第二話 胃袋の中に、生きている人間がいた
朝——目覚まし時計の音は鳴らない。
「……うう、身体中が痛い……」
誰かの呻き声で、俺は目を覚ました。
瞼を開けると、視界に入ってきたのは自分の部屋の天井ではなく、湿り気を帯びた赤黒い肉壁だった。
ドクン。
ドクン。
不気味な脈動音が耳に届く。
生きている。溶けていなかった。
けれど身体を動かそうとすると、昨日の落下の衝撃による全身の痛みが襲いかかる。夢ではなかったのだと、いや応なしに実感させられた。
「みんな、大丈夫か?」
声をかけると、横で膝を抱えていたアオイが小さく息を吐き出した。
「なんとかね。でも……本当に僕たち、胃袋の中にいるんだ」
「生き伸びられたのは運が良かったけど……腹減ったな。食堂ごと落ちてきてたりしないかな」
がっしりした体格のタクマが、切実に自分の腹をさすりながらつぶやく。
「落ちてきてたとしても、とっくに胃液で溶けてスープ状になってますね」
眼鏡をかけたケントが冷ややかにツッコミを入れると、タクマは顔をひきつらせた。
「胃袋の中で『胃液スープ』とかシャレにならんからやめろ!」
くだらない会話に少し肩の力が抜けたものの、俺たちの置かれた状況は何ひとつ変わっていない。
今日が何曜日なのかも分からないが、この体内で迎える『二日目』の探索を始めることにした。
昨日見つけた小高い肉壁の窪みをあとにし、薄暗い通路を奥へと進む。
進むにつれて道は狭くなり、湿度が上がっていった。鼻をつく甘酸っぱい臭いも強くなってくる。
そのときだった。
ズチュッ、と肉を割くような嫌な音が響き、壁の表面が大きく蠢いた。
「うわっ、なんだこれ!?」
壁からミミズを巨大化させたような赤黒い触手が数本、勢いよく飛び出してきた。
「敵!? 武器、なんか武器はないのか!?」
ケントが拾った瓦礫の棒を振り回すが、触手は生き物のようにしなやかに動き、足元に絡みついてくる。
「走れ! 立ち止まるな!」
俺の叫び声を合図に、全員がなりふり構わず走り出した。
足元が滑り、タクマが思いきり転びかける。
「ぐわっ!?」
「ちょっと、転んでる場合じゃないでしょ!」
すかさずアオイがタクマの首の襟ぐりを力任せに掴み上げ、ほとんど引きずりながら強引にダッシュさせた。
「アオイ、力強すぎ! 首絞まる、首絞まるって!」
「文句言わない! 食べられたいの!?」
「死因が『怪物の消化』か『アオイの絞め技』かの二択とか嫌すぎるだろ!」
死に物狂いで逃げ回ること数分、ようやく触手の追撃が収まった。
全員が壁に背を預け、膝に手をついて激しく肩を上下させる。
「……ハァ、ハァ……死ぬかと思った……」
息を整えようと視線を落とした俺は、ハッと息を呑んだ。
肉壁の通路の端に、拳大の石が一定の間隔で綺麗に並べられていたのだ。明らかに、誰かが意図して置いた目印だった。
「これ……人間が置いたものか?」
全員で顔を見合わせる。
石の並びを辿るように慎重に奥へ進むと、少し開けた場所に出た。
「動くな」
闇の中から、低く掠れた男の声が響いた。
「それ以上進むと、胃液の溜まり場に落ちるぞ」
影から姿を現したのは、見たこともない異国の古びた革鎧を纏った、髭面の男性だった。手には先端を鋭く削った金属の槍を構えている。
「人間……!? 僕たち以外の生き残りがいた!」
ケントが思わず声を弾ませる。
男性は俺たちの姿を上から下までじっくりと観察し、ふっと緊張を解いて構えを下ろした。
「数人で飲み込まれたのか。運がよかったな」
その言葉を聞いた瞬間、俺たちは思わず顔を見合わせ、綺麗に声を揃えて叫んでいた。
「「「「いや、この状況のどこが運いいんだよ!!」」」」
怪物の胃袋に町ごと呑み込まれておいてどこに幸運要素があるのか。
あまりのハモり具合に、男性は拍子抜けしたように爆笑した。
「ははは! 違いない、そりゃそうだ! だがな、この絶望的な体内で生き延びて仲間と巡り会えたってこと自体、奇跡みたいなもんなんだよ。……俺はルーク。ここでずっと生き延びてきた者だ。安心しろ、この体内にはお前たち以外の人間も大勢いる」
ルークの話によれば、体内には過去に世界中(ときには別世界すらも)から飲み込まれた人々が集まって暮らす「集落」が存在し、胃袋以外にもさまざまな器官へ続く道があるという。
「来な。集落まで案内してやる。そこに行けば、とりあえず温かいスープくらいは飲める」
「スープ……!? 胃液じゃないやつですよね!?」
タクマが食い気味に尋ねると、ルークは「当たり前だ!」と再び腹を抱えて笑った。
頼もしい案内人の背中を追いかけながら、俺は暗闇の中に一筋の光が見えた気がした。
こうして、過酷で、ほんの少しだけ騒がしい『二日目』が過ぎていった。




