第三話 魔王の体内にある街
案内人のルークのあとに続いて、俺たちは薄暗い肉壁の通路を進んでいた。
二日目の恐怖と疲労が重く肩にのしかかっていたが、集落へ向かっているという事実だけが、かろうじて俺たちの足を前へと動かしていた。
「ルークさん、集落って本当に安全なんですか?」
眼鏡の奥の目をくぼませながら、ケントが訊ねる。
「絶対安全なんて場所は、この体内にはねえよ」
ルークは前を見すえたまま、淡々と答えた。
「だが、胃袋の壁には消化液の流れてこねえ『深い襞』がある。そこなら胃液の波をかぶらずに済む。俺たちはそこを拠点にしてるんだ」
しばらく歩くと、急激に通路が開けた。
「うわ……なんだこれ……」
タクマが思わず声を漏らした。
俺も息を呑んで、目の前に広がる光景を見つめた。
そこは、何重にも重なり合った巨大な肉壁の襞の隙間だった。
高さ十メートル以上はある巨大な割れ目の中に、小さな街が形成されていた。
壊れた建物の木材や見たこともない異国の金属片、巨大な昆虫の殻のようなものを組み合わせて作られた簡易的な家々が立ち並び、壁のあちこちにはランタンのようなぼんやりとした明かりが灯っている。
「ここが、俺たちの集落だ」
ルークが振り返り、胸を張った。
視界の中では、見たこともない民族衣装や古い鎧を着た大人たちが荷物を運び、子どもたちが肉壁の段差で遊んでいる姿が見えた。およそ三十人ほどだろうか。異世界の建築物や遺物が混ざり合うその場所には、異様ながらも確かな「生活」があった。
「本当に……いろんな世界の人たちが暮らしてる……」
アオイが呆然と呟く。
「新入りか!」「若い子たちじゃないか、大丈夫だったかい?」
俺たちの姿に気づいた住人たちが、心配そうに集まってきた。
広場のような場所に案内され、木製の粗末なベンチに腰を下ろすと、年配の女性が湯気の立つ木彫りの器を手渡してくれた。
「ほら、お飲み。温まるよ」
器の中には、透き通った茶色の液体が入っていた。
タクマがその器を凝視し、引きつった笑みを浮かべる。
「あの……おばちゃん。これ、本当にスープだよね? 胃液煮込みとかじゃないよね……?」
「失礼な子だねぇ! 体内に生えてるキノコと、飲み込まれて漂着した乾燥肉の出汁だよ! 胃液なんて入ってたら器ごと溶けてるわ!」
おばちゃんに頭をはたかれ、タクマは「ですよねーっ!」と大袈裟に頭を押さえた。
そのやり取りに、張り詰めていた周囲の空気が少しだけ緩む。
おそるおそるスープを口に含んでみる。温かい液体が喉を通り、胃の中に染み渡っていく。
……自分たちの「胃」に温かいスープが入っていく感触が、なんだか酷くおかしく、そして涙が出るほどありがたかった。
「おいしいよぉ……」
アオイの目から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。ケントも無言で器を両手で包み込み、噛みしめるようにスープを飲んでいる。
「焦らず食いな」
ルークが笑いながら俺たちの隣に腰掛けた。
「ここは食料の確保も道具作りも、住居の補修も全部自分たちでやる。体内で生き延びるための『暮らし』がここにはあるんだ。中にはもう何年もここで暮らしてるベテランもいる」
「何年も……!?」
俺は思わずスープの器を落としそうになった。
「そんなに長く、外に出られないんですか? この魔王って、いつどこから現れたんですか……?」
「分からねえ」
ルークは首を振った。
「あいつは時空すら歪めて、あらゆる時代、あらゆる世界に突然現れては街ごと呑み込んで消える。俺たちの故郷もバラバラだ。出口なんてどこにもねえ。だが、この深い襞の中なら胃液の流れるルートから外れている。だからこそ、みんなこうして生きてこられた」
ルークはそう言ったが、ふっと表情を曇らせた。
「ただし……さっきも言ったが、絶対に安心ってわけじゃねえ。忘れるなよ、ここは『生き物の胃袋』だ」
「どういうことですか?」
俺が問いかけると、ルークは天井の脈打つ肉壁を見上げた。
「怪物が体を動かしたり、大きく体勢を変えたりすれば、胃袋そのものが収縮して構造が変わる。昨日まで安全だった襞が、今日には胃液の通り道に化けることだってあるんだ」
その言葉に、背筋がすっと冷たくなった。
安全な避難場所に見えるこの集落も、怪物の気まぐれひとつで一瞬にして胃液の底に沈む可能性がある。俺たちはただ、運良く「まだ安全な場所」に辿り着いただけなのだ。
スープを飲み終える頃には、体内の薄暗い光がさらに沈み、夜のような静けさが集落を包み込み始めていた。
住人たちが与えてくれた布切れと藁のベッドに横たわりながら、俺は天井のドクン、ドクンという脈動音を聞いていた。
飲み込まれてから、今日で『三日目』が終わる。
見知らぬ大人たちに守られ、温かいスープを飲めたことで、確かに命は繋がった。
けれど、ただここに留まっているだけで本当にいいのだろうか。
いつ崩れるかも分からない胃壁の窪みで、死を待つように暮らすことが、俺たちの求める「生存」なのだろうか。
隣で静かな寝息を立てるタクマ、アオイ、ケントの顔を見つめながら、俺は消えない不安を胸に抱いたまま、浅い眠りへと落ちていった。




