第四話 動き出す胃袋
集落での生活が始まって二日が過ぎた。
体内に入って『四日目』の朝——俺たちは集落の住人たちの作業を手伝っていた。
「よいしょ……重っ! なんだよこの木材、見た目の割に硬すぎだろ!」
タクマが異世界の建造物の廃沫から出た太い杭を運ぼうとして、顔を真っ赤にしている。
「愚痴を言わない。助けてもらってるんだから、ちゃんと働かないとご飯出してもらえないわよ」
アオイが手際よく紐を結びつけながら、冷ややかに言い放つ。
「アオイさん、おっしゃる通りですが……タクマの筋肉は観賞用なので勘弁してあげてください」
「誰の筋肉が観賞用だケント! これでもサッカー部だぞ!?腕相撲するかおい!」
二人のやり取りを横目に、俺も集落の補修資材を運ぶ。
ここでの暮らしは一見穏やかだ。住人たちは植物の繊維でロープを作り、巨大な虫の脱け殻を屋根にして、過酷な体内環境に適応して生きている。
だが、その平穏は突然破られた。
グラリ、と足元が大きく揺れた。
「……地震!?」
俺が叫んだ直後、視界全体がぐにゃりと歪んだ。
地震などという生易しいものではない。足元の「地面」——肉壁そのものが、巨大な波のように波打ち始めたのだ。
ドクン!! ドクン!!
これまで一定だった不気味な脈動音が、耳をつんざくような激しい響きへと変わる。
「みんな、何かに掴まれ! 胃袋の収縮が始まったぞ!!」
ルークが大声で叫ぶ。
次の瞬間、頭上の肉壁が激しく落ち込み、集落の簡易的な家々がメキメキと音を立てて押し潰されていった。
「きゃあああっ!?」
アオイが悲鳴を上げ、傾いた地面を滑り落ちかける。
「アオイ!」
俺とタクマが咄嗟に手を伸ばし、彼女の腕を掴み上げた。
「くそっ、何なんだよこれ! 船酔いどころのレベルじゃねえぞ!」
「ごちゃごちゃ言わないで引き上げて! 胃液の川に落ちちゃう!!」
アオイの叫んだ先を見下ろし、俺はヒヤリとした。
普段は集落のずっと下層を流れていた黄色い胃液が、胃袋全体の激しい収縮によって水路から溢れ出し、津波のように集落へ押し寄せてきていたのだ。
「水路の仕切りを補強するぞ! 木材と防酸の殻を持ってこい!」
ルークたちが必死に防波堤を作ろうとしているが、押し寄せる胃液の勢いに押され、仕切り板がジュウジュウと白い煙を上げて溶け始めていた。このままでは集落全体が強酸の海に呑まれる。
「ユウマ、怪我人がいる! 奥の家屋だ!」
ケントが崩れた屋根を指さした。年配の男性が脚を挟まれて動けなくなっている。
「タクミ、ケント、助けるぞ! アオイは資材の引き上げを頼む!」
「了解!」
俺たちは波打つ肉壁を這うように進み、崩れたガレキを三人で力任せに持ち上げた。
「じいさん、掴まれ!」
タクマが太い腕で男性を抱え上げ、間一髪で押し寄せる胃液の激流から引き剥がす。
「助かった……ありがとうよ、若いの!」
「礼は後だ! ユウマ、あの胃液の流れ、あっちの割れ目に誘導できないか!?」
ケントが指さしたのは、集落の端にある大きな肉の亀裂だった。あそこなら集落の主要部分を避けて下層へ液体を逃がせる。
「やるぞ! 杭を打ち込んで流れを変える!」
俺とタクマ、そして集落の男たちは、耐酸性の巨大な殻を盾にして胃液の前に立ち塞がり、強引に流れの角度を変えた。
ジュゥゥゥッ!!
嫌な音と激しい蒸気が上がり、肌がピリピリと焼けるような熱気に包まれる。
それでも全員で死に物狂いで仕切りを支え続けた。
どのくらいの時間が経っただろうか。
やがて、激しい肉壁の脈動が徐々に静まり、押し寄せていた胃液の流れも引き始めた。
「……はぁ……はぁ……静まった……?」
タクマがその場にへたり込み、大量の汗を拭う。
「大丈夫……? みんな……」
アオイが駆け寄り、全員の無事を確認して胸を撫でおろした。
集落の一部は壊れ、あちこちから煙が上がっているが、全員の協力によって壊滅的な被害と浸水は免れた。
けれど、誰も喜んでいなかった。
崩れた我が家を見つめる住人たちの顔には、深い疲弊と諦めが浮かんでいる。
「……これが、さっき言ったことだ」
ルークが苦い顔で槍を地面に突いた。
「怪物が外で動けば、胃袋は縮む。昨日まで安全だったこの襞も、一歩間違えればただの殺戮現場だ。ここには……本当の安全地帯なんて、最初からどこにもねえんだよ」
収縮が収まった肉壁を見上げながら、俺は冷や汗が背中を伝うのを感じていた。
集落に住めば生きていける——そんな甘い期待は一瞬で打ち砕かれた。
この胃袋の中にいる限り、俺たちはいつ胃液に呑まれるか分からないサイコロを振り続けているだけなのだ。
沈黙の中、集落に静かな『四日目』の夜が訪れる。
俺たちの心には、ここに留まり続けることへの強い危機感が、はっきりと刻み込まれていた。




