れ目へと滑り込んだ。
背後で群れが異変に気づき、再び追撃してこようとしたが、俺たちは割れ目の奥にあった巨大な軟骨の隆起を力任せに押し込み、通路の入口を一時的に塞ぎ止めた。
ドスンッ!
壁の向こうからズズズという不気味な音と甲殻を打ちつける音が聞こえたが、やがて諦めたように遠ざかっていった。
「ハァ……ハァ……逃げ切った……か?」
タクマが膝に手をつき、荒い息を吐く。
「ええ……なんとか……」
アオイも壁に背を預け、冷や汗を拭った。
単なる胃液や環境の危険だけではない。この魔王の体内には、侵入者を明確な意思を持って排除しようとする「防衛機構」が存在している。
奥へ進めば進むほど、その抵抗は苛烈になるはずだ。
「でも、これで胃袋は完全に脱出した」
俺は立ち上がって、通路の先を見つめる。
割れ目の奥から、今までとは全く違う、冷たく澄んだ湿った風が吹き抜けてきていた。
残された時間は、あと二十一日。
俺たちは体内免疫の追撃を振り切り、次なる領域——「肺」の入口へと足を踏み入れていた。




